フィンランド共和国 国歌「我等の地」

フィンランド共和国 国歌「我等の地」

タイトル

Maamme(マーンメ) /我等の地

上記に加え『Maamme-laulu』や政府の英語サイトでは『Finnish national anthem』と表記したりする。国歌に関する法律がないので正解はないが、当サイトでは駐日フィンランド大使館のTwitterでの表記にならった。

作詞

Johan Ludvig Runeberg /確認中

1804年2月5日、スウェーデン・ヤコブスタード生まれ。編集者や教師を務め、1831年には中等学校を設立、加えて新聞の編集者とポルヴォーにあった学校の校長を務めた。1839年にスウェーデン・アカデミーの詩部門最高賞を受賞。多くの作品を世に残し国内外で高く評価された。1863年、狩猟中に脳溢血で倒れ回復せず、1877年5月6日フィンランドのボルガで逝去。
肖像がヘルシンキにあり、台座に立つ女性の像の手にはスウェーデン語で書かれた国歌の歌詞が刻まれている。

作曲

Fredrik Pacius /フレードリック・パシウス

1809年ドイツ・ハンブルク生まれのヴァイオリニストで作曲家。ワイン商人の家で生まれ、ヴァイオリンの練習に勤しんだ。ヴァイオリンの巨匠ルートヴィヒ・シュポーアの元で音楽を学び、才能を開花させると、ドイツ国内で演奏会を精力的に行う。1828年、その演奏会を聞いていた人物の誘いでストックホルムでの活動を開始。ストックホルム宮廷管弦楽団の第一ヴァイオリニストを務め、1835年に退団するとヘルシンキ大学に招かれ音楽を教えた。以降フィンランドで過ごし、オペラを含む様々な曲を制作したり、自身が指揮者となり活発に活動。オーケストラと合唱の発展に寄与し、「フェンランド音楽の父」とも呼ばれる。彼が作曲した「チャールズ王狩り」はフィンランド初の同国の歴史をテーマにした作品として評価されている。1891年、新年を迎えた直後肺気腫を発症し寝たきりとなり1月7日から8日の夜に逝去した。
カイサニエミ公園には胸像が建つ。彼の名を冠した音楽賞もあり、毎年ミュージシャンに送られている。スウェーデン王立音楽アカデミー会員。

採用年

1898年6月11日

成り立ち

1830年代、すでに独立国だったスウェーデンを真似し、イギリス国歌「神よ国王を護り賜え」が歌われていた。
1846年秋、ポルヴォーにあった学校の校長だったJohan Ludvig Runebergがスウェーデン語で書いた詩“Vänrikki Stoolin tarinat”を出版。作品は国民の間で広まりJohan Ludvig Runebergは国民的詩人となっていく。
多くの作曲家たちが、Johan Ludvig Runebergの詩集に収録されている35ある詩の一つであり冒頭の作品”Vårt land”(我々の土地)にメロディを付けて発表していたが、最も普及したのがFredrik Paciusが1848年に発表した作品だった。ルーネべリの友人でもあったFredrik Pacius は15分で作品をかきあげたと言われている。完成から4日後の1848年5月13日、フローラの日にヘルシンキで行われた音楽祭でFredrik Pacius自ら指揮し披露され好評を得た。
以降、歌詞をフィンランド語に訳す人々が現れる。最初のものとされるのが1848年5月に雑誌で掲載された無名の翻訳者によるもの。その後、いくつものフィンランド訳が作られたが、現在の歌詞の基礎となったのは1867年に結成されたJulius Krohn率いる翻訳チームが作成したもの。その後、Paavo Cajanderが調整を行ったフィンランド語訳の歌詞がついた現国歌『Maamme』が誕生すると一気に普及した。
普及する一方で、国歌にふさわしくないという人たちも一定数いて度々議論となったが、1939年ソ連の侵攻によって愛国心が高められることとなり、皮肉なことに戦争が『Maamme』が国歌であるという認識を定着させることとなった。

EXCELSIOR

憲法での明記はない。

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法律はない。

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全部で11節あるが、通常、最初と最後の節が歌われる。

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フィンランド国歌はエストニア国歌と同じメロディを使用している。
エストニア国歌『わが祖国、我が幸せと喜び』の詳細はこちら。

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平和的に学生運動が行われるようフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を含む革命歌が歌われないようにという考えもあってこの曲が作られた。

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毎年2月5日は作詞者の誕生日を祝うルーネベリの日。彼にちなんだルーネベリタルトを食べるのが一般的で、1月頃からカフェやスーパーで販売される。このタルトを開発したのは妻で作家のFredrika Runeberg。フィンランド初の女性新聞編集者の一人としても知られている人物。甘党の夫の機嫌を治す方法として考案したと言われ、ルーネべリはいたく気に入り毎朝食べていたという。

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歌詞となった”Vårt land”(我々の土地)は、1808年から09年のフィンランド戦争の時代を舞台にした35編の英雄詩篇。この戦争で、スウェーデンはフィンランドをロシアに割譲している。作者はフィンランドの愛国心をかき立てることを目的にしており、1836年に発表されたハンガリー国歌『賛歌』に触発されて書いたと言われている。

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制作者2人が純粋なフィンランド人でないことから、制作者が存命の時代から国歌にふさわしくないという議論がある。また、元々の詩がロシアとスウェーデンの話でありフィンランドには関係がないのではということもある。
2001年には国歌をフィンランディアに変えるべきだという提案が国会で出されたが公開討論まで行くことはなかった。これは同年2月に行われたスキーの国際大会でエストニアの選手が優勝し、フィンランドが2位と惜敗をした際、表彰式でフィンランドと同じメロディが流れたことも大きな要因とされている。
2004年には現国歌と“フィンランディア”それぞれを国歌にすることが記載された法案が2つ提出された。

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現在の歌詞はオリジナルを一部修正している。”korkeimman kaiun saa”の部分、“最高の”という単語が、元の詩では “より高い”と書いてあった。

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手話版 手話図書館『Maamme-laulu』

https://viittomakielinenkirjasto.fi/video/maamme-laulu/

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1811年に建てられたJohan Ludvig Runebergが幼少期に使用していたコテージはヤコブスタード博物館の一部として公開されている。

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Johan Ludvig Runebergの自宅は、1880年に政府資金で相続人から買い取られ修復され、1882年に博物館として一般公開された。

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シベリウスはルーネベリの詩を基に“Flickan kom ifrån sin älsklings möte”など多くを作曲している。

歌詞

Oi maamme, Suomi, synnyinmaa!

Soi, sana kultainen!

Ei laaksoa, ei kukkulaa,

ei vettä rantaa rakkaampaa

kuin kotimaa tää pohjoinen.

Maa kallis isien.

 

Sun kukoistukses kuorestaan

kerrankin puhkeaa;

viel’ lempemme saa nousemaan

sun toivos, riemus loistossaan,

ja kerran laulus, synnyinmaa

korkeemman kaiun saa.

歌詞 日本語訳

 

歌詞 カタカナ読み

 

国歌に関するリンク

【法務省 “Constitution”】
https://oikeusministerio.fi/en/constitution-of-finland

【ヘルシンキ市 “Johan Ludvig Runeberg’s Memorial”】
https://hel.fi/helsinki/en/administration/participate/contact/search-address/toimipistekuvaus?id=23052

【ヘルシンキ美術館 “Fredrik Pacius”】
https://www.hamhelsinki.fi/en/sculpture/fredrik-pacius-emil-wikstrom/

【ヤコブスタード博物館 “Runebergs stuga”】
https://jakobstadsmuseum.fi/runebergs-stuga/

【ThisisFINLAND “THE FINNISH NATIONAL ANTHEM”】
https://finland.fi/facts-stats-and-info/the-finnish-national-anthem/

【ThisisFINLAND “RUNEBERG: A PATRIOTIC 19TH-CENTURY RAPPER”】
https://finland.fi/arts-culture/runeberg-a-patriotic-rapper-of-the-19th-century/

【Suomalaisen Kirjallisuuden Seura “Runeberg, Johan Ludvig”】
https://kansallisbiografia.fi/english/person/2846

【Suomalaisen Kirjallisuuden Seura “Pacius, Fredrik”】
https://kansallisbiografia.fi/kansallisbiografia/henkilo/1441

【Savon Sanomat “Maamme-laulua on useasti yritetty syrjäyttää kansallislaulun paikalta”】
https://www.savonsanomat.fi/paikalliset/2829755

【yle “Maamme-laulu on kansallishymnien perikuva – luonto on kaunis ja kansa rauhaisa”】
https://yle.fi/a/3-9439870

【KALEVA “Maam­me-lau­lun sä­vel­let­tiin ja kään­net­tiin monta kertaa – kuun­te­le, miltä Maamme kuu­los­taa Ru­ne­ber­gin omana sä­vel­lyk­se­nä”】
https://www.kaleva.fi/maamme-laulun-savellettiin-ja-kaannettiin-monta-ke/1880930

【svt “J.L. Runeberg – vem var han egentligen?”】
https://www.svt.se/nyheter/uutiset/svenska/j-l-runeberg-vem-var-han-egentligen

【ヘルシンキ市管弦楽団 “Fredrik Pacius ‑palkinto Susanna Mälkille”】
https://helsinginkaupunginorkesteri.fi/fi/uutiset/fredrik-pacius-palkinto-susanna-malkille

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