ラオス人民民主共和国 国歌「ラオス国歌」
ラオス人民民主共和国 国歌「ラオス国歌」
タイトル
ເພງຊາດລາວ (確認中) /ラオス国歌
ASEANのウェブサイトでは“Laotian National Anthem (Pheng Xat Lao)と記載されている。オリジナル楽譜のタイトルに書かれている“ເພງຊາດລາວ”と紹介されることが多い。国会では“ຊາດລາວ”と記載。日本政府の資料でも分かれている。
作詞
ສີຊະນະ ສີສານ/確認中
1950年8月13日、ラオス自由戦線の会議でラオスフリーという新聞を創刊すること決めた際、ສີຊະນະ ສີສານが編集長に任命される。1975年、ラオス人民民主共和国が樹立すると、情報・文化・観光大臣に就任し1983年まで務めた。
作曲
ທອງດີ ສຸນທອນວຶຈິດ /確認中
詳細不明。
採用年
1950年8月13日
成り立ち
フランス植民地を経て、日本の占領下だった1945年に独立派がフランスからの独立を宣言するも、日本敗戦後にラオス王国は宣言を撤回。1947年からラオス王国国歌(メロディは現在と一緒)が制定されたという情報あり。1949年にフランス連合内での名目上の独立をする。このラオス王国国歌があったという情報あり。
現在、ラオスの実権を握っているラオス人民革命党の起源であるラオス自由戦線(ネオ・ラオ・イサラ)の成立を宣言した1950年8月13日の第一回全国大会において、ラオス政府を樹立することや、国名、国旗、そしてສີຊະນະ ສີສານが作詞したものを国歌に定めるとした方針を採択。ラオス自由戦線を前身とする左派勢力と王政派の右派勢力の内戦が行われた。
ベトナム戦争後、左派が勝利すると1975年12月2日にラオス人民民主共和国が成立すると国歌が現在のものに改められた。(メロディはそのままで歌詞だけສີຊະນະ ສີສານのものに変更?)
EXCELSIOR
♪
憲法92条で“ラオス人民民主共和国の国歌は「ペーン・サット・ラオ」とする”と記載。法務省の資料では表記を“サット・ラオ”と記載されている。
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法律は確認できなかった。
歌詞
ຊາດລາວຕັ້ງແຕ່ໃດມາ
ລາວທຸກທົ່ວຫນ້າເຊີດຊູສຸດໃຈ
ຮ່ວມແຮງຮ່ວມຈິດຮ່ວມໃຈ
ສາມັກຄີກັນເປັນກຳລັງດຽວ
ເດັດດ່ຽວພ້ອມກັນກ້າວຫນ້າ
ບູຊາຊູກຽດຂອງລາວ
ສົ່ງເສີມໃຊ້ສິດເປັນເຈົ້າ
ລາວທຸກຊົນເຜົ່າສະເຫມີພາບກັນ
ບໍ່ໃຫ້ພວກຈັກກະພັດ
ແລະພວກຂາຍຊາດເຂົ້າມາລົບກວນ
ລາວທັງມວນຊູເອກະລາດ
ອິດສະຫລະພາບຂອງຊາດລາວໄວ້
ຕັດສິນໃຈສູ້ຊີງເອົາໄຊ
歌詞 日本語訳
歌詞 カタカナ読み
国歌に関するリンク
【ສະພາແຫ່ງຊາດ ແຫ່ງ ສປປ ລາວ “ສ.ປ.ປ ລາວ”】
【ທະນາຄານແຫ່ງ ສປປ ລາວ “党の統一旗の元で66年”】
【ວັດທະນະທຳ ແລະ ທ່ອງທ່ຽວ, ອອກແບບ ແລະ ພັດທະນາໂດຍ “ປະຫວັດຄວາມເປັນມາ ແລະ ການເຕີບໃຫ່ຍຂອງ ກະຊວງ ຖ ວ ທ”】
【ສະພາແຫ່ງຊາດ ແຫ່ງ ສປປ ລາວ “ລັດຖະທຳມະນູນແຫ່ງ ສປປ ລາວ”】
【ASEAN “ASEAN Members National Anthems”】
【ສຳນັກຂ່າວສານປະເທດລາວ “50 ປີ ສຳນັກຂ່າວສານປະເທດລາວ ຂປລ/KPL”】
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