南アフリカ共和国 国歌「南アフリカ国歌」

南アフリカ共和国 国歌「南アフリカ国歌」

タイトル

SOUTH AFRICAN NATIONAL ANTHEM(サウスアフリカン ナショナルアンセム) /南アフリカ国歌

ネルソン・マンデラの名義で出された官報に記載されている楽譜には『SOUTH AFRICAN NATIONAL ANTHEM』 『NATIONAL ANTHEM of SOUTH AFRICA』と2つのタイトルが併記されている。当サイトは政府ポータルに記載されたタイトルを採用した。

作詞

Enoch Mankayi Sontonga / イノック・マンカイ・ソントンガ (神よ、アフリカに祝福を)
1873年南アフリカの東ケープ州Uitenhage 生まれ。ヨハネスブルクにあったメソジスト・ミッションスクールで教師兼作曲家として活動した。1905年4月18日、胃腸炎と虫垂穿孔が原因で1905年4月19日に33歳の若さで急逝。ヨハネスブルクのブラームフォンテーン墓地に埋葬された。

Cornelis Jacobus Langenhoven / 日本語読み確認中 (南アフリカの呼び声)
1873年8月12日南アフリカの西ケープ州Ladismith生まれ。1歳6ヶ月でアルファバットが書けたという話があるほど地元では優秀な子供として知られていた。ステレンボッシュ大学で法律を学び、ケープタウンで弁護士として働く。当時、公用語が英語とオランダ語だった時代にアフリカーンス語の普及に努めた。新聞“Het Zuid-Westen”での執筆を行う中、1912年には編集者として新聞作りに関わるようになる。1914年には国会議員に選出され、アフリカーンス語を学校教育に定着させるとこに成功させるなど、1925年のアフリカーンス語の公用語化に大きな役割を果たした。幼少の頃から病弱で、アルコール依存症でもあった。1932年7月15日逝去。2003年、遺骨が博物館に移され記念碑が建てられた。
1903年から彼が住んでいた自宅は博物館として公開されている。

作曲

Enoch Mankayi Sontonga / イノック・マンカイ・ソントンガ (神よ、アフリカに祝福を)

 

Marthinus Lourens de Villiers / 日本語読み確認中 (南アフリカの呼び声)
1885年7月31日、南アフリカ・西ケープ州パール生まれの教師・牧師。1930年から音楽活動に専念した。1940 年に南アフリカ科学芸術アカデミーから銀メダルを受賞。1977年5月17日に南アフリカ・西ケープ州ウェリントンで死去した。

採用年

1997年10月10日

憲法に基づきネルソン・マンデラ大統領が官報で国歌を発表した日。

成り立ち

『南アフリカ国歌』は2つの曲で構成されている。前半、コサ語・ズールー語・ソト語で歌われる“Nkosi Sikelel’ iAfrika/神よ、アフリカに祝福を”は、1897年にメソジストのミッションスクール教師であったエノク・ソントンガによって、学校の合唱団のためにコサ語の賛美歌として作詞作曲された。その後、ソントンガのコーラスと第一スタンザに、著名なコサ人の詩人Samuel Mqhayiによって、7つのスタンザが追加される。1942年にMoses Mphahleleによってソト語版が出版され、教会の賛美歌として親しまれ国民の間で浸透する。
1912年1月8日、アフリカ民族会議(ANC)の前身である南アフリカ先住民会議(SANNC)の初会合で、閉会の祈りの後に“神よ、アフリカに祝福を”が歌われた。ANCの創設メンバーで作家のSolomon Plaatjeは、1923年にロンドンでこの歌を録音し、1925年にはANCが議会の閉会歌として採用し、政治的な会合での賛歌として歌われるようになる。アパルトヘイト時代には、黒人運動の賛歌として南アフリカだけでなく様々なところで歌われていった。

後半にアフリカーンス語と英語で歌われる『南アフリカの呼び声』が誕生したのは1910年に南アフリカ連邦が誕生してからのこと。同国では『神よ国王を護り給え』が建国以降使われていたが新たな国歌を作る動きが起こる。Cornelis Jacobus Langenhovenも国歌制作を行った一人で、1918年5月にアフリカーンス語で作詞作曲を行った。しかし曲の評判は今一つで、1921年にML de Villiersが詞に合わせ作曲したメロディがついているのが現在も歌われている『南アフリカの呼び声』になる。
1928年、新たな国歌を定めるコンテストが行われ、選ばれたのが『南アフリカの呼び声』だった。1928年5月31日のケープタウンでの公式国旗掲揚式が公での初演となる。
1936年から1957年まで『南アフリカの呼び声』と『神よ国王を護り給え』が国歌として併用されることが定められた。1952年には公式英語版『南アフリカの呼び声』の公式使用が認められる。政府が『南アフリカの呼び声』単独で国歌と定めたのは1957年5月2日。1959年には議会法によって改めて確認された。

1994年4月、南アフリカ初の全人種選挙が行われネルソン・マンデラが大統領に就任。同年4月20日に官報で南アフリカ共和国には『神よ、アフリカに祝福を』『南アフリカの呼び声』の2つを国歌とすると定めた。しかし、両曲を歌うのは長すぎるということになり、政府は国歌委員会を設置。そこで提案されたのが両曲の短縮版を統合し一つの曲にすることだった。
1996年、大統領の布告により国歌を定めるとした新憲法が制定され、1997年10月10日にネルソン・マンデラ名義で「私はここに、別表に示された音楽と歌詞の短縮版『神よ、アフリカに祝福を』と『南アフリカの呼び声』を、南アフリカ共和国の国歌とすることを決定します」と官報に掲載され、『南アフリカ国歌』という名で2曲が統合され現在に至る。

EXCELSIOR

憲法一章4条で「共和国の国歌は大統領が布告によって決定する」と明記されている。そのため、法律ではなく大統領が官報で発表した内容で国歌が定まっている。

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法律は確認できなかった。

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1997年の『南アフリカ国歌』となった際の英語訳は国歌委員会で編曲も行ったJeanne Z.Rudolphが担当した。

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官報は英語とアフリカーンス語で記載されており、前半の曲名は“Nkosi Siketet’ iAfrika”と両言語とも同じ表記だが、後半は“The Call of South Africa” “Die Stem van Suid-Afrika”と違う言語で書かれている。

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歌詞の言語は、南アフリカにある11の公用語のうち最も人口の多い5つの言語が採用されている。

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政府ポータルには、定まった形や訳がなく場所や機会によって異なると書かれており、歌い方に統一性がないことを示唆する表現がある。

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国歌斉唱中の姿勢として、民間人は脱帽し、両手を横に置くことを求められる。

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ザンビアタンザニア、ナミビア(旧)、ジンバブエ(旧)の国歌が“神よ、アフリカに祝福を”のメロディを採用している。

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ソントンガが1902年に逝去しブラームフォンテーン墓地に埋葬されたが、手入れ不足や国内の混乱による破壊行為などで埋葬地がわからなくなっていた。ソントンガの墓探しが始まったのは1995年末。とある晩餐会でソントンガの親族が同席したネルソン・マンデラ大統領に埋葬されているはずだと話すと、マンデラは調査すると約束したという。大々的な調査によって、翌年墓石跡が発見され、1996年9月24日ソントンガの墓の上にモニュメントが建てられた。

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ソントンガの妻ダイアナは、“神よ、アフリカに祝福を”の権利を6ペンスで売ったと言われている。

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“神よ、アフリカに祝福を”はウェールズの作曲家Joseph Parryの作品“Aberystwyth”からインスピレーションを受けて作曲されたという説がある。
https://www.youtube.com/watch?v=979JrZs1log

歌詞

(コサ語)
Nkosi sikelel’ iAfrika
Maluphakanyisw’ uphondo lwayo,

(ズールー語)
Yizwa imithandazo yethu,
Nkosi sikelela, thina lusapho lwayo.

(ソト語)
Morena boloka setjhaba sa heso,
O fedise dintwa le matshwenyeho,
O se boloke, O se boloke setjhaba sa heso,
Setjhaba sa South Afrika – South Afrika.

(アフリカーンス語)
Uit die blou van onse hemel,
Uit die diepte van ons see,
Oor ons ewige gebergtes,
Waar die kranse antwoord gee,

(英語)
Sounds the call to come together,
And united we shall stand,
Let us live and strive for freedom,
In South Africa our land.

歌詞 日本語訳

 

歌詞 カタカナ読み

 

国歌に関するリンク

【政府ポータル “National anthem”】
https://www.gov.za/about-sa/national-symbols/national-anthem

【政府ポータル “The Constitution of the Republic of South Africa”】
https://www.gov.za/documents/constitution/constitution-republic-south-africa-1996-1

【大統領府 “National Symbols”】
https://www.thepresidency.gov.za/national-symbols#slider15

【基礎教育省 “My Country South Africa”】
https://www.education.gov.za/Portals/0/Documents/Publications/My%20Country%20SA.pdf

【Department of International Relations and Cooperation “South African National Anthem”】
https://www.dirco.gov.za/south-african-national-anthem/

【City of Johannesburg “​​​​The author of our anthem​”】
https://www.joburg.org.za/play_/Pages/Play%20in%20Joburg/Culture%20and%20Heritage/Links/-The-author-of-our-anthem.aspx

【Gazettes Africa “South Africa Government Gazette dated 1997-10-10 number 18341”】
https://gazettes.africa/akn/za/officialGazette/government-gazette/1997-10-10/18341/eng@1997-10-10

【Gazettes Africa “South Africa Government Gazette dated 1997-10-10 number 18341”】
https://gazettes.africa/akn/za/officialGazette/government-gazette/1997-10-10/18341/eng@1997-10-10

【南アフリカ政府観光局 “ヨハネスブルグのブラームフォンテーン地区”】
https://travel.south-africa.jp/spot/gauteng24/

【Langenhoven Gedenkfonds “Langenhoven se lewensverloop”】
https://cjlangenhoven.co.za/langenhoven-se-lewensverloop/

【BBC “Joseph Parry’s Te Deum: Premiere for lost composition”】
https://www.bbc.com/news/uk-wales-18770309

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