【シリーズ】リオ五輪を振り返る 国歌で! ~①開会式 閉会式~
あっという間に終わったリオ五輪。皆さんはどのように見ていましたか?
鍛え抜かれた選手たちが繰り広げる世界最高峰の競演?
日本のメダル獲得数?
美男美女アスリート?
それとも国を背負い戦った選手たちの生きざま?
筆者は国歌という視点で8月5日から始まったリオ五輪を振り返ります。
国歌の可能性を示した開会式・閉会式
開会式で流れたブラジル国歌『ブラジルの国歌』はアコースティックギターの穏やかな調べに切れのあるヴァイオリンの旋律の共演だった。サッカーの試合で聞く情熱的な歌い方しか知らない筆者にとっては衝撃的なスタート。メロディが終わっても歌い続け会場を破壊しかねない熱量とパワーを生むあの国歌が、これ程 穏やかになるなんて・・・
ブラジルの憲法では国歌の演奏スピードなど細かく決められ守られている。今回の様なアレンジは特例。それは国歌に関して定めた法律を見ても分かる。
第4章34条
国歌斉唱の場合、アルベルト・ネポムセノ版のボーカルアレンジのみが認められる。楽器演奏の場合、文部・教育省の評価の下、大統領により許可されたアレンジ以外の演奏は禁じられている。
大統領の許可が無ければこのような公共の場でアレンジされた曲が流れる事はない。ちなみにアルベルト・ネポムセノとはブラジル音楽史上に残る大作曲家。ブラジル国歌は独立と国の偉大さを歌っている。テンポの良い情熱的なメロディで聞くと「独立を争いによって勝ち取った誇り」「美しく偉大な巨人ブラジル」を連想する。しかし今回の穏やかなブラジル国歌は違った。「独立への道は犠牲者がある悲しみを伴う道」であった事を教え「美しく包みこむ広さを持つ母ブラジル」を思わせる。国歌にはメッセージが明確な歌詞を持っていても、こうも与える印象を変える力があるのかと驚かされた。それはその国が持つ歴史が1面ではなく多面だからだろう。
歌い手によって
聞き手によって
歌う時代によって
歌う場所によって
存在の意味が変わるのが国歌だ。一見、確立した歌のようだが実は多様性を持っているのが国歌だと改めて感じさせる歌だった。
リオ五輪閉会式では日本国歌『君が代』の進化を見せた!
そして君が代。閉会式では次の開催国のプレゼンの時間がある。そこで流れたのが『君が代』。国歌をバックに赤一色だった会場が、外側全方向から中心に向かって白が広がり日本国旗になっていく。今回の『君が代』はわらべ歌のような不思議な調べでとても良かった。もっと専門的な表現をしたいが見当たらない。思ったことをストレートに言うならばカッコよかった!!
日本国内で『君が代』という存在は複雑だ。起立問題で揉めているし、軍国主義と結びつける人もいる。海外、特にアジアでは君が代を聞くと戦前の植民地時代を思い出すという人も。どこか暗かったり、きな臭かったりと悪いイメージを持つ人が少ないくないのは事実だ。しかし一方で海外に目を向けると人気があるというのも事実。日本国歌は世界でも特殊な国歌だ。ゆえに人気がある。「日本らしい」とか「エキゾチック」だとか海外から言われる。そのイメージを最大限に活かしたのは長野五輪開会式の『君が代』だろう。
雅楽を用いた1分10秒のゆったりとした雄大な演奏は日本人の心をつかんだに違いない。これも『かっこいい君が代』として残る名演奏だ。今回はわらべ歌調の中に効果を付けて編曲された幻想的なメロディとなった。伝統的とは違う進化した新たな『君が代』の形なのではないだろうか。国歌演奏後、マリオやドラえもんが登場する”エンタメ日本”を演出した映像が流れた。今回の『君が代』はまさにその世界観を表現したと言える。こんな『君が代』を聞いたら2010年の『君が代』の進化が今から待ち遠しい!!