アンゴラ共和国 国歌「進めアンゴラ!」
アンゴラ共和国 国歌「進めアンゴラ!」
タイトル
Angola Avante!(アンゴラ アバンテ)/アンゴラよ 進め!
”!”がない上記もあるが、駐日大使館に確認したところ上記が正しいとのこと。
作詞
Manuel Rui Alves Monteiro /マニュエル・ホイ・アルビシュ・モンテイロ
1941年11月4日、アンゴラ Huambo生まれ。弁護士、作家などの肩書を持つ。暫定政府の情報大臣、Huambo大学長、AUやUNの最初のアンゴラ代表と様々な経歴を持ち、アンゴラ作家連合の創設者でもあった。
1969年にポルトガルの大学で法律を学び卒業したのち法学研究センターを創設している。
作曲
Rui Alberto Vieira Dias Mingas /ホイ・アルベルト・ビエイラ・ディアッシュ・ミンガス
1939年5月12日ルアンダ生まれ。アンゴラ独立運動の中心を担った”アンゴラ解放のための大衆運動(Movimento Popular de Libertação de Angola)”のメンバーだった。独立後は作曲活動だけでなく、ポルトガル駐アンゴラ大使や青年スポーツ大臣などを務める。陸上競技のアスリートとしても活躍した。
彼には非公式だがユニークな逸話が残る。1962年、国家転覆罪で19ヶ月ギニアビザウで勾留される中、刑務所を警備していた兵士に歌を歌い(または制作し)、軍の参謀長から「この男は刑務所にいるべきではない」と言わせ秘密裏に釈放されたという。
2023年1月4日ポルトガル リスボンの病院で逝去。
採用年
1975年11月11日
国歌に関する記載もあるアンゴラ共和国最初の憲法が制定された。
成り立ち
ポルトガルの植民地時代は現在のポルトガル国歌『ポルトガルの歌』が国歌として歌われていた。
1975年、独立前に情報省が国歌コンテストを開催したが良い作品が出展されなかった。そこでアンゴラ政府はマニュエル・ホイとホイ・アルベルトに国歌制作を指示。独立2日前から作詞を担当したマニュエル・ホイの家で作成をはじめ、ホイ・アルベルトがギターで音楽のフレーズを繰り返し奏でる中で、詞をつけたとマニュエル・ホイが証言している。
1975年11月11日の独立宣言がされた日に、現在のアンゴラ首都ルアンダにある独立広場で制作者が立ち会う中、ジャイアント合唱団によって初めて国歌として『アンゴラよ 進め!』が歌われた。またこの日、国歌に関する記載もあるアンゴラ共和国最初の憲法が制定されている。
2010年1月27日『国のシンボルの使用に関する法律』が施行され、法律で詳細が規定された。
EXCELSIOR
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アンゴラ憲法第18条『国のシンボル』にて国歌について言及。内容は以下の通り。
第十八条
(国のシンボル)
1. アンゴラ共和国のシンボルは国旗、国章、国歌である。
2. 国旗、国章、国歌は、アンゴラ共和国の国家主権、独立、統一、完全性の象徴であり、アンゴラ共和国の公布時に採択されたものとする。1975年11月11日の国家独立、および1992年の憲法法および本憲法の附属書I、IIおよびIIIに定められているとおりとする。
3. 法律では、技術的な仕様を定めるものとし国旗、国章、国歌の尊重と使用に関して規定をする。
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憲法付録Ⅲにはタイトルと歌詞が記載されている。
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2010年に施行された法律「国のシンボル使用に関する法律」は2018年に改訂されている。8月9日にルアンダの国民議会で承認、9月10日に公布施行された。以下国歌に関する部分のみ抜粋。
第1条 一般規定
この法律は、国の象徴、すなわち国旗、国章、国歌の敬意と使用に関する規則を定める。
第1条4章 国民シンボルへの姿勢
国旗を掲げたり下げたりする儀式や、行進時、国歌演奏中では、誰もが敬意を払い、立ち止まって黙っていなければならず、軍はまたは準軍組織は、制服を着ている場合、それぞれの規制に従って静止する。
第1条5章 国民シンボルの教育
全ての公立教育機関、特に初等教育では、国旗・国章のデザインと意味、最初のクラスの最初の段階の午前と午後に国歌の歌詞の歌唱と解釈を教えることを義務付ける。
第1条6章 国のシンボルマークの知識
公共サービスへのアクセス、またはアンゴラ国籍の取得のために、国家シンボルの知識を証明することを義務付ける。
第2条 国のシンボルマークの使用
3項 国歌
第2条3項13章 国歌斉唱の実行
1.国歌には2つのバージョンがある。
a)完全版は、音楽を再生し、歌詞を最初から最後まで歌うことで構成される。
b)ショートバージョンは、国歌の最初の詩に対応する音楽の実行と、その最初の合唱の1回の繰り返しで構成される。
2.国歌を実行する必要がある時。
a)国家元首が出席している公的行事の開始時または終了時。
b)アンゴラに敬意を表する民間および軍事の儀式、アンゴラ共和国の国旗に、国家議定書および国際的な礼儀規定によって定められたその他の場合。
c)アンゴラを訪問する外国の元首が歓迎される式典では、主権と礼儀の原則に従って、相手国の国歌を演奏した後に演奏される。
d)国旗が掲揚されたとき。
e)アンゴラの選手が参加する、関連する国内スポーツイベントやその他の国際試合の開始時。
f)国家元首が厳粛な演説をする前に、市民会議の開会式や愛国的な宗教儀式の際に、また国民の歓喜を表現する方法として祝賀行事の際に演奏する。
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世界の政府機関のウェブサイトで国の象徴を紹介する際、国旗から紹介されることが多いが、駐エジプト アンゴラ大使館HPでは国の象徴として国歌が最初に紹介されている。また、駐日アンゴラ大使館HPは数少ない日本語訳を紹介している。
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現在の国歌は”アンゴラ解放のための大衆運動(Movimento Popular de Libertação de Angola)”のシンボルであり、国のシンボルではないという意見がある。
歌詞
歌詞 日本語訳
【1】
おお、祖国よ、我らは決して忘れまい
二月四日の英雄たちを
おお、祖国よ、我らは敬意を表す
独立のために倒れた
汝の子どもらに
我らは過去を、自らの歴史を名誉に思う
労働において新たな人間を創り出す歴史を
(後半二行繰り返し)
【コーラス】
アンゴラよ、進め! 革命、大衆の力のために!
一つになった祖国、自由、一つの民、一つの国のために!
(コーラス繰り返し)
【2】
解き放たれた我らの声をあげよう
アフリカの民の栄光のために
アンゴラの闘士たちよ、進もう
虐げられた人々と連帯して
我らは誇りをもって平和のために闘おう
世界の進歩的な勢力とともに
(この二行繰り返し)
(コーラス)
参照:https://www.angola.or.jp/ja/angola-ja/#natsymbols
歌詞 カタカナ読み(製作中)
【1】
オーパトリア ヌンカ マイス エシュケセレーモス
ウー シュエローシュドゥ クアトロ デ フェヴェーレーイロ
オーパトリア ノス サウダモス オステウス フィーリョス
トーームバードス ペーラノッサ インデペンデーンシィア
オーンハモシュ オーパッサドゥイア ノッサ イシュトーリア
コンスル インドノ トラバリョオ ウン オーメン ノーボ
【コーラス】
アンゴラ アバーンテ ヘヴォルサーン ペーロ ポデル ポプラール
パートリア ウニーダ リベルダーデ ウンソ ポーボ ウマソ ナーサオン
(繰り返し)
【2】
レヴァンテモシュ ノッサシュ ヴォジィシ リベルターダシ
パラ グローリア ドシュ ポーボス アフリカーノス
マーシュモス コンバテンデス アンゴラーノス
ソリダーリオス コンオス ポボス オプリミードス
オールグリョーゾス ルタレモス ペラパース
コン アス フォーサス プログレシィ シュターシ ドゥムーンド
(コーラス)
制作協力:駐日アンゴラ共和国大使館
国歌に関するリンク
【Portal Oficial do Governo de Angola “Símbolos Nacionais”】
【Portal Oficial do Governo de Angola “Constituição”】
【アンゴラ政府ポータル “国のシンボルの使用に関する法律第14/18号”】(リンク切れ)
【アンゴラ作家連合 “Manuel Rui Alves Monteiro”】(リンク切れ)
【アンゴラ作家連合 “Quando o Hino Nacional é Cantado no Basquete e no Futebol e a Selecção Ganha, Choro de Alegria”】(リンク切れ)
【Jornal de Angola “O Hino Nacional foi feito sob muita pressão”】(リンク切れ)
【Jornal de Angola “Poética nacionalista nas canções intemporais de Ruy Mingas”】(リンク切れ)
【Jornal de Angola “Não troco este país por outro”】(リンク切れ)
【DW “Morreu Rui Mingas, coautor do hino de Angola”】
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