君が代神話 歌詞の由来はヘブライ語? 世界国歌コンクール優勝??

私達が何気なく子供の頃から歌っている日本国国歌“君が代”。

皆さんはどれほどこの国歌について知っているでしょうか?

実は謎が多い歌というのはあまり知られていません。

すべてを語るには分厚い本ができてしまうので、今回は君が代を取り巻く2つの謎をご紹介します。

  • 歌詞の意味
  • 世界国歌コンクールで優勝は本当か

 

君が代の歌詞の意味は不明!? 日本の風土が生んだユニーク国歌

国歌は国の象徴ということもあり、伝えたいことが歌い手や聞き手に分かるようになっています。歴史や文化、その国の理想や社会構造・・・しかし君が代は歌い手の解釈によって意味が変わるユニークな国歌なのです。

歌詞は900年代に完成したと言われる古今和歌集から持ってきたもので国歌の歌詞としては世界最古です。

出典が古く製作者が不明なことも相まって定まった解釈ができていません。そのため、時代ごとに多様な解釈をする人が現れ、その度に違う顔を持つ“君が代”が誕生しました。

中には、中東の国イスラエルで使われているヘブライ語に歌詞を無理やり寄せることで預言の言葉を歌う国歌だと言う解釈もあるほどです。日ユ同祖論者が大好きな説です。

しかし多くの場合、解釈の違いは歌い出しの“きみ”という主語の部分が変わることで生まれます。

「⚫⚫の世の中が いつまでも さざれ石(細かい石)が巌(大きな岩)になり、そこに苔が生えるほど(続きますように)」

“きみ”の部分に当たる⚫⚫が変わることで内容が大きく変化します。主な解釈は3つ。

 

①国(日本)

②恋人

③天皇

 

よく解釈されているのは①でしょう。

君が代がどのように誕生したのかを知らない人にとっては、受け入れやすく納得する内容です。日本が永らえることを歌い、国歌らしく国の繁栄を表現するという解釈。

 

②は古今和歌集まで遡ります。この歌集はテーマや誰に宛てた詩なのかで章立てしているのですが、もとの歌は天皇に向けた詩が集まる章ではなく大切な人たちに当てた章なのではと言われています。

③を主張する人は“君が代”が誕生した時期で解釈します。当時は天皇をトップとし国作りをおこないました。そのような時期に作った歌なのですから“きみ”=“天皇”と解釈するのは自然だと。

先にも書いたように国歌はその国の象徴です。そう考えると歌詞の解釈を考えるとやはり、制作された時代を考えるべきだと思います。するとヘブライ語を意識したなんてことはありえないし(1000歩ゆずって古今和歌集の歌がヘブライ語を意識して書かれたとしても国歌としての君が代の“本当の意味”なんて紹介をするのは妥当ではない)、①や②よりも③の主張がもっともと思えます。

国歌制作を日本政府から依頼されたお雇い外国人エッケルトは自身が国歌を作ったことを祖国であるドイツの新聞で発表しているのですが、その新聞で紹介されている歌詞に“天皇の世は・・・”とドイツ語で記載されています。制作を依頼されたエッケルトは依頼された人物に「天皇の世が続くように・・・みたいな内容の歌詞なんでこれに曲つけて」と言われているのです。

 

それでもどれが正しいとは言えません。

なぜなら国民が議論をせず結論を出さずにいるからです。

 

日本国歌が正式に国歌として制定されたのは1999年。国旗国歌法によってこれまで慣習として歌われてきたものを正式に国会が“君が代”を国歌として認めたわけですが、内容を見るととってもシンプルです。

〈国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号)〉

(国歌)

第2条  国歌は、君が代とする。

2    君が代の歌詞及び楽曲は、別記第2のとおりとする。

 

別記第2(第2条関係)

君が代の歌詞及び楽曲

 

~歌詞~

君が代は

千代に八千代に

さざれ石の

いわおとなりて

こけのむすまで

 

~君が代の楽譜~

君が代の楽譜

 

 

 

 

 

 

 

(国歌部分のみ抜粋)

国歌について定められているのは、メロディと歌詞、そして作曲者の名前のみ(作詞家は詠み人知らず)。歌詞の内容については触れられていません。

この法案が提出されたきっかけは広島の県立高校の校長が自殺したことでした。

入学式・卒業式に君が代を歌うよう求めた教育委員会と斉唱を拒否する教員の板挟みに悩んだ末の悲劇。これも歌詞の意味がはっきりしないが故です。

国歌はその国の一端を教えてくれます。まさに君が代は日本の曖昧文化を教えてくれます。

主語をはっきりしない。和を尊ぶがゆえに自己主張をあまりせず、なんとなくまとめることができる日本人の能力。それは素晴らしい面を持ちますが時にトラブルを生むことも・・・それが君が代に現れています。

さらに言えば、戦後ろくに議論もせず天皇の存在、歴史を曖昧にしてきている日本社会の表れでもありますね。

 

 

世界国歌コンクールで優勝した君が代!? 国歌ランキング1位伝説

インターネットで“君が代”を検索すると出てくる有名なエピソードがあります。

“ドイツで開催された世界国歌コンクールで優勝”

単なるガセネタなのかと思いきや、それなりの立場の方が優勝したことを紹介しています。

月尾嘉男 東京大学名誉教授

「君が代は1903年にドイツで開催された「世界国歌コンクール」で一等賞を受賞していますが、行進曲風の勇ましい旋律が多い中で、短いながらも穏やかな歌詞と旋律が評価されたのだと思います」

(TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」2016)

 

中村登美 参議院議員(当時)

「国歌「君が代」につきましては、世界の国歌コンクールで一位になるほどの音楽的な価値の高さ、その美しいハーモニーと、日本古来の雅楽の伝統を持った「君が代」でございます」

(第072回国会 文教委員会 1974)

 

自衛隊鹿児島地方協力本部(現在は削除)

「君が代は世界国歌コンクールで優勝した」

 

他国の名だたる名曲をおさえ優勝したならすごいことです。

しかし冷静に考えるとどうでしょう。

国歌に優劣をつけるということが本当に行われたのでしょうか?

そこで当時、日本で発行された主要新聞を調べてみることにしました。

1906年というと日本が日清戦争、日露戦争で連勝を重ね大国として自信をつけ始めた頃です。そんな時期に“君が代”が優勝したとなれば新聞が取り上げないはずありません。

しかし元旦から大晦日まで、一面から最後まで探してみましたがそのような記事は見つかりませんでした。念の為前後1年も調べてみましたが結果は同じ。

国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築しているデータベース“レファレンス協同データベース”で神奈川県立図書館による調査結果を公表していました。

報告によればこのような記述をした書籍はどこにも見当たらなかったと報告しています。

本当にこんなコンクールがあったのかとても疑問です。

詳細はこちら

 

1億歩譲ってコンクールがあったとしても紙面に載らないようなとてもとてもとても小さな国歌好きの人が開催した内輪なイベントといえます。そんな大会で優勝したことに胸を張り自慢するというのはどうなんでしょう。

 

可愛そうな国歌“君が代”

リオデジャネイロ五輪壮行会で、国歌を歌わなかった選手たちに対し森元首相は

「なぜ国歌を歌わないのか。選手は口もぐもぐするのではなく、口を大きくあけて国歌を歌ってください。国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない。そう思う」

と発言しました。

これはのちに、国歌独唱と知らなかった森氏の勘違いという風に終わっているわけですが、それでも“国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない”という発言には注意が必要です。

よく“君が代”に愛着がないと批判する人がいますが、それも仕方がないと思うのは愛国心が足りないでしょうか?

先にも書きましたが “君が代”の歌詞の内容がハッキリ決まっていないのに好きになれというのは無理な話かと・・・

国歌斉唱を強制する動きは世界で少しずつ広がっています。

最近でいえば、中国、インド、ハンガリー・・・

「国歌を歌って」という人達の目的が愛国心を育てることであるならば、“君が代”がどういうものなのかをしっかり定める所に力を注ぐべきです。

君が代は可愛そうです。

メロディが独特で、“好きだ”という国歌ファンが世界中にいるにもかかわらず、日本では腫れ物扱いされ議論されることがありません。

もっと議論の場を作り事実無根の伝説が独り歩きしないようにしてほしい。

これが当プロジェクトの想いです。

ざっくりまとめましたので、言葉足らずな点が多いことは否めません。

ご興味ある方は是非様々な資料を読んで調べてみてください。

君が代の奥深さを知ることが出来ますよ^^

特に学校の先生には読んでいただきたいです!

 

当プロジェクトでは君が代に関する書籍を紹介しています。

君が代に関する書籍一覧

 

その中でも【「君が代」の履歴書 (シリーズ教育直語)】は、

この類によく見られる「と想像できる」という言葉で自身の論説を力技で、

成立させようとせず、論理的に一つ一つの説を検証しています。