ベラルーシ共和国 国歌「ベラルーシ共和国国歌」

ベラルーシ共和国 国歌「ベラルーシ共和国国歌」

タイトル

Дзяржаўны гімн Рэспублікі Беларусь(確認中)/ ベラルーシ共和国国歌

『Мы, белору́сы /我らベラルーシ人』と紹介されることもあるがこれは元となった曲のタイトル。

作詞

Клімковіч Міхась /確認中
1899年11月20日ベラルーシ・ミンスク州生まれ(墓石には21日と刻まれている)。作家、批評家、劇作家。BSSR作家協会初代委員長を務めた。『白ロシア・ソビエト社会主義共和国国歌』の作詞を行った。1954年11月5日逝去。
名前表記の順番が違うことがあり要確認。

Карызна Уладзімір Іванавіч /確認中
1938年5月25日ベラルーシ・ミンスク州生まれ。大学では哲学を専攻し、卒業後は教師としてベラルーシ語とロシア語を教えた。以降新聞、ラジオ局、雑誌社などで勤める。詩人としての活動は大学時代からで、才能が認められ作曲家にも注目された。コンクールには政府からの依頼で参加し、Клімковіч Міхасьの詩を活用したことが評価され作品が国歌の歌詞として選ばれた。
名前表記の順番が違うことがあり要確認。

作曲

Сакалоўскі Несцер Фёдаравіч /確認中
1902年9月11日ベラルーシ・ヴィーツェプスク州生まれの作曲家で民俗学者。1908年にミンスクに移住し音楽を学ぶ。学校卒業後、音楽の道に専念。合唱団や劇団俳優として活動する。ベラルーシの旅行中民謡奏者と出会い民謡資料を収集・録音した。その後指揮者や作曲家として活躍し多くの作品を残す。1950年11月13日逝去。
名前表記の順番が違うことがあり要確認。

採用年

2002年7月2日

政令第 350 号により、国歌のテキストとメロディが承認された日。

成り立ち

1833年から1917年までロシア帝国の一部だったベラルーシでは『神よツァーリを護り給え』が歌われていた。
1919年白ロシア・ソビエト社会主義共和国成立。この時定められた憲法では国旗と国章の明記はあるが国歌に関しては触れられず、ソ連国歌『インターナショナル』が歌われた。
第2次世界大戦中の1944年、ソ連最高会議幹部会は国連発足に伴い、ソ連邦構成国に国歌を決めるコンテスト開催に関する法令を発表。各国は自国国歌の制定準備を進めた。そんな中、候補として作られた曲の一つが「我らベラルーシ人」だった。戦争中だった国内の士気高揚のため様々な作品を作曲していたベラルーシ人作曲家Сакалоўскі Несцер ФёдаравічのメロディにКлімковіч Міхасьの詩によって歌われた。これがのちの国歌のメロディとなる。しかし、この曲が国歌になるのは1955年のこと。それまでの間、ソ連邦の国歌『インターナショナル』や1944年1月1日から使用されていた『ソビエト社会主義共和国連邦国歌』が歌われた。なぜ「我らベラルーシ人」が国歌として採用されなかったのかは不明。
1955年9月17日、中央委員会が「我らベラルーシ人」を国歌とする決議「白ロシア・ソビエト社会主義共和国の国歌について」を採択し『白ロシア・ソビエト社会主義共和国国歌』が承認された。しかし、1年程度でスターリンの個人崇拝の部分が削除修正される。
1991年ソ連が崩壊し、9月にベラルーシ共和国に国名変更されると、国歌は歌詞無しでメロディのみの演奏となる。当時の野党поклонниками БНРは軍の行進曲として知られていた「Мы выйдзем шчыльнымі радамі」を国歌にすることを提案するが、国歌としてふさわしくないと却下され『白ロシア・ソビエト社会主義共和国国歌』が使われ続けた。1994年第1回大統領選挙でアレクサンドル・ルカシェンコが当選し行われた就任式では『白ロシア・ソビエト社会主義共和国国歌』のメロディのみが流された。歌詞がない状態は2002年まで続く。
2001年12月国家政策に関する国家元首令が出されると、2002年1月3日、国歌の歌詞と音楽を定めるコンテストを開催することが閣僚会議で承認される。同年5月8日、ルカシェンコ大統領は共和国宮殿の大広間で、国歌策定委員会が提案した新しい国歌の5つのバージョンを聴いたという。「Радзiма мая дарагая» (В.Оловников и А.Бачило」、「Красуй, Беларусь! (В.Раинчик и Л.Прончак)」の2曲と、残りの3曲は『白ロシア・ソビエト社会主義共和国国歌』の歌詞違いの曲だった。その中の一つが詩人Карызна Уладзімір Іванавічが政府の依頼で『白ロシア・ソビエト社会主義共和国国歌』の歌詞を修正して提出された作品だった。全てが演奏された後、大統領含めた関係者で話し合い国民投票をじっしするという結論に至る。国民投票のため国民が候補の5曲を聞けるよう6月6日から9日までラジオとテレビで流され、情報省に電話または手紙、電報で投票する形式を取り11万9千人が参加。そのうち42.3%が『白ロシア・ソビエト社会主義共和国国歌』のメロディの候補に投票した。投票の結果を見て委員会は現在の国歌を承認するよう勧告。
2002年7月2日政令第 350 号により、『白ロシア・ソビエト社会主義共和国国歌』のメロディと新しい歌詞がつけられた曲が『ベラルーシ共和国国歌』として承認された。

EXCELSIOR

憲法では以下のように定められている。
第一章19条
主権国家としてのベラルーシ共和国の象徴は、国旗、国章、国歌です。国の象徴の説明とその使用手順は法律で定められる。

♪♪

2004年6月16日制定(7月5日施行)『ベラルーシ共和国の国家シンボルについて』では、歌詞や楽譜だけでなく、演奏のタイミングや演奏時に国旗を向くことなども明記されている。

♪♪♪

憲法では長い期間国歌について明記されることはなく、初めて明記されたのは白ロシア・ソビエト社会主義共和国時代の1978年版の第169条で“連邦最高会議幹部会によって承認される”と記載された。

♪♪♪♪

毎年5月の第2日曜日は「国旗・国章・国歌斉唱の日」として祝日に定められている。

♪♪♪♪♪

2002年、新しい国歌が承認された後行われた公式音源の録音は夕方8時から真夜中までの4時間、リテイクを繰り返して完了した。

♪♪♪♪♪♪

新国歌の作詞をしたКарызна Уладзімір Іванавічは、作詞をする前に作曲家を見つけ、その人が作ったメロディを基に詩を書こうと考えていた。しかし、BSSRの国歌を聞いてこれを超える国歌のメロディを作曲できる人物は現代にいないと考え、旧国歌のメロディを継承することにしたと証言している。

歌詞

Мы, беларусы – мірныя людзі,
Сэрцам адданыя роднай зямлі,
Шчыра сябруем, сілы гартуем
Мы ў працавітай, вольнай сям’і.

Слаўся, зямлі нашай светлае імя,
Слаўся, народаў братэрскі саюз!
Наша любімая маці-Радзіма,
Вечна жыві і квітней, Беларусь!

Разам з братамі мужна вякамі
Мы баранілі родны парог,
У бітвах за волю, бітвах за долю
Свой здабывалі сцяг перамог!

Слаўся, зямлі нашай светлае імя,
Слаўся, народаў братэрскі саюз!
Наша любімая маці-Радзіма,
Вечна жыві і квітней, Беларусь!

Дружба народаў – сіла народаў –
Наш запаветны, сонечны шлях.
Горда ж узвіся ў ясныя высі,
Сцяг пераможны – радасці сцяг!

Слаўся, зямлі нашай светлае імя,
Слаўся, народаў братэрскі саюз!
Наша любімая маці-Радзіма,
Вечна жыві і квітней, Беларусь!

歌詞 日本語訳

 

歌詞 カタカナ読み

 

国歌に関するリンク

【President of the Republic of Belarus “National Anthem of the Republic of Belarus”

【President of the Republic of Belarus “Конституция Республики Беларусь”

Национальный центр правовой информации Республики Беларусь“О государственных символах Республики Беларусь 5 июля 2004 г. № 301-З”】(アーカイブ)

Национальный центр правовой информации Республики Беларусь“Конституции Беларуси”】(アーカイブ)

【BELARUS.BY “State symbols”】

ГУО “Радошковичский детский сад № 2 Молодечненского района” “РАСТИМ МАЛЕНЬКОГО ПАТРИОТА ВМЕСТЕ”】(アーカイブ)

Минская правда “Музыка, которую знают все. Интересные факты из истории гимна Беларуси”

Национальная библиотека Беларуси “Карызна Уладзімір Іванавіч”

Национальная библиотека Беларуси “Клімковіч Міхась”

Национальная библиотека Беларуси “Сакалоўскі Несцер Фёдаравіч”

25.by “Как создавался и записывался Государственный гимн Беларуси”

Минск-Новости “С чего начинался гимн Беларуси, и как появилась его современная версия”

Нясвіжскія навіны

【SPUTNIK “Які сёння дзень: 20 лістапада 2022 года”】

関連記事