ベネズエラ・ボリバル共和国 国歌「勇敢なる国民に栄光あれ」

ベネズエラ・ボリバル共和国 国歌「勇敢なる国民に栄光あれ」

タイトル

GLORIA AL BRAVO PUEBLO(グロリアル ブラボ プエブロ) /勇敢なる国民に栄光あれ

駐日大使館ウェブサイトは『勇敢な国民に栄光あれ』と記載されている。個人的な好みで、同サイトからダウンロードできる憲法の邦訳に記載されたタイトルにした。

作詞

VICENTE・SALIAS /ビセンテ・サリアス

1776 年 3 月 23 日、ベネズエラ・カラカス生まれの医者・詩人。独立戦争時に捕らわれ1814年9 月17日銃殺され逝去。処刑直前、彼が発した最後の言葉「天国で彼らがスペイン人を認めるなら、全能の神よ、私は天国を放棄する」が残っている。

作曲

JUAN・JOSE・LANDAETA /ファン・ホセ・ランダエタ

1780年3月10日、ベネズエラ・カラカス生まれ。ベネズエラ人作曲家で主に宗教音楽を専門とした。司祭のもとで音楽を学び、カラカスにある複数の教会で指揮者やヴァイオリン奏者として活動。1808年にはフランスから来たオペラ団の指揮者も務めた。また、カラカスで初のコンサート協会“Certamen de música vocal e instrumental”を設立し、「Certamen」の購読者に6ヵ月、毎月4回のコンサートを提供することを想定していたが、戦争が始まったため実現しなかった。第一共和政が崩壊し王党派が権力を握ると迫害を受け逃亡するも捕まってしまう。1814年12月10日銃殺され逝去。

採用年

1881年5月25日

国歌を定める大統領令が制定された日。

成り立ち

スペインによる植民地支配が続く中、“1810年4月19日の革命”により、カラカス市庁舎で行われた議会でスペインから派遣されていた総督が解任されると独立運動が活発化。この時期に誕生したのがのちの国歌となる歌だった。これまで通説として、独立運動の中で生まれた政治団体“愛国協会”の会合で作られたとされてきたが異論がでている。王室財務総監のVicente Basadreが1810年7月4日に書いた報告書で「全ての町で自由と独立を暗示する歌が作曲されている・・・最もスキャンダラスなのは、彼らが独立について作曲し印刷した歌だ。彼らは、スペイン系アメリカ人全体に、共通の目的を持ちカラカスの人々を革命の指導者の模範とするよう呼びかけた」と書いている。愛国協会が活動を始めたのは12月であり、同協会が誕生する前から曲は存在したことになる。現在では1810年4月19日から20日の間に作られたのではないかと推測されている。ビセンテ・サリアスが即興で制作。スペインに侵攻するフランスのナポレオンの血を引くホセ1世を否定し、スペイン王の血筋であるフェルナンド7世を推薦するグループの集まりで作曲したことになる。
この時代、様々な愛国的な歌が作られたが最も早く普及したのが、『勇敢な国民に栄光あれ』で、20日から事実上の国歌として歌われるようになり、『国民歌』や『ベネズエラのラ・マルセイエーズ』と呼ばれた。
その後、独立派と王党派による政権交代など、時代によってそれぞれの政治思想にあった愛国歌が誕生していった。
1868年4月18日発行のカラカス新聞“El Federalista”には歌詞が掲載され、1881年に公式に発表された文章よりも長い文章で掲載されている。当時の国歌は5番までの歌詞があり、ナポレオンを非難し当時のスペインの体制を養護する内容もあった。
法的根拠を持って正式に国歌と認められたのは70年後の1881年5月25日。アントニオ・グスマン・ブランコによる大統領令によって法的根拠を持って国歌となる。法文上では制作者の名前は記載されなかったが、直後に出版された楽譜には現在の国立音楽院の名前にもなっているベネゼエラ人作曲家Juan José Landaetaの名が記載されている。この時、スペインと同調するような内容は削除され3節とコーラスで構成されるようになった。
公式にはオリジナルを数度変更されている。1881 年5月25日に公布された大統領令版(編曲:Salvador N. Llamozas)、1883 年のシモン・ボリバル生誕 100 周年記念版、独立記念100周年を記念し制作された1911 年版(編曲:Salvador Llamozas)、1947 年12月23日に公布された現行版がある(編曲:Juan Bautista Plaza)。
2006年3月7日、立法府は1954年2月17日の国旗・紋章・国歌法を廃止し、国旗の変更があったが、国歌の変更はなかった。当時大統領だったチャベス氏は3番に“ボリバル”の名を加えることを望んでいたが叶わなかった。

EXCELSIOR

憲法では第8条で、国歌は『勇敢なる国民に栄光あれ』であり、国旗や国章が祖国の象徴であり、詳細は法律で定められると明記されている。

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1954年2月17日に制定された“国旗、紋章、国歌に関する法律”の第12条で『勇敢なる国民に栄光あれ』が国歌であることや、演奏されるシチュエーションが明記されている。
16条で、政党や組織が公の集会での国歌使用の禁止、17条では国歌の不適切な使用は100~1000ボリバルの罰金か拘束されると書かれている。

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1980年12月29日に施行された法令941によって5月25日は“国歌の日”と定められた。その他にも、公立・私立学校の目立つところに歌詞のリトグラフを置くことや公式の場では3番全て歌うことが義務化された。しかし外交の場など例外はあるようだ。

https://www.youtube.com/watch?v=-XL-vutDg_M

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1992年11月5日に制定された法令2625の17条で、18時間以上放送するテレビ局では毎日の放送の最初と最後、または午前6時と正午に国歌を流すことを義務付けている。祝日には午前0時での放送が義務付けられている。

ちなみに、1980年8月にはLuis Herrera Campinsによる大統領令で国歌が6時間毎に放送されていた。

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4月23日夜に、Cayetano Carreñoが初めて歌ったという説がある。

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制作者には諸説あり、作曲をLino Gallardo、作詞をAndrés Belloが単独で制作または共作であるという意見もある。しかし、歌詞に関してはビセンテ・サリアスが即興で作ったという証言が複数あることからサリアスが作ったというのが通説になっている。

ちなみにAndrés Belloはチリ国歌の起源の曲を作った人物として名が上がっている。詳細はこちら。

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1808年のナポレオンによるスペイン侵攻によって、愛国心を高めるため本国はもちろん南米の植民地でもスペイン国歌や愛国歌を歌う取り組みがされた。その流れがベネズエラでの革命時に国歌を作るきっかけとなったという話がある。

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東京ヤクルトスワローズが外国人選手を応援する際に使うペタジー二・ファンファーレのメロディにベネズエラ国歌が使われている。1983年にベネズエラ出身のボビー・マルカーノ選手が阪急からヤクルトに入団してから使用されるようになった。

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国が定める公式の手話は確認できなかったが、非公式の手話版国歌は存在する。

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第53代大統領ウゴ・チャベスの時代から、公の場において1番のみが歌われることが多かったが、3番まで歌われるようになった。

学校では月曜日の朝に国歌全体が歌われ、残りの日は合唱と最初の詩だけが歌われる。

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チャベス大統領と国民が一緒に国歌を歌う動画は必見。Call and Response!

歌詞

【コーラス】

Gloria al bravo pueblo
que el yugo lanzó
la Ley respetando
la virtud y honor.

(2回繰り返し)

【1】

Abajo cadenas  Abajo cadenas
gritaba el señor  gritaba el señor
y el pobre en su choza
libertad pidió

a este santo nombre
tembló de pavor
el vil egoísmo
que otra vez triunfó.

a este santo nombre  a este santo nombre
tembló de pavor
el vil egoísmo que otra vez triunfó.

el vil egoísmo que otra vez triunfó.
(コーラス)

【2】

Gritemos con brío  Gritemos con brío
Muera la opresión  Muera la opresión
Compatriotas fieles,
la fuerza es la unión;
y desde el EmpUíreo
el Supremo Autor,
un sublime aliento
al pueblo infundió.

y desde el EmpUíreo  y desde el EmpUíreo
el Supremo Autor,
un sublime aliento al pueblo infundió.

un sublime aliento al pueblo infundió.
(コーラス)

【3】

Unida con lazos  Unida con lazos
que el cielo formó  que el cielo formó
la América toda
existe en nación
y si el despotismo
levanta la voz,
seguid el ejemplo
que Caracas dio.

y si el despotism  y si el despotismo
levanta la voz,
seguid el ejemplo
que Caracas dio.

seguid el ejemplo
que Caracas dio.

(コーラス?)公式には記載されていない

歌詞 日本語訳

【コーラス】

勇敢なる国民に栄光あれ

くびきを解き放ち

法を尊重し

徳と名誉ある(国民よ)

【1】

鎖を外せ

民は叫び

貧者は小屋で

自由を求めた。

この神聖な名に

恐れおののく

再び台頭した

卑劣なエゴイズムは

(コーラス)

【2】

力強く叫ぼう

圧制に死を!

忠実な同胞たちよ

団結は力なり。

そして天空より

崇高な創造主は

荘厳な息吹を

国民に吹き込んだ。

(コーラス)

【3】

天がつくり賜うた

絆で結ばれ

全アメリカは

国家になった。

もし専制政治が

声をあげるなら

カラカスが示した

模範にならえ。

(提供:駐日ベネズエラ・ボリバル共和国大使館)

歌詞 カタカナ読み

【コーラス】

グローリアル ブラボ プエーブロ ケルユーゴランソー

ラレーイ レスペターンド ラ ビルトゥ ディオノール

グローリアル ブラボ プエーブロ ケルユーゴランソー

ラレーイ レスペターンド ラ ビルトゥ ディオノール

【1】

アバーホ カデーナス  アバーホ カデーナス

グリターバエル セニョール  グリターバエル セニョール

イェル ポーブレン ス チョーサ

リベルタッ ピディオ

アエステ サント ノーンブレ テンブロ デ パボール

エルビーレーゴイースモ ケオトラベス トリィウンフォ

アエステ サント ノーンブレ アエステ サント ノーンブレ

テンブロ デ パボール

エルビーレーゴイースモ ケオトラベス トリィウンフォ

エルビーレーゴイースモ ケオトラベス トリィウンフォ

(コーラス)

国歌に関するリンク

【大統領府 “Centro Nacional de Historia celebra a Bolívar en sus 239 años”】
http://www.presidencia.gob.ve/Site/Web/Principal/paginas/classMostrarEvento3.php?id_evento=21652

【人民権力水・環境社会主義省 “JEFE DE ESTADO RECORDÓ AL MÚSICO JUAN JOSÉ LANDAETA A 240 AÑOS DE SU NATALICIO”】
http://www.minec.gob.ve/jefe-de-estado-recordo-al-musico-juan-jose-landaeta-a-240-anos-de-su-natalicio/

【駐日ベネズエラ大使館ベネズエラのシンボル”】
https://venezuela.or.jp/about/symbol/

【駐日ベネズエラ大使館憲法”】
https://venezuela.or.jp/about/constitution/

【Universidad Nacional Experimental de la Seguridad“El Gloria Al Bravo Pueblo” fue decretado himno nacional en 1881”】
http://www.unes.edu.ve/index.php/2016/05/23/el-gloria-al-bravo-pueblo-fue-decretado-himno-nacional-en-1881/

【Universidad Nacional Experimental de la Seguridad“El Gloria Al Bravo Pueblo” fue decretado himno nacional en 1881”】
http://www.unes.edu.ve/index.php/2016/05/23/el-gloria-al-bravo-pueblo-fue-decretado-himno-nacional-en-1881/

【Instituto Nacional de Estadística “Hace 137 años se declara el “Gloria al Bravo Pueblo” como Himno Nacional”】
http://www.ine.gov.ve/index.php?option=com_content&view=article&id=1189%3Ahace-137-anos-se-declara-el-qgloria-al-bravo-puebloq-como-himno-nacional&catid=154%3Aefemerides&Itemid=7

【Biblioteca Nacional “HIMNO NACIONAL DE VENEZUELA EDICION OFICIAL 1947”】
http://bibliotecadigital.bnv.gob.ve/wp-content/uploads/el_hinmo_naciona_de_venezuela_1947.pdf

【Portal Iberoamericano de Derecho de la cultura “LEY DE BANDERA, ESCUDO E HIMNO NACIONALES”】
https://derechodelacultura.org/wp-content/uploads/2015/02/3_5_1_2_9_ven_l_bandera_escudo_himno_1954.pdf?view=download#:~:text=(Ley%20del%2010%2F2%2F54),-El%20Congreso%20de&text=Art.,ciudadanos%20de%20los%20dem%C3%A1s%20pa%C3%ADses.

【Diccionario de Historia de Venezuela “Himno Nacional”】
https://bibliofep.fundacionempresaspolar.org/dhv/entradas/h/himno-nacional/

【Venezolana de Televisión “Venezuela celebra Día del Himno Nacional «Gloria al Bravo Pueblo»”】
https://www.vtv.gob.ve/venezuela-himno-macional-gloria-bravo-pueblo/

【ベネズエラ統一社会党 “Vicente Salias: El grito del bravo pueblo contra el yugo español (+natalicio)”】
http://www.psuv.org.ve/temas/noticias/vicente-salias-lucha-emancipadora-gloria-al-bravo-pueblo-antonio-guzman-blanco/#.Y51NG3bP1yw

【Por Hugo J. Quintana M.著 “FUNDAMENTO IDEOLÓGICO E HISTÓRICO DE LAS CANCIONES POLITICAS DE LA CONTIENDA INDEPENDENTISTA VENEZOLANA”】
file:///C:/Users/asami/Downloads/Dialnet-FundamentoIdeologicoEHistoricoDeLasCancionesPoliti-6972563.pdf

【IGNACIO ANDRÉS BARRETO ESNAL著 “«GLORIA AL BRAVO PUEBLO»: UN ENIGMA, UNA POLÉMICA EN EL TIEMPO”】
https://www.academia.edu/32967682/GLORIA_AL_BRAVO_PUEBLO_UN_ENIGMA_UNA_POL%C3%89MICA_EN_EL_TIEMPO

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