ルクセンブルク大公国 国歌「我らの祖国」
ルクセンブルク大公国 国歌「我らの祖国」
タイトル
Ons Heemecht(確認中)/ 我らの祖国
作詞
Michel Lentz /確認中
1820年5月21日、ルクセンブルク市生まれ。ベルギーにあるブリュッセル自由大学を卒業し、政府事務局で公務員として50年勤めたのち退職。 晩年は視力を徐々に失う病に悩まされ、1893年9月7日、ルクセンブルク市で逝去し国葬が行われた。生前、ルクセンブルク語で多くの詩や曲を作成し国民的詩人として知られている。
今の残る生家には記念碑があったり、肖像画彫られたユーロコインも存在した。
愛国者であると同時にオランダ国王の支持者でもあった点が面白い。
作曲
Jean-Antoine Zinnen /確認中
1827年、ドイツ・ノイアーブルク生まれ(当時はプロイセン)。父親と兄弟が音楽家という環境で生まれ、15歳で軍楽隊に入隊。1849年2月14日にルクセンブルクに帰化し、1851年にルクセンブルク市に移住する。音楽院で教師をし、6年後には学長に就任した。また様々なオーケストラの指揮者としても活躍。この頃フリーメイソンの会員になりMichel Lentzとの交流が始まる。1872年、音楽学校の運営をめぐって意見が対立し、市議会が学校閉鎖を決定するとパリに移住。パリではルクセンブルクからの移民で構成された音楽グループを設立した。1898年5月16日事故死。1900年10月28日にルクセンブルクのサン・ニコラ墓地に移送され、義理の兄弟である建築家が設計した石碑が1902年5月11日に墓地に建てられた。
採用年
1993年7月27日
慣例として以前から国歌として歌われていたが保的根拠を持ったのは1993年。
成り立ち
1839年ロンドン条約によって、ルクセンブルクがベルギー領とオランダ領に分割され、フランス語圏がベルギー領となり分離すると、ナショナリズム運動が活発になり、それまでドイツ語のモーゼル・フランケン方言の話し言葉だった言語かをルクセンブルク語とする流れが生まれ、1847 年にはルクセンブルク語の辞書が刊行されるなどしていた。
そんなナショナリズムが高まる1859年、詩人のMichel Lentzがのちの国歌の歌詞となるルクセンブルク語の詩を書き上げる。1864年、その詩にJean-Antoine Zinnenがメロディをつけ『我らの祖国』を完成させた。
同年6月5日にアルゼット川とザウアー川が合流するエッテルブリュックで開催された大規模なUGDA音楽祭で公で初めて歌われ人気を博す。Michel Lentzhaはこのイベントの中央委員会メンバーだった。
1877年(または1895年)に国歌として法的根拠がないまま採用され、法的根拠を持ったのは1993年7月27日、『1972年6月23日に制定された国章に関する法律を改正・補足する1993年7月27日制定法』によって。
EXCELSIOR
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憲法第一章4条でタイトルも記載されている。
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ルクセンブルクで国のシンボルを初めて定めた法律は1972年6月23日に公布されたが、国歌に関しての記載はなかった。しかし 1993年7月27日にこの法律を改正し国歌に関して加筆され制作者やタイトルなどが明記された。
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4スタンザある中、最初と最後のスタンザが公式で採用されている。
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複数の言語に訳されているが、ルクセンブルク語でのみ歌われる。
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エッテルブリュックには”Heemechtshand”という記念碑がある。550の口がある手が、空に向かって手を広げているというモニュメントなのだが正直不気味。550は初演の際に歌った18のコーラスグループから集められた歌った人数を表している。
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Michel Lentzが1859年に鉄道の開通を記念して作詞作曲した「De Feierwon」という曲があり、これも国歌候補だった。国歌には選ばれなかったが、コーラスの最後の「Mir wëlle bleiwe wat mir sin」(私たちは、ありのままであり続けたい)がモットーとして採用されている。
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作詞者と作曲者はノートルダム通りの向かい側に住んでいてご近所さんだった。
歌詞
【1】
Wou d’Uelzecht durech d’Wisen zéit,
Duerch d’Fielsen d’Sauer brëcht.
Wou d’Rief laanscht d’Musel dofteg bléit,
Den Himmel Wäin ons mëcht.
Dat as onst Land, fir dat mir géif,
Heinidden alles won.
Ons Heemechtsland, dat mir sou déif
An onsen Hierzer dron.
【2】
O Du do uewen, deem séng Hand
Duurch d’Welt d’Natioune leet.
Behitt Du d’Lëtzebuerger Land
Vru friemem Joch a Leed!
Du hues ons all als Kanner schon
de fräie Geescht jo gin.
Looss viru blénken d’Fräiheetssonn
déi mir sou laang gesin.
歌詞 日本語訳
歌詞 カタカナ読み
国歌に関するリンク
【Government portal “NATIONAL ANTHEM”】
【COUR GRAND-DUCALE “150ème anniversaire de l’hymne national “Ons Heemecht””】
【Journal officiel “CONSTITUTION”】
【Journal officiel “Loi du 23 juin 1972 sur les emblèmes nationaux.”】
【Municipal Officeof the City of Luxembourg “Michel Lentz”】
【Municipal Officeof the City of Luxembourg “Jean-Antoine Zinnen”】
【RTL “Michel Lentz – Luxembourg’s ‘National Poet’”】
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