ラトビア共和国 国歌「ラトビアに神の祝福あれ」

ラトビア共和国 国歌「ラトビアに神の祝福あれ」

タイトル

Dievs, sveti Latviju! カタカナ読み確認中/ラトビアに神の祝福あれ

作詞

Baumaņu Kārlis /確認中

1835年5月11日ラトビア・リンバジ生まれ。作曲だけでなく、教師、詩や劇の台本など執筆活動も行なった。神学校で学んだのち家庭教師となり、1858年にサンクトペテルブルクに移り音楽を学ぶ。1882年に当時ラトビアで初めてとなるグランドピアノとともに帰国。1905年1月10日リンバジで逝去。
1905年1月、病床にある中、『神の祝福をラトビアに!』を歌いながら通りを行進する人たちの歌声を自室の窓から聞いたとき、目に涙を浮かべて「ラトビアはそうなるだろう!ラトビアはそうなるだろう!」と叫んだという逸話が残る。歌詞に「ラトビア」という言葉を使用した最初のラトビア人作曲家として知られ、出身地には2つの記念碑や彼をテーマにした展示があるリンバジ博物館が建つ。
死後、彼の大量の蔵書が市に寄贈されたことで、リンバジ初の公共図書館が建てられた。
Kārlis Baumaņu”と表記されることもあるが、当サイトは大統領府の表記に倣って記載。

作曲

同上

採用年

192067
国歌として宣言された日

成り立ち

長くロシア帝国に編入されていたが19世紀に入ると農奴解放や教育による識字率の向上により、ラトビア人としてのアイデンティティが国民の間で広まっていった。
1873年6月にリガで行われることになった第1回歌謡祭で男性合唱団が歌う曲としてBaumaņu Kārlisがラトビア初のオリジナル楽曲3曲を作成。そのうちの一つが『ラトビアに神の祝福あれ!』だった。歌謡祭で初披露されてから人気を得たものの、1887年に占領していたロシア帝国がロシア化政策を強化するとタイトルと歌詞にある「ラトビア」という言葉を使うことを禁じたために、「バルト海の(Baltics)」に置き換え歌われた。これに反発し、隠れて歌ったり、国歌でないことをアピールするため帽子を被ったまま「ラトビア」を使って歌われたという複数の記録が残る。
第一次世界大戦が始まると、ドイツとロシアに挟まれたことで全土が戦火に巻き込まれ、ラトビア国家樹立に向けての運動が加速。その流れでロシア帝国から『ラトビアに神の祝福あれ!』が歌われることが全面的に禁止され、違反者には、3週間の逮捕または25ルーブルの罰金が課せられた。
『ラトビアに神の祝福あれ!』が国歌として初めて歌われたのは1918年11月18日、ラトビア独立宣言の時。この頃、国歌を『ラトビアに神の祝福あれ!』の歌詞修正や別の曲にするという案が上がるも変わることはなかった。ソ連の侵攻を食い止め平和条約を結んだ後の1920年6月4日『ラトビアに神の祝福あれ!』が正式にラトビア共和国の国歌であることが議会で承認され、7日に宣言された。
1940年にソ連邦の構成国であるラトビア ソビエト社会主義共和国となると、1945年7月19日、『ラトビア ソビエト社会主義共和国の国歌』が国歌に承認され、ラトビア本来の国旗、紋章、国歌が違法となる。途中、“スターリン”の文言が削除されるなど歌詞の変更があった。
1988年、エストニアの主権宣言から始まるソ連崩壊が近づくにつれ、各構成国は高度な自治を主張していく。ラトビアは同年独自の国旗が認められている。
1990年2月15日に採択され、4月3日に施行した法律「ラトビア ソビエト社会主義共和国の国歌について」(1991年の法律によって法律の名称が変更された)によって『ラトビアに神の祝福あれ!』が復活。1990年5月4日にソ連から独立を宣言しラトビア共和国になって以降も『ラトビアに神の祝福あれ!』が歌われ続けている。

EXCELSIOR

憲法では国旗についての言及はあるが、国歌はない。 しかし前文の最後にタイトルの「Dievs, sveti Latviju!」と書かれている。これの影響か、政治家のスピーチでも最後に使われたりする。

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1998年2月19日に議会で採択され、同年3月5日に大統領によって公布された法律「ラトビアの国歌について」がある。歌う際の姿勢や適切な場所などが定められており、不敬行動への罰則も記載されている。

1999年12月1日に採択された「ラトビア国歌の楽譜と録音を複製する順序」では様々なバリエーションの楽譜などが定められている。

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1920年6月7日に国歌が宣言された際に内務大臣のArveda Bergaが出した命令がある。「国歌は国民の厳粛な祈りである。必要な真剣さと敬意なしに、不適切な場所や状況で行われると、国歌の意味は無駄になってしまいます。したがって、私はレストラン、ホテル、カフェ、食堂、庭園、その他の娯楽の場所での国歌斉唱を禁止します。国歌の演奏は祝典、行事、集会の場合にのみ許されており、その間は出席者全員が起立し、男性は帽子を脱がなければならない」

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ラトビア国籍取得のテストで国歌の歌詞を覚えているかという問いがあり、筆記か口頭かを選ぶことができる。

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サッカーの国際試合での国歌斉唱は繰り返しなしで【1】→【2】で歌われる。

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集会などでラトビア ソビエト社会主義共和国時代の国歌を演奏することは禁止されている。

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“ラトビア”という単語が出てくる初めての曲。

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サンクトペテルブルグで購入し、国歌制作に使われたとされるグランドピアノは、作者と共に帰国し現在もリガにある文学と音楽の博物館が所有している。博物館は個人からこれを購入する際、ソ連当局に制作者ゆかりの品であることを隠し購入理由を提出し保存に努めた。。

歌詞

【1】
Dievs, svētī Latviju,
Mūs’ dārgo tēviju,
Svētī jel Latviju,
Ak, svētī jel to!
(繰り返し)

【2】
Kur latvju meitas zied,
Kur latvju dēli dzied,
Laid mums tur laimē diet,
Mūs’ Latvijā!
(繰り返し)

歌詞 日本語訳

 

歌詞 カタカナ読み

 

国歌に関するリンク

【PRESIDENT OF THE REPUBLIC OF LATVIA “National symbols”】 
【PRESIDENT OF THE REPUBLIC OF LATVIA “VALSTS PREZIDENTES DARBA KĀRTĪBA 21.MAIJĀ”】 

【Constitutional Court of the Republic of Latvia “The Constitution of the Republic of Latvia”】 

Kultūras ministrija Latvijas valsts himna”】 

【LIKUMILV “Kārtība, kādā tiražējamas Latvijas valsts himnas notis un skaņu ieraksti”】 

【LIKUMILV “Par Latvijas Republikas valsts himnu”】 

【LIKUMILV “ARHĪVI RUNĀ Ceļā uz Latvijas Republikas 80–gadi”】 

【LIKUMILV “Par sapulcēm, gājieniem un piketiem”】 

Limbažu novada pašvaldība Baumaņu Kārļa piemineklim 25”】 

【State Language Center “On the National Anthem of Latvia (with amendments to 30.05.2019.)”】 

【State Language Center “Cab. Reg. No. 973 – Regulations Regarding Testing the Fluency in the Latvian Language and Knowledge of the Basic Principles of the Constitution of the Republic of Latvia, the Text of the National Anthem.. (with amendments to 05.09.2017.)”】 

LV portāls Latvijas valsts himna”】 

LV portāls Dievs, svētī Latviju” – oficiāla valsts himna 100 gadus”】 

Limbaži Museum Manor House”】 

LU Literatūras Kārlis Baumaņu”】 

Limbaži Tourism Information Centre Himna un Baumaņu Kārlis”】 

【LSM “Latvijas himnas autors Baumaņu Kārlis – izcila un traģiska personība”】 

【LSM “Baumaņu Kārlis un viņa flīģelis”】 

LIMBAŽU GALVENĀ BIBLIOTĒKA Baumaņu Kārļa biogrāfija”】 

RAKSTNIECĪBAS UN MŪZIKAS MUZEJS VALSTS PIRMĀ FLĪĢEĻA NETICAMAIS CEĻOJUMS”】 

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