チリ共和国 国歌「チリ国歌」

チリ共和国 国歌「チリ国歌」

タイトル

Himno Nacional de Chile(イムノ ナショナル デ チレ)/チリ国歌

作詞

Eusebio Lillo Robles /エウセビオ リジョ ロブレス

1826年8月14日、チリ サンティアゴ生まれ。1842年にはサンディアゴ文学協会設立に尽力した。1847年、内務省に入省。1850年にはリベラル寄りの新聞社を立ち上げたが、翌年政府転覆を図る反乱の首謀者の一人として逮捕されてしまう。解放後も革命運動を続け死刑を宣告され逃亡生活をすることに。恩赦を受けたのちボリビアに移り住みビジネスを始め成功。帰国後、市議会議員、サンディアゴ市長、クリコ市長、上院議員、内務大臣を歴任。1896年には大統領選に出馬した。1910年7月8日チリ サンディアゴで逝去。

作曲

Ramón Carnicer y Batlle /ラモン カルニセル イ バトル

1789年10月24日、スペイン タガラ生まれの音楽教師、オペラ作曲家。バロセロナに移り住み、バルセロナにある大聖堂のオルガニストに指導を受けた。ナポレオン率いるフランス軍がバロセロナに進軍したためメノルカ島に移住。このあたりから彼の創作音楽の記録が残る。1814年、バルセロナに戻ると作曲を含む音楽活動に専念。イタリアでの活動も積極的に行い、イタリア語とスペイン語での作品が多数残っている。1814年、フェルナンド7世が憲法の破棄を発表すると自由主義者が反発。1820年に憲法復活させることに成功し、ラモン もこの活動に参加した。しかし1823年、フランスの介入により絶対君主制が復活。ラモンは王室に反乱を起こしたとして立場を失い、1824年からパリ、ロンドンと亡命生活を送ることになる。このロンドン滞在中に国歌を作ったとされる。1927年にバルセロナに戻るがすぐにマドリードに仕事で移り住むことになり、この地で音楽監督、作曲、教育を生涯行う。1855年3月17日マドリードで逝去した。

採用年

1909年8月12日

成り立ち

インカ帝国を滅ぼしこの地をスペインが植民地にしたのが1541年。1818年まで他国の支配が続いた。独立時、アルゼンチン人生まれの政治家ベルナルド デ ベラ イ ビンタドによって作られた歌詞にチリ人のマヌエール ロブレスが曲付けした国歌『チリ共和国の国歌(通称:最初の国歌)』が初代大統領ベルナルド オイギンスの依頼によって誕生し、1819年7月19日国歌として承認された。1820年8月20日にドミンゴ・アルテアガ劇場で初めて演奏されたものの、初代国歌が国民に浸透することはなかった。
そこで1827年、駐イギリス・チリ公使Mariano Egañaが、スペイン人でイギリスに亡命していた作曲家でオペラに精通したスペイン人のラモン カルニセルに、『チリ共和国の国歌(通称:最初の国歌)』の詩を基に作曲を依頼。そこで誕生したのが『チリ国歌』だった。1828年12月23日にアルテアガ劇場で行われたフィルハーモニー協会のコンサートで初演奏される。
1840年代、国内情勢が安定してくると独立した歴史を背景に作られたアンチスペイン色の強い歌詞(“暴君”や“首を切れ”など)の見直しがされる。実際、チリとスペイン間で外交関係の再構築に関する条約調印後の交渉で、歌詞変更を求める公式の要請があった。
1847年、Manuel Bulnes Prieto大統領が内務大臣に変更を指示。チリ大学哲学人文科学部が新しい歌詞をコンテストを開催し決めるべきろ提案したが、大臣は内務省職員として働いていたエウセビオ リジョに新しい歌詞の作成を要請した。エウセビオ リジョの証言では大臣室に呼び出され大臣自ら彼に歌詞作成を命じたという。1847年9月17日(18日という情報もあり)に新しい歌詞がEl Araucano新聞を通じて発表され今の国歌の形となった。全て変更したわけではなく、使える部分は活かし10番まであったものを6番までとした。
これ以降、歌いまわしや微妙な歌詞の変更など様々なバージョンが生まれる。そこで1909年8月12日、法令3482号が施行され、統一された国歌が誕生した。
1910年、”開かれた議会”の開設から100周年を記念し、エウセビオ リジョに歌詞の改定の依頼があったが、句読点を除き変更は行わなかった。
1970年代、ピノチェト将軍がクーデターを起こし軍事独裁政権になると5番、リフレインのあと、軍を讃える3番の順番で演奏されるようになる。
1990年3月15日に公布された政令260号によってリフレインと5番が公式の行事などで歌われることが定められた。

EXCELSIOR

憲法第一章第2条で「国の象徴は国旗、紋章、国歌である」と明記されている。

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法律は以下のようなものがある。

1909年8月12日の政令第3482号ではラモン カルニセルがロンドンで制作された音楽が公式であることが定められている。歌詞はエウセビオ リジョが作成したもので教育省で保管されている手書き歌詞が公式とされた。

1941年8月9日に施行された政令3737では、チリ国歌公式版のスコア5,000部の印刷を承認している。また、5番の歌詞「extendido」からオリジナルと同じ「tranquilo」という単語に戻された。

1975年8月26日に施行された政令890の第三章6条bで、国旗、国章、国歌に対する侮辱的な行為を禁じている。具体的な量刑などは記載されていない。

1980年8月21日に施行、政令6476ではハ長調であることやテンポなどを定めた。

1990年3月15日に公布された政令260号によってリフレインと5番が公式の行事などで歌われることが定められた。

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ラモン カルニセルは一度もチリどころか、大陸にすら訪れたことが無い。

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ボリビア国歌とメロディが似ている。

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サッカー試合前の国歌演奏時、メロディが終わっても歌い続ける習慣は南米の国々で見られる。チリの場合、2008年にチリで行われたU-20女子ワールドカップがはじまりと言われている。

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1884年に世界国歌コンクールが行われ、フランスの『ラ・マルセイエーズ』に続き2位を獲得したという情報がある。しかし、コンクールが開催されたという記録はどこにも残っていない。チリの多くの研究者が事実はなかったとしている。このような話は日本を始めエクアドルコロンビアアルゼンチンなど多くの国で存在する。

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2010年、ベネズエラのタブロイド紙UltimasNoticiasが「チリ国歌の起源はベネズエラにある」と報じた。同紙によれば、1938年からカラカス国立図書館に「国歌第一号」「国歌第二号」と両面にそれぞれタイトル付きの楽譜が記載されたものが保管されている。日付は1827年、1830年と記載されているという。複数人の研究者のもとで楽譜を演奏したところ、チリ国歌に類似している事が判明。この作品の作曲者候補としてベネズエラ人でチリの民法を作ったAndrés Belloが挙げられた。彼がチリと縁が深かったことと、ロンドンに滞在していた時期もあったため、その時に関わったのではないかということだった。しかしこの意見はチリの著名な学者たちに間違っていると指摘されている。

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1819年から1959年の間に、微調整を含む25の国歌のカタチが提案された。

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現在の国歌のメロディが誕生した際、前国歌の作曲家マヌエール ロブレスは存命で、チリ人である自分のメロディが他国の人間が作った曲に置き換わるという現実にショックを受けたという。これが死因の一つになったとも言われている。

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『チリ共和国の国歌(通称:最初の国歌)』

歌詞

【1】

Ha cesado la lucha sangrienta;

ya es hermano el que ayer invasor;

de tres siglos lavamos la afrenta

combatiendo en el campo de honor.

El que ayer doblegábase esclavo

libre al fin y triunfante se ve;

libertad es la herencia del bravo,

la Victoria se humilla a sus pies.

【リフレイン】

Dulce Patria, recibe los votos

Con que Chile en tus aras juró

Que o la tumba serás de los libres

O el asilo contra la opresión.

【2】

Alza, Chile, sin mancha la frente;

conquistaste tu nombre en la lid;

siempre noble, constante y valiente

te encontraron los hijos del Cid.

Que tus libres tranquilos coronen

a las artes, la industria y la paz,

y de triunfos cantares entonen

que amedrenten al déspota audaz.

【3】

Vuestros nombres, valientes soldados,

Que habéis sido de Chile el sostén,

nuestros pechos los llevan grabados;

Los sabrán nuestros hijos también.

Sean ellos el grito de muerte

que lancemos marchando a lidiar,

y sonando en la boca del fuerte

hagan siempre al tirano temblar.

【4】

Si pretende el cañón extranjero

nuestros pueblos osado invadir;

desnudemos al punto el acero

y sepamos vencer o morir.

Con su sangre el altivo araucano

nos legó por herencia el valor;

y no tiembla la espada en la mano

defendiendo de Chile el honor.

【5】

Puro, Chile, es tu cielo azulado,

puras brisas te cruzan también,

y tu campo de flores bordado

es la copia feliz del Edén.

Majestuosa es la blanca montaña

que te dio por baluarte el Señor,

Y ese mar que tranquilo te baña

te promete futuro esplendor.

【6】

Esas galas, ¡oh, Patria!, esas flores

que tapizan tu suelo feraz,

no las pisen jamás invasores;

con tu sombra las cubra la paz.

Nuestros pechos serán tu baluarte,

con tu nombre sabremos vencer,

o tu noble, glorioso estandarte,

nos verá combatiendo caer.

(リフレイン)

※最後のリフレインは

“Dulce Patria, recibe los votos

Con que Chile en tus aras juró”のあと、

“Que o la tumba serás de los libres

O el asilo contra la opresión.”を3回繰り返し、

“O el asilo contra la opresión”を2回繰り返す。

歌詞 日本語訳

 

歌詞 カタカナ読み(製作中)

【5】

プーロ チーレ エストゥ シーエロ アスラーード

プーラ ブリーサス テ クルーザン タンビエン

イートゥ カンポ デ フローレス プロダーーアド

エースラ コーピャ フェリースデ エデン

マーへストォーサ エスラ ブラーンカ モンターーニャ

ケェーテ ディオ ポール バルアルテ エル セニョル

ケーテディオ ポルファヴァーテルセニョル

ケーテディオ ポルファヴァーテルセニョル

イェセマル ケトラン キーロテ バーーニャ

テープロ メーテフ トゥロ エスペンドーール

イエセ マァール ケェトランキーロ テ バーニャ

テー プロメーテエル フトゥーロ エスプレンドール

イーエセ マァール ケェトランキーロ テ バーニャ

テーー プロメーテエル フトゥーロ エスプレンドール

【リフレイン】

ドゥーーセー パートリャ レシーベ ロス ヴォートス

コーーンケ チーレン トゥス アーーラス フーロ

ケオラ トゥンバセラース デーロス リーーブレス

オエラシーロ コントラー ラーオプレシオン

ケオラ トゥンバセラース デーロス リーーブレス

オエラシーロ コントラー ラーオプレシオン

ケオラ トゥンバセラース デーロス リーーブレス

オエラシーロ コントラー ラーオプレシオン

オエラシーロ コントラー ラーオプレシオン

オエラシーロ コントラー ラーオプレシオン

国歌に関するリンク

【政府ポータル “Our Country”】
https://www.gob.cl/en/our-country/

【政府ポータル “CONSTITUCIÓN”】
https://cdn.digital.gob.cl/filer_public/ae/40/ae401a45-7e46-4ab7-b9d3-1f7cc5afa9d6/constitucion-politica-de-la-republica.pdf#constitucion-politica

【Dirección General del Territorio Marítimo y Marina Mercante “Himno Nacional”】
https://www.directemar.cl/directemar/organizacion/biblioteca-de-recursos/himnos/himno-nacional

【チリ議会図書館 “DECRETO 890”】
https://www.bcn.cl/leychile/navegar?idNorma=16080

【チリ議会図書館 “DECRETO 3737”】
https://www.bcn.cl/leychile/navegar/imprimir?idNorma=1142860&idVersion=1941-08-09

【チリ議会図書館 “DECRETO 6476”】
https://www.bcn.cl/leychile/navegar?idNorma=214629

【チリ議会図書館 “DECRETO 260”】
https://www.bcn.cl/leychile/navegar?idNorma=11640

【チリ議会図書館 “Eusebio Lillo Robles”】
https://www.bcn.cl/historiapolitica/resenas_parlamentarias/wiki/Eusebio_Lillo_Robles

【国立デジタル図書館 “Primer Himno Nacional”】
http://www.memoriachilena.gob.cl/602/w3-article-94806.html

【国立デジタル図書館 “Eusebio Lillo Robles”】
http://www.memoriachilena.gob.cl/602/w3-article-100631.html

【国立デジタル図書館 “nueva letra de la Canción Nacional de Chile”】
http://www.memoriachilena.gob.cl/602/w3-article-93804.html

【国立デジタル図書館 “Canción Nacional de Chile: edición crítica de la letra”】
http://www.memoriachilena.gob.cl/602/w3-article-126597.html

【王立歴史アカデミー “Ramón Carnicer y Batlle”】
https://dbe.rah.es/biografias/10750/ramon-carnicer-y-batlle

【Universidad Austral de Chile “Especialista UACh Aclara que Himno Nacional es Chileno y No de Origen Venezolano”】
https://diario.uach.cl/especialista-uach-aclara-que-himno-nacional-es-chileno-y-no-de-origen-venezolano/

【cooperativa “Himno de Chile tiene su origen en obra compuesta en Venezuela, según diario”】
https://www.cooperativa.cl/noticias/cultura/patrimonio-cultural/himno-de-chile-tiene-su-origen-en-obra-compuesta-en-venezuela-segun/2010-05-31/132052.html

【biobiochile.cl ¿Es realmente el himno nacional chileno el segundo más bello del mundo?”】
https://www.biobiochile.cl/noticias/sociedad/curiosidades/2018/09/19/es-realmente-el-himno-nacional-chileno-el-segundo-mas-bello-del-mundo.shtml

【THE CLINIC “Que se sepa: la tradición de cantar el himno nacional completo partió con la Roja femenina”】
https://www.theclinic.cl/2019/06/11/que-se-sepa-la-tradicion-de-cantar-el-himno-nacional-completo-partio-con-la-roja-femenina/

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