ブルガリア共和国 国歌「親愛なる祖国」
ブルガリア共和国 国歌「親愛なる祖国」
タイトル
Мила Родино(確認中) /親愛なる祖国
作詞
Цветан Радославов /確認中
1863年4月19日ブルガリア・スヴィシュトフ生まれの教師で詩人。国内で学んだのちウィーン大学でスラブ研究を行い、ドイツのライプツィヒで哲学の修士号を取得する。卒業後ウィーン、ライプツィヒ、プラハから教職のオファーがあったにもかかわらず、ブルガリアに戻り高校で教鞭をとった。1931年10月28日ブルガリア・ソフィアで逝去。
作曲
同上
採用年
1991年7月12日
国歌に関して明記された共和国憲法が採択された日。国歌として初めて採用されたのは人民共和国時代の1964年9月8日。
成り立ち
オスマン帝国から独立したブルガリア公国は、当初独立の後ろ盾となったロシア帝国国歌『神よツァーリを護り給え』を使用していた。
しかし1885年、ブルガリア公国と東ルメリア州が統一され、これに反対していたロシア帝国と関係を絶ったことで国歌として『Шуми Марица』が国歌として使われるようになる。『Шуми Марица』の成り立ちの詳細はこちら。
現在の国歌『親愛なる祖国』の原曲もこの時代に誕生した。1885年、セルビア・ブルガリア戦争に出兵するためブルガリアに帰国していたЦветан Радославовが愛国歌「Gorda Stara Planina(誇らしき古き山)」を制作。これを作曲家Христов, Добриが編曲を行い『親愛なる祖国』というタイトルで1905年に発表され現在演奏されている形になった。しかし『親愛なる祖国』が国歌となるのは先の話となる。
1944年、第2次世界大戦の最中、クーデターによって共産主義政権が成立し大戦終結後に王政が廃止されると社会主義のブルガリア人民共和国となった。1947年、同国はこれまで使われてきた『Шуми Марица』が社会主義国家の国歌にふさわしくないということで『Републико наша, здравей!』に変えることを決定する。
1951年には『Българийо мила』に変更。しかしこの曲がソ連国歌に似ているという理由で変更が議論された。
1963年、翌年に行われるブルガリア社会主義革命勝利20周年記念式典に合わせ、ブルガリア人民共和国の新しい国歌を決めるコンペが行われた。しかし納得のいく作品は現れなかった。そこでブルガリア共産党書記長トドル・ジフコフはГеорги Джагаровをオフィスに呼び出し新しい国歌のアイディアを尋ねたという。Георги Джагаровは『親愛なる祖国』を提案した。ジフコフ書記長はこれを受け入れ、関係者を説得すると答えた。Георги Джагаровの回顧録によれば、ジフコフ書記長はГеорги ДжагаровとДимитър Методиевを宮殿にランチで招待したという。そこで書記長は同席していた国歌保安局局長Димитър Гръбчевに言った。「命令を理解したか?この2人の詩人をここで逮捕し、彼らに部屋、鉛筆、紙、食べ物と飲み物、そして必要に応じて売春婦を提供しよう。ミューズ、ミューズ! 詩人はミューズなしではやっていけない -そうだろう、Джагаров? そして、彼らが新しい国歌を書くまで、彼らを解放するな! クリア?」。2人はそれぞれ個室を与えられ作詞を行ったという。2人はソ連との友好関係を表現するため、歌詞を追加し、それに合わせФилип КутевとАлександър Райчевがメロディを追加した。
1964年、『親愛なる祖国』を国歌として認定するかどうかの委員会が発足。同年9月8日の国会幹部会により国歌として承認され9月9日に初めて公で演奏された。
1989年11月10日、共産党独裁体制が終焉し、新憲法が検討される中で国歌の変更も議論される。新しいものや、過去使われていた国歌に戻すなど様々な案が出されたが、歌われていた2節を削除し『親愛なる祖国』を改めて採用することを決める。 1991年の第7回国民議会でブルガリア共和国憲法が採択されると、『親愛なる祖国』はブルガリア共和国の国歌としての地位を確立した。
EXCELSIOR
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憲法の十章34条168において「ブルガリア共和国の国歌は“親愛なる祖国”」と明記されている。
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法律は確認できていない。
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Цветан Радославовが1885年にセルビア・ブルガリア戦争に出兵するためブルガリアに帰国する途中、ドナウ川を航行する船上で同乗していたセルビア人たちが愛国歌を歌っているのを耳にしたことが国歌の元となる曲を制作するきっかけだった。戦場で敵となる彼らは歌う物を持っていて、ブルガリア人にはないということに強く愛国心を掻き立てられ甲板でヴァイオリンを手に自分の詩を弾き語ったと言われている。
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首都にある制作者の家は取り壊され高層ビルになる予定だったが市民運動によって2021年保存が決定された。
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1964年の国歌を定める委員会メンバーだったブルガリア作曲家協会の会長も務めたブルガリア音楽界の重鎮Петко Стайновは『親愛なる国歌』のメロディはユダヤ音楽から借用されたもので国歌にふさわしくないと述べ委員会を解任された。
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Цветан Радославов像のメガネがかっこいい
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2020年2月9日、Пламен Пасков議員が『親愛なる祖国』をユーチューブで使おうとしたところ、「著作権で保護されている」と警告が出たというエピソードを議会で披露し国歌に対する著作権に関して警鐘を鳴らした。持ち主はスウェーデン人作曲家のТоми Стиг Хансенであることが判明し話題に。
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Siriにブルガリア国歌を尋ねると別の曲を答えると問題になった。詳細はこちら。
歌詞
Горда Стара планина,
до ней Дунава синей,
слънце Тракия огрява,
над Пирина пламеней
Припев:
Мила Родино, ти си земен рай,
твойта хубост, твойта прелест,
ах те нямат край
Припев:
Мила Родино, ти си земен рай,
твойта хубост, твойта прелест,
ах те нямат край
歌詞 日本語訳
歌詞 カタカナ読み
国歌に関するリンク
【National Assembly of the Republic of Bulgaria“Constitution”】
【National Assembly of the Republic of Bulgaria “NATIONAL ANTHEM”】(アーカイブ)
【National Assembly of the Republic of Bulgaria “Химн на Република България”】
【National Assembly of the Republic of Bulgaria “Brief history”】
【Архивен фонд на БНР “Историята на българския национален химн”】
【Болгарский Культурный Институт в МОСКВЕ “Юбилей автора гимна Болгарии”】
【Съюз на българските композитори “Цветан Радославов”】
【bgdnes.bg “Спасяват къщата на автора на “Мила Родино””】
【24 часа “Двама “арестувани” поети ремонтират “Мила родино””】
【24 часа “1963 г. Радой Ралин лобира химн да е “Мила Родино””】
【24 часа “Мелодията на българския химн била повлияна от стара еврейска песен”】
【PressTV “Акад.Петко Стайнов изобличил автора на химна в плагиатство и бил наказан”】