ウクライナ国歌「ウクライナ国歌」

ウクライナ,ukraine

ウクライナ 国歌「ウクライナ国歌」

タイトル

Державний Гімн України ‎(デルジャヴヌィ・ヒムン・ウクライーヌィ)/ ウクライナの国歌
地方政府のHPでは「ウクライナは未だ滅びず」の名で紹介しているところもある。しかし法律上、この名では明記されていない。

作詞

Павло́ Плато́нович Чуби́нський /パヴロ プラトノヴィチ チュビンシクィ

1839年1月15日、ウクライナ・ボルィースピリ出身。詩人であり、ウクライナ民族学の創始者の一人。サンクトペテルブルク大学で法学位を取得した。1862年秋に現在の国歌の元となる詩を作成するも、これがきっかけで辺境の地アルハンゲリスクへ追放されてしまう。そこで調査官、統計委員会の書記、地方新聞の編集者、知事への特別任務の職員として働いた。1869年、ウクライナに戻る許可を受け、南西部地域のロシア地理学会の民族誌的および統計を目的とした遠征を指揮。
1880年以降、重い病を患い寝たきりになり、1884年1月14日45歳の誕生日の1日前に逝去。遺体は生まれたボルィースピリにあるクニショフ墓地に埋葬されている。

作曲

Михайл Вербицький /ミハイル ベルビツィクィ

1815年生まれ。神父、作曲家。

採用年

1992年1月15日(メロディ)/2003年3月6日(メロディ・歌詞)

当初、憲法によりメロディは定められていたものの歌詞は定まっていなかった。2003年3月6日に施行された法律によりメロディ・歌詞ともに確定。

成り立ち

ロシア帝国領だった1862年秋、Павло́ Плато́нович Чуби́нськийが「ウクライナは未だ滅びず」という詩を発表し、ウクライナコミュニティの間で人気を博す。しかし、同年10月20日、当時の憲兵長が「一般の人々の心に悪影響を及ぼす」として、現在のロシア連邦の北にあるアルハンゲリスク州に警察の監視下の元で作詞家を追放。しかし、詩の人気は衰えること無く、1863年、同詩が掲載された文学雑誌「メタ」の第4号の出版で知名度は一層増すこととなる。
作曲家のМихайла Вербицькогоもこの詩を気に入った一人。この詩に合わせ当初は自身が演奏しながら歌うものだったが、愛国的な歌を多くの人たちと歌えるように合唱用として作り直す。初演は1865年3月10日。
国歌にふさわしい曲が完成したものの、この曲が採用されるまでは多くの時間を必要とした。ロシア帝国の支配、第一次世界大戦の混乱、ドイツの介入、ソ連への加入などの事情で公式採用するまもなく慣例として歌い継がれていく。
1917年から1920年には、一時的ではあるがウクライナ人民共和国と西ウクライナ人民共和国の両国国歌となったものの、ソ連邦時代は『ウクライナSSR国歌』が公式の国歌となる。
1992年1月15日公布された法律No17“ウクライナの国歌について”により、1978年から使われていた『ウクライナSSR国歌』 が無効になり、代わりに「メロディの作者がМ. М. Вербицькийであるウクライナの国歌の音楽を承認する」と定められた。施行は翌日。ここでメロディのみが承認される。歌詞とメロディ両方が法律的に認められたのは2003年3月6日、法律No24にて原文の一部を歌詞に使うことで可決された。
変更されたのは1行目”ウクライナは未だ死なず、その栄光も自由も死んではいない”から”ウクライナの栄光と自由は未だ滅ばず”
2 行目”ウクライナの兄弟たち”から”若い兄弟たち”。

EXCELSIOR

憲法では下記のように国歌について言及。
第1章20条
ウクライナの国旗、ウクライナ国章及び国歌は、ウクライナのシンボルとする。
・・・・・
ウクライナ国歌は、ウクライナ ヴェルホーヴナ・ラーダ(ウクライナの立法府)の憲法上の議員の3分の2以上の賛成で採択された法律によってM. Verbytskyiのメロディと言葉を承認するものとする。

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2003年3月6日、法律No24によって以下のように定められている。
第1条
ウクライナの国歌は、
Михайла Вербицькогоの音楽、Павло́ Плато́нович Чуби́нськийの作品の最初の詩と合唱の言葉が次のように書かれています。
Ще не вмерла України і слава, і воля,
Ще нам, браття молодії, усміхнеться доля.
Згинуть наші воріженьки, як роса на сонці.
Запануєм і ми, браття, у своїй сторонці.

Приспів:
Душу й тіло ми положим за нашу свободу,
І покажем, що ми, браття, козацького роду

第2条
国家的価値の荘厳な行動が、ウクライナの国歌の演奏で始まり、終わることを確立すること。ウクライナの国歌の演奏は、公式の式典やその他のイベントの際に行われる。
第3条
ウクライナの国歌への侮辱は、法律に基づく責任を伴う。
第4条
この法律は、その公表日に施行される。

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法律No24は議員433人のうち46人が反対、334人が賛成、社会主義政党と共産党の派閥は投票に参加しなかった。

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2005年8月19日初演140周年を記念し、記念硬貨が3000枚限定で販売された。

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歌詞は原文の一部が使われている。

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作曲家によって行われた初演では、作詞家の名前は公表されず、その名が発表されたのは1885年のことだった。

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ポーランド国歌に影響を受けたという意見もある。

歌詞

Ще не вмерла України і слава, і воля,
Ще нам, браття молодії, усміхнеться доля.
Згинуть наші воріженьки, як роса на сонці.
Запануєм і ми, браття, у своїй сторонці.
Душу й тіло ми положим за нашу свободу,
І покажем, що ми, браття, козацького роду”.
Душу й тіло ми положим за нашу свободу,
І покажем, що ми, браття, козацького роду”.

歌詞 日本語訳(製作中)

 

歌詞 カタカナ読み

 

国歌に関するリンク

【Government Portal “6 березня має стати Днем Державного Гімну, – Інститут національної пам’яті”】

【Government Portal “Історія створення Державного Гімну символізує прагнення українців жити в єдності, – В’ячеслав Кириленко”】

【Верховна Рада України “ПРЕЗИДІЇ ВЕРХОВНОЇ РАДИ УКРАЇНИ(1992)”】

【Верховна Рада України “Про Державний Гімн України(2003)”】

【Нацiональний банк України “Державний Гімн України”】(アーカイブ)

【Черкаський державний технологічний університет “10 березня – День Державного гімну України”】(アーカイブ)

【Армія-FM “15 січня 1992 рік: Верховна Рада України затвердила музичну редакцію Державного гімну України”】

Лановецька районна державна адміністрація Державні символи України”】(アーカイブ)

【Національна бібліотека України “Павло Чубинський – автор українського національного гімну”】

【ウクライナ国立図書館 “Народився Михайло Вербицький, священик, композитор, автор мелодії Державного Гімну України, хоровий диригент”】

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