ハンガリー 国歌「賛歌」

ハンガリー 国歌「賛歌」

タイトル

Himnusz(ヒムヌス)/賛歌

法的にタイトルは定められていないが、駐ハンガリー日本大使館、ハンガリー文化センター、駐日ハンガリー大使のSNS投稿などの情報をもとに『賛歌』とした。

作詞

Ferenc KÖLCSEY /フェレンツ・クルチェイ

1790年8月8日、現在のルーマニア・Sződemeter生まれの詩人。両親が文化人で高度な教育を受け、ハンガリー語だけでなくラテン語とフランス語にも堪能だった。6歳で父親と、14歳で母親と死別しただけでなく子供の頃に天然痘にかかり右目を失明する。
ブタペストで法律と哲学を学んだ後、公証人として働くがSzatmárcsekeに移り住み農業をしながら文学活動を続けた。『賛歌』の歌詞制作後は、政治に興味を持ち1832年に国会議員に選出され3年間議員として活動。1838年8月24日逝去した。オーストリア帝国からリベラルな思想を危険視され毒殺されたという説もある。
現在、Szatmárcseke にはKölcsey Ferenc Emlékházとしてクルチェイに関する品々を展示する博物館がある。

作曲

Ferenc ERKEL /フェレンツ・エルケル

1810年11月7日ハンガリー・ジュラの音楽一家のもとに生まれた。作曲家・指揮者。父に音楽を学んだのちブラシスラバの高校に通う。卒業後はトランシルバニア地方を中心にピアニスト、教師、指揮者として活動。1838年1月17日、ブタペストの国立劇場初代指揮者に就任し、1853年にはフィルハーモニー協会を設立する。1875年には65歳で音楽アカデミーのディレクターを担い、音楽家の育成に尽力。卒業生にはフランツ・リストもいた。
1893年6月15日ブダペストで長い闘病の末逝去。博物館や学校、劇場など彼の名を関した建物や施設が複数あり、生まれ故郷に残る生家は記念館になっている。
チェスプレーヤーとしても名を馳せ、ブタペストのチェス協会設立に関わり、協会長を亡くなるまで務めた。その情熱は国立劇場での出番の合間にチェスが出来るよう舞台裏にチェス盤を置いていたほどだったという。

採用年

1989 年 10 月 23 日

憲法改正により法的根拠を持って国歌として定められた日

成り立ち

18世紀ハプスブルク家の支配から解放を願うハンガリーの人々は国歌として『Ah hol vagy magyarok tündöklő csillaga』『Boldogasszony anyánk』を歌うようになっていたが、19世紀初頭になるとオーストリア帝国支配が強まり、帝国国歌(現ドイツ国歌のメロディ)が祝日で歌われるようになる。
1823年1月22日、クルチェイ・フェレンツが後の歌詞となる詩「Hymnus, a’ Magyar nép zivataros századai」を完成させ、同年12月には『賛歌』と題されたクルチェイ・フェレンツの詩が雑誌「オーロラ」に掲載される。
1844年2月29日に発行された雑誌「Regélő Pesti Fashion Magazine」にて国立劇場が5月1日締切で、国歌として『賛歌』にあうメロディの募集を開始。そこで優勝したのがエルケル・フェレンツの作品「Itt azíris, ferforssáts/Erett esszel, józanon」だった。逸話によると作品は1時間もかからず仕上げたという。5月以降に提出され、応募者の中で最も早く提出している。6月15日に最終候補として残された13作品の中から満場一致でエルケル・フェレンツの曲が選ばれ、翌日発表された。同年7月2日プタペストの国立劇場で、エルケルの指揮のもと初演がされる。
1866年に普墺戦争でプロイセン王国に破れ影響力を失っていたオーストリア帝国のフランツ・ヨーゼフ1世はハンガリー王国の自治を拡大し支配強化を図り、1867年に彼がオーストリア皇帝とハンガリー国王を兼任しオーストリア=ハンガリー帝国を成立させる。この時、国歌はオーストリア帝国国歌(現ドイツ国歌のメロディ)が使用されていたが、『賛歌』が使われることも度々あった。例えば、1902年8月13日にクルージュ(現在のルーマニア)に現在でもあるマティアス王の記念碑の落成式ではハンガリー国歌が流されたという国会議員の発言が議事録に残っている。1903年には軍隊のあり方に関する議論が議会でされ、ハンガリー国歌を優先して使うことが望ましいという意見が出されたが、オーストリア帝国国歌の使用が継続された。同年4月23日には『賛歌』を国歌と定める法案「az egységes magyar nemzet himnuszáról(統一ハンガリー民族の賛美歌について)」が提出され議会は通過したものの国王フランツ・ヨーゼフによって批准を拒否された。
1948年の共産主義独裁政権時代(ハンガリー人民共和国)には、当時の権力者ラーコシ・マーチャーシュ書記長が作曲家コダーイ・ゾルターンに新しい国歌を書くよう要請するも拒否されている。
『賛歌』が国歌として正式に求められたのは1989年。提出された法律XXXI(憲法改正)第75条によって憲法が改正され(10月23日施行)初めて国歌に関して明記された。

EXCELSIOR

憲法では以下のように定められている。
I条(3)
ハンガリーの国歌は、KÖLCSEY Ferencの詩Himnuszと、ERKEL Ferencの音楽とする。

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法律は確認できなかった。

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刑法第334条において国の象徴を侮辱した場合、1年以下の懲役が科せられると定められている。

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8番まであるが公の場で歌われるのは1番のみ。

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1896年から1901年にかけて、オーストリア帝国の国歌とハンガリー国歌の使い分けに関して議会で議論が交わされた記録が残っている。

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1856年5月18日、クルチェイ・フェレンツの墓の落成式で『賛歌』が歌われた。

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2012年のロンドン五輪のフェンシング表彰式で流れた国歌のリズムと音調が違うと選手団からクレームが入る事件があった。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で昨年録音されたものだった。

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第二の国歌と見なされている「Szózat(ソーザト)」(宣言 、声明、布告などの意)がある。ハンガリーの愛国詩人ヴェレシュマルティ・ミハーイ(1800~1855)の詩に曲が付けられたもの。ハンガリーの国家的行事・記念式典等では、冒頭で『賛歌』、閉会の際に「ソーザト」が演奏されることが多い。

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1870年から1873年にかけて、ハンガリー王国出身の作曲家フランツ・リストは「ソーザト」と『賛歌』を組み合わせた作品「Szózat und Ungarischer Hymnus」をソロピアノとオーケストラ用に作曲した。

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作曲家をアパートの一室に誘い込んで外側から鍵を締め作成を強要したという証言も残っているが、現在の研究では否定されている。

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ハンガリー国立銀行は初演から175年、2023年には詩が完成して200年を記念して硬貨を発行した。

歌詞

【1】
Isten, áldd meg a magyart
Jó kedvvel, bőséggel,
Nyújts feléje védő kart,
Ha küzd ellenséggel;
Bal sors akit régen tép,
Hozz rá víg esztendőt,
Megbünhödte már e nép
A múltat s jövendőt!

【2】
Hányszor zengett ajkain
Ozman vad népének
Vert hadunk csonthalmain
Győzedelmi ének?
Hányszor támadt tennfiad
Szép hazám, kebledre,
S lettél magzatod miatt
Magzatod hamvvedre?

【3】
Őseinket felhozád
Kárpát szent bércére,
Általad nyert szép hazát
Bendegúznak vére.
S merre zúgnak habjai
Tiszának, Dunának,
Árpád hős magzatjai
Felvirágozának.

【4】
Bújt az üldözött s felé
Kard nyúl barlangjában,
Szerte nézett s nem lelé
Honját a hazában.
Bércre hág és völgybe száll,
Bú s kétség mellette,
Vérözön lábainál,
S lángtenger fölette.

【5】
Értünk Kunság mezein
Ért kalászt lengettél,
Tokaj szőlővesszein
Nektárt csepegtettél.
Zászlónk gyakran plántálád
Vad török sáncára,
S nyögte Mátyás bús hadát
Bécsnek büszke vára.

【6】
Vár állott, most kőhalom,
Kedv s öröm röpkedtek,
Halálhörgés, siralom
Zajlik már helyettek.
S ah, szabadság nem virúl
A holtnak véréből,
Kínzó rabság könnye hull
Árvánk hő szeméből!

【7】
Hajh, de bűneink miatt
Gyúlt harag kebledben,
S elsújtád villámidat
Dörgő fellegedben,
Most rabló mongol nyilát
Zúgattad felettünk,
Majd töröktől rabigát
Vállainkra vettünk.

【8】
Szánd meg Isten a magyart
Kit vészek hányának,
Nyújts feléje védő kart
Tengerén kínjának.
Bal sors akit régen tép,
Hozz rá víg esztendőt,
Megbünhödte már e nép
A multat s jövendőt!

歌詞 日本語訳

 

歌詞 カタカナ読み

 

国歌に関するリンク

【Országgyűlési Könyvtár“A Himnusz ügye az Országgyűlés előtt”】(アーカイブ)

【Alkotmánybíróság “A Himnusz ügye az Országgyűlés előtt”】

【Nemzeti Jogszabálytár “THE FUNDAMENTAL LAW OF HUNGARY”】

【Nemzeti Jogszabálytár “2012. évi C. törvénya Büntető Törvénykönyvről”】

【Oktatási Hivatal “Nemzeti jelképeink”】

【NISZ “A Himnusz és a Szózat története”】

【MTA BTK ZTI Magyar Zenetörténeti Osztály“A Hymnusz szövegének és zenéjének keletkezése”】

【ハンガリー文化センター “【ハンガリーオリンピック歴史】第18話”】
https://culture.hu/jp/tokio/articles/hungary-at-the-olympics-part-18

【Magyar Nemzeti Bank “Emlékérme-kibocsátás a Himnusz megzenésítésének 175. évfordulója alkalmából”】

【Országos Széchényi Könyvtár “Erkel Ferenc Honlap”】

【Szatmárcseke “Kölcsey Ferenc életrajza”】

【ロイター “五輪表彰式のハンガリー国歌変更へ、「リズム違う」と指摘”】

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