アルメニア共和国 国歌「我らの祖国」

アルメニア共和国 国歌「我らの祖国」

タイトル

Մեր Հայրենիք(カタカナ読み確認中)/我らの祖国

作詞

Michael Nalbandian/確認中

19世紀最も崇拝された民族主義者の一人。社会主義時代になると禁止されていたアルメニア文学の普及活動を行った罪で有罪判決を受け、自宅軟禁を強いられたのち、Kamyshinという西部の町に追放されてしまう。現在はロシアのナヒチェヴァニ=ナ=ドヌ(かつてアルメニア人の居住区だった)にある聖十字教会に埋葬されている。

作曲

Barsegh Kanachian/確認中

1930年代からはレバノンに移住し合唱団の指導にあたった。その活動が評価されレバノン政府より“杉の国家勲章”を授与されている。レバノンの首都ベイルートにて逝去。レバノンでは彼の名前を冠した芸術研究所がある。←確認中

採用年

1991年7月1日

アルメニア・ソビエト社会主義共和国最高会議にて制定された。

成り立ち

1918年アルメニア第一共和国時代(1918-1920年)に初めてアルメニアで国旗、国章、国歌が誕生。この時に生まれたのが『我らの祖国』(現在のものと歌詞が違う)だった←同タイトルだったか確認中。歌詞は1859年にMichael Nalbandianがイタリア訪問後に訪れたドイツで完成させ、1861年にモスクワのLazarian Armenian Collegeの雑誌“Hyusisapayl”で発表した“イタリア少女の歌”という詩から。
1920年、赤軍の侵攻により共和国は崩壊し社会主義のアルメニア・ソビエト社会主義共和国が誕生。これに伴い『我らの祖国』を歌うことを禁じられ、1991年の復活まで抗議の賛歌として歌われることとなる。
禁止されている間はソ連国歌『インターナショナル』が歌われていた。
1944年からはハチャトゥリアンが作曲した『アルメニア・ソビエト社会主義共和国国歌』が国歌となる。
ソ連の影響力が低下した1991年7月1日。アルメニア・ソビエト社会主義共和国最高会議によって、アルメニア第一共和国時代の『我らの祖国』の歌詞を少し変更したものを採択した。←変更部分は確認中
2006年12月25日「アルメニア共和国の国歌について」という法律が可決された。

EXCELSIOR

アルメニア憲法第21条『アルメニア共和国のシンボル』4項にて国歌について言及。内容は以下の通り。
アルメニア共和国の国歌は法律で定められている。

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国歌に関する法律「アルメニア共和国の国歌について」のボリュームが多い

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国旗と国章に関する法律は同年の6月15日に採択されており、この日は“シンボルの日”として定められている。

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テレビやラジオで毎日放送され、中学校では毎週月曜日に歌うことが法律で定められている。

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曲が弱々しいという意見もあり、法律が可決された2006年には変更の議論もあった。変更を実現するために設立された委員会は曲を『アルメニア・ソビエト社会主義共和国国歌』にすることを決定。しかしこの時は歌詞が決まることはなかった。
2年後、当時の文化大臣が歌詞を速やかに発表すると発言したが現在も出されないままでいる。
変更の議論は2019年にも起こり、当時の議会副議長Alen Manukyanが中心となって行われた。

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1859年に発表され、現国歌の歌詞のもととなった『イタリア少女の歌』。内容はイタリアがオーストリア帝国に対して行った民族解放戦争を「姉妹兄弟」対話形式で紹介される。この作品では独立を求める国の例としてイタリアを選び、アルメニア人にオスマン帝国からの独立を促すことを意図して制作された。

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メロディの起源は未だよく分かっていない。オスマン帝国との戦いの最中、1895年Zeytoun、1915年にVanで兵士を鼓舞することを目的に演奏された記録が残る。これにより、独立後この歌が国歌にふさわしいと認識されたと考えられている。

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アルメニア第一共和国最後の首相Simon Vratsianの回顧録には国旗や国章の成り立ちに関して記述しているが、国歌については触れていない。

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1885年3月15日、ティフリス(現在のグルジアのトビリシ)のアルドズルニ劇場で、クリミア出身のアルメニア人音楽家Khachadur Kara-Murzaが、史上初のアルメニア人による多声合唱コンサートを開催。このコンサートのチラシには、「イタリアの少女の歌」がオープニングで演奏されたことが記されている。

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上記に情報を根拠に、1885年生まれのBarsegh Kanachianが作曲したというのは間違いだと主張する研究者もいる。理由は他にもある。
彼は、どのような音楽冊子やコンサートプログラムの中でも、自分の作品の横に自分の名前を書いていたが、「我らの祖国」の作曲者であることを名乗ったことはない。
以上の点からBarsegh Kanachianの作曲が正しいかという疑問はあるものの、彼が国歌に仕上げたことは間違いなく、現地でも評価されている。

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他の作曲家候補として、Michael Nalbandianが作った『自由』という詩にあわせて作曲もしている点からKhachadur Kara-Murzaが挙げられている。

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国歌のタイトルは“イタリア少女の歌”の冒頭部分から来ている。

歌詞 日本語訳(製作中)

 

歌詞 カタカナ読み(製作中)

Մեր Հայրենիք, ազատ, անկախ,

Որ ապրել է դարեդար,

Իր որդիքը արդ կանչում է

Ազատ, անկախ Հայաստան:

 

Ահա եղբայր, քեզ մի դրոշ,

Զոր իմ ձեռքով գործեցի,

Գիշերները ես քուն չեղա,

Արտասուքով լվացի:

 

Նայիր նրան` երեք գույնով

Նվիրական մեկ նշան,

Թող փողփողի թշնամու դեմ,

Թող միշտ պանծա Հայաստան:

 

Ամենայն տեղ մահը մի է,

Մարդ մի անգամ պիտ մեռնի,

Բայց երանի, որ յուր ազգի

Ազատության կզոհվի:

国歌に関するリンク

【アルメニア大統領府 “国の象徴”】
https://www.president.am/en/state-symbols/

【アルメニア議会 “国の象徴”】
http://www.parliament.am/parliament.php?id=armenia&page=3&lang=arm&enc=utf8#

【アルメニア議会 “アルメニア共和国憲法”】
http://www.parliament.am/parliament.php?id=constitution&lang=arm

【法律 “アルメニア共和国の国歌について”】
http://www.parliament.am/legislation.php?sel=show&ID=2812&lang=arm

【アルメニア政府 “一般情報”】
https://www.gov.am/en/official/

【Public Radio of Armenia “June 15 is the day of Armenian state symbols”】
https://web.archive.org/web/20170428110203/http://www.armradio.am/en/2016/06/15/june-15-is-the-day-of-armenian-state-symbols-3/

【Radio Free Europe “Armenia Latest To Agonize Over Anthem”】
https://web.archive.org/web/20170427232230/http://www.rferl.org/a/1070808.html