トルコ共和国 国歌「独立行進曲」

トルコ共和国 国歌「独立行進曲」

タイトル

İstiklal Marşı(確認中) /独立行進曲

『トルコ共和国国歌』と紹介されることもある。

作詞

Mehmet Akif Ersoy /メフメト・アーキフ・エルソイ

1873年12月20日トルコ・イスタンブール Fatih ilçesinin Sarıgüzel生まれ。高校時代から詩の制作をはじめ、高校卒業後はHalkalı獣医学校で学ぶ。その後1908年まで農務省で勤務しながら当時の政治体制に反対する政治団体に所属し積極的に活動した。活動中に詩を書き文才が評価されるようになる。しかし政治活動他が理由で解任され、教職についた。雑誌Sebil-ür-reşatを発行し、社説や詩を書くなどし活躍。1920年4月10日イスタンブールからアンカラに向かい民族闘争に参加。同年4月20日には最高投票数で国会議員となる。独立戦争中は各地を遊説して周った。1926年から1936年までエジプト・カイロのCami’ül Mısriye大学でトルコ語の教鞭をとっていたが、経済苦に加え肝硬変と精神病が悪化。故郷で死にたいという本人の希望で1936年6月17日イスタンブールに戻る。
1936 年 12 月 27 日19時45分、イスタンブールのベイオール地区にあるエジプトアパートメントの自宅で逝去した。棺は国旗で巻かれ、国歌の歌詞が朗読される中で墓に納められた。
2016年作詞家の名を関した科学芸術賞が創設された。

作曲

Osman Zeki Üngör /確認中

1880年トルコ・イスタンブール ユスキュダル生まれ。11歳でオスマン帝国初の音楽学校Muzikâ-i Hümâyûnに入学し才能を開花。オスマン帝国34代皇帝アブデュルハミト2世に認められフランスでヴァイオリンを習い、若くしてMuzikâ-i Hümâyûnの首席奏者に任命される。その後、複数のオーケストラの指揮者を務めた。1958年2月28日イスタンブールで逝去。

採用年

1921年3月12日

大国民会議で歌詞が採択された日で、毎年同日が国歌採択の日として定められている。

成り立ち

13世紀から始まったオスマン帝国では“国のシンボル”としての国歌が存在しなかった。似たものが誕生したのは19世紀マフムト2世の治世。彼は近代的な軍楽隊を組織し、歌詞のない『Mahmudiye Marşı’nı』をイタリア人作曲家Guiseppe Donizettiに作らせる。しかし、君主が変わるたびに曲が変わったため、国際社会で言われる“国歌”とは言えないものだった。

1918年、オスマン帝国が第一次世界大戦で敗北し国力が著しく低下すると列強諸国による占領の危機に陥る。そこで、帝国政府に対する形で立法府である大国民議会が設立され祖国解放戦争を開始。
第一回大国民会議が行われた1920年4月23日に国歌の必要性が初めて公式の場で提起される。大国民議会が正式な政府として国際的に認められるために国歌が必須だと考えていた。また、戦う兵士や国民たちを鼓舞するものが必要だとして、軍はフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』のような国歌を作るよう政府に要請する。

要請に応える形で国歌の歌詞を決めるコンペが開かれた。参謀本部は教育省に以下のような注文をしている。「わが戦争の意味を説明し、国民と軍人を奮い立たせ、他国の国歌に匹敵するような国歌を」。優勝賞金500リラで新聞に掲載し募集をすると、1920年12月23日の期限までに724の詩が集まった。しかし、納得のいくものがなかった。そんな状況の中、当時の教育大臣Hamdullah Suphi BeyはMehmet Akif Ersoyが歌詞を提出していないことを知り手紙を書き、議員のHasan Basri Çantayを通し制作を依頼(1921年2月5日署名の手紙)。当時Mehmet Akif Ersoyはカスタモヌの演説が印刷されるなど知られた人物だった。しかしMehmet Akif Ersoyは「国歌をお金で書くことはできない」と言ってコンテストの参加を拒否した。そこで優勝賞金はなしにできるとした所、歌詞の作成を快諾。アンカラのAltındağにあった自宅Taceddin Dergâhıで10日間書き続け1921年2月17日に完成させると教育省に送った。

教育大臣はAkifの作品を含む数作品に絞り込み、軍の司令官宛に“どの詩が兵士たちを熱狂させたか教えてほしい”と綴った手紙を送る。大臣は、戦場は厳しい状況だったので軍に気に入られてから議会の採択に回したと当時を振り返っている。

1921年2月26日から国歌が議会で議論になる。3回目の最終回1921年3月12日に国歌の歌詞として採用の是非が問われ、賛成多数で承認。その日議会で詩が朗読されるとスタンディングオベーションが起きたという。

1921年3月13日、Adnan Bey副議長がメロディを決めるコンペ開催の嘆願書を提出すると、17日には募集を開始。期限は5月中旬で、詩に合うメロディが求められ優勝者には500リラが支払われるとした。しかし参加したのはわずか24人で選考は困難を極め、当時の教育大臣Mehmet Vehbi Bey’は国内に限らず海外に作曲を依頼することを検討している述べるほどだった。この問題はアンカラからイスタンブールにある教育総局で審査されることになる。メンバーはトルコの伝統音楽マカームに造詣が深い人たちが多く、そこで“推薦”されたのがAli Rifat Çağatayの作品だった。

1923年7月19日付けで審査メンバーのサイン付きでAli Rifat Çağatayを推薦するという書簡が残されている。しかし、省庁や教育現場から国民感情に熱意を持たせるほどの力がないと反対意見が出て、議会が承認するほどの賛同を得ることができなかった。このためメロディは未承認のまま全国で国歌として1930年まで使われることとなる。しかし当時の国内情勢は安定しておらず、メロディの統一には苦労し様々なメロディで歌われたという。

1930年、Ali Rifat Çağatayの弟で教育省事務次官のSamih Rifat Beyが退省すると、当時、大統領管弦楽団の指揮者だったOsman Zeki Üngörの作品が公式に国歌として認められ今に至る。
この作品は1922年9月10日にイズミル解放の知らせを聞いて作曲したもので、その日から作曲を始め3日間で完成させたと言われる。同年10月2日に英雄としてアンカラに帰還していた後の初代大統領ムスタファ・ケマルが出席した帰還式典で演奏され、ムスタファ・ケマルは大いに気に入ったという。

EXCELSIOR

憲法第一章2条で、「国歌は“İstiklal Marşı”とする」と記載されている。

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国歌に関する法律はいくつかあるが、国歌歌詞とメロディを定めるものは確認できなかった。

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2007年5月4日法律5649が採択され、毎年 3 月 12 日が国歌採択と作詞家の記念日に定められた。

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2010年6月12日、閣議決定2010/1126により、国歌が知的芸術作品法第 5846 号に基づいて保護される金銭的権利の対象にならないと定めた。

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通常1番と2番が歌われる。10番は歌われない?

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賞金があるという理由で制作を拒否したMehmet Akif Ersoy。賞金は本人の希望で貧しい子供たちや女性に仕事を与えるために設立された赤十字傘下の組織に払われた。
彼は経済状況に余裕があってやったわけでない。お金には困っていたようで、Mehmet Akif Ersoyはコートを持っておらず寒い日は友人から借りるなど質素な生活をしていたという逸話も残る。

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1936年、エジプトから帰国したMehmet Akif Ersoyを見舞った友人が「もう一度このような詩を書きますか」と尋ねた際、「あの詩はもう二度と書けない。あれを書くためには、その時代を見ること、その時代を生きることが必要だ。あの詩はもう私のものではない、国のものだ。それは、私が国民に贈る最も大切な贈り物だ。アッラーがこの国に二度と国歌を書かせませんように・・・我が国が永遠に独立し、自由に生きられますように」と言ったとされる。

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アンカラ時代に住んでいた家はMehmet Âkif Ersoy Museum Houseとして一般公開されている。2018年作曲者の終の棲家(アパート)を博物館にすると発表しているが現状は不明

https://www.turkpress.co/node/55944

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詩として歌詞を読み上げる機会が多い。

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各スタンザは全て韻を踏んでいる。

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Osman Zeki Üngörが作曲したメロディの最初の10小節が、ルーマニア人作曲家lon Ivanovici’の『Carmen Silva』に似ていることから盗作疑惑がある。公の場で疑惑を訴えたのはBursa出身のOsman Şevki議員だった。

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メフメト・アーキフ・エルソイは来日した際、東郷平八郎との交流しており、その様子を自身の詩”日本人”にその様子を書いている。

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クルド人を中傷した歌手に対して国歌の清書を命じる判例がある。

歌詞

【1】

Korkma, sönmez bu şafaklarda yüzen al sancak;

Sönmeden yurdumun üstünde tüten en son ocak.

O benim milletimin yıldızıdır parlayacak;

O benimdir, o benim milletimindir ancak.

【2】

Çatma, kurban olayım çehreni ey nazlı hilal!

Kahraman ırkıma bir gül! ne bu şiddet bu celal?

Sana olmaz dökülen kanlarımız sonra helal,

Hakkıdır, Hak’ka tapan, milletimin istiklal!

【3】

Ben ezelden beridir hür yaşadım, hür yaşarım.

Hangi çılgın bana zincir vuracakmış? Şaşarım;

Kükremiş sel gibiyim, bendimi çiğner aşarım;

Yırtarım dağları, enginlere sığmam, taşarım.

【4】

Garbın afakını sarmışsa çelik zırhlı duvar,

Benim iman dolu göğsüm gibi serhaddim var.

Ulusun, korkma! Nasıl böyle bir imanı boğar.

“Medeniyyet!” dediğin tek dişi kalmış canavar?

【5】

Arkadaş! Yurduma alçakları uğratma sakın!

Siper et gövdeni, dursun bu hayasızca akın.

Doğacaktır sana vaadettiği günler Hak’kın;

Kimbilir, belki yarın, belki yarından da yakın.

【6】

Bastığın yerleri “toprak” diyerek geçme, tanı!

Düşün, altında binlerce kefensiz yatanı.

Sen şehit oğlusun, incitme, yazıktır atanı;

Verme, dünyaları alsan da bu cennet vatanı.

【7】

Kim bu cennet vatanın uğruna olmaz ki feda?

Şüheda fışkıracak toprağı sıksan, şüheda!

Canı, cananı, bütün varımı alsın da Hüda,

Etmesin tek vatanımdan beni dünyada cüda.

【8】

Ruhumun senden, ilahi şudur ancak emeli;

Değmesin mabedimin göğsüne na-mahrem eli!

Bu ezanlar ki şahadetleri dinin temeli,

Ebedi yurdumun üstünde benim inlemeli

【9】

O zaman vecd ile bin secde eder varsa taşım;

Her cerihamdan, ilahi, boşanıp kanlı yaşım,

Fışkırır ruh-i mücerret gibi yerden naşım;

O zaman yükselerek arşa değer belki başım!

【10】

Dalgalan sen de şafaklar gibi ey şanlı hilal;

Olsun artık dökülen kanlarımın hepsi helal!

Ebediyyen sana yok, ırkıma yok izmihlal.

Hakkıdır, hür yaşamış bayrağımın hürriyet;

Hakkıdır, Hak’ka tapan milletimin istiklal!

歌詞 日本語訳

 

歌詞 カタカナ読み

 

国歌に関するリンク

【大統領府 “İstiklal Marşı Gerçek Bir Bağımsızlık Beyannamesidir”】
https://www.tccb.gov.tr/haberler/410/40123/istiklal-marsi-gercek-bir-bagimsizlik-beyannamesidir

【大統領府 “Cumhurbaşkanı Erdoğan, tüm yurtta aynı anda okunan İstiklal Marşı’na eşlik etti”】
https://www.resmigazete.gov.tr/eskiler/2010/12/20101209-2.htm

【T.C. CUMHURBAŞKANLIĞI RESMÎ GAZETE “Karar Sayısı : 2010/1126”】
https://www.tccb.gov.tr/haberler/410/127928/cumhurbaskani-erdogan-tum-yurtta-ayni-anda-okunan-istiklal-marsi-na-eslik-etti

【文化観光省 トルコ国旗と国歌”】
https://www.ktb.gov.tr/TR-288733/turk-bayragi-ve-istiklal-marsi.html

【議会トルコ共和国憲法”】
https://www.tbmm.gov.tr/Sayfa/Anayasa

【議会“Istiklal_Marsi_100_Yasinda_Sergi_Katalogu”】
https://www5.tbmm.gov.tr/yayinlar/2021/Istiklal_Marsi_100_Yasinda_Sergi_Katalogu.pdf

【議会“İSTİKLAL MARŞI’NIN KABULÜ’NÜN 94. YILI ve MEHMET AKİF ERSOY’U ANMA GÜNÜ”】
https://www5.tbmm.gov.tr/yayinlar/brosurler/m_akif.pdf

【議会“İS­TİK­LAL  MAR­ŞI­NIN  KA­BUL EDİL­Dİ­Ğİ GÜ­NÜ VE MEH­MET AKİF ER­SOY’U”】
https://www5.tbmm.gov.tr/kanunlar/k5649.html

【議会“Türkiye Büyük Millet Meclisi Genel Kurul Tutanağı 20. Dönem 2. Yasama Yılı 67. Birleşim 12 Mart 1997 Çarşamba”】
https://www5.tbmm.gov.tr//develop/owa/tutanak_b_sd.birlesim_baslangic_yazici?P4=197&P5=B&page1=9&page2=9

【議会“İSTİKLAL MARŞI’NIN KABULÜ VE MEHMET AKİF ERSOY’U ANMA GÜNÜ’NE İLİŞKİN”】
https://www5.tbmm.gov.tr//develop/owa/genel_kurul.cl_getir?pEid=709

【議会“TÜRKİYE BÜYÜK MİLLET MECLİSİ BAŞKANI SAYIN BÜLET ARINÇ’IN TBMM ESKİ SENATO SALONUNDA “MİLLİ EGEMENLİK, İSTİKLAL MARŞI VE M.AKİF ERSOY” PALENİ’NDE YAPTIKLARI KONUŞMA”】
https://www5.tbmm.gov.tr//develop/owa/web_basin_aciklamalari.aciklama?p1=2252

【議会“Türkiye Büyük Millet Meclisi İdari Teşkilatı’nın Tarihçesi ve Organizasyonu”】
https://www.tbmm.gov.tr/kurumsal-tarihce

【ロイター“トルコの裁判所、ポップ歌手に国歌の清書を命じる”】
https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-14227120100308

【CNN“İstiklal Marşı’nın ilk bestesinin taş plağı”】
https://www.cnnturk.com/2008/kultur.sanat/diger/03/12/istiklal.marsinin.ilk.bestesinin.tas.plagi/437116.0/index.html

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