スリナム共和国 国歌「神よ我らスリナムと共にあれ」

スリナム共和国 国歌「神よ我らスリナムと共にあれ」

タイトル

God zij met ons Suriname確認中)/ 神よ我らスリナムと共にあれ

2番の歌詞冒頭『Opo Kondre Man』と紹介する場合もある。

作詞

Henri Frans de Ziel /確認中

1916年1月15日、スリナム首都パラマリボ生まれの詩人。初めてスリナム語で詩を発表した人物としても知られている。Trefossaのペンネームで活躍した。スリナムで教師として働いた後、オランダに留学し教育課程と司書課程を修了。1940年母国に帰ったのち、スリナム語を教育することの大切さを説いた。国歌制作後は、スリナムの政情不安定とオランダのライデン病院に通院するためオランダに住まいを移す。1975年2月3日逝去。
スリナムはそれまでオランダ内での自治権は確立していたが、完全独立は彼が亡くなった年の11月だった。そのため、完全な独立国家として彼は自身の作品を聞けていない。遺体は当初、オランダの住まい近くに埋葬されたが、2005年に故郷スリナムに移された。

作曲

Cornelis Atses Hoekstra /確認中

1852年生まれ。オランダ フリースラント州ハルム生まれのルター派牧師。1892年から1907年までパラマリボで牧師として働いた。その間、ハンセン病療養所の設立と維持に携わる。文筆の才能もあり、1897年には「Onze West」を創設し、そこで3年間編集者を務めた。1911年逝去。

採用年

1959年12月15日(施行日)

成り立ち

1959年までオランダ自治領だったためオランダ国歌『ヴィルヘルムス』を国歌としていたスリナム。
同地でハンセン病療養所で働いていたオランダ人牧師Cornelis Atses Hoekstra はJ.C. de Puyが1876年に作曲したメロディを元に『Suriname’s Trotsche Stromen』という非公式国歌を1893年に制作し、日曜学校で歌っていた。
自治権を獲得してから5年後の1959年11月、国歌に関する閣僚評議会での議論の中で、建設大臣Frank Essedが国歌の歌詞にスリナム語を加えてはどうかと提案。参加者から「誰がそれを用意するのか」と問われ、大臣は来週持ってくると答えた。その日の午後、Essed はHenri Frans de Zielに国歌の歌詞制作を依頼。非公式国歌『Suriname’s Trotsche Stromen』を土台に、スリナム語の歌詞でよりスリナム独自の文化的アイデンティティに沿ったものを作るように要望した。Zielはオリジナルの歌詞冒頭の“船団が再び航海できますように、貿易が盛んになりますように、工場が繁栄をもたらしますように、ここですべてが成長しますように”というスリナムの植民地時代を思わせる部分を含め、オリジナル8行ある中5行変更した。2節は植民地時代を思わせる歌詞の代わりに国の成り立ちを書いていく。
さらにZielは速いテンポで国歌としてふさわしい曲として、スリナム出身の作曲家Johannes Nicolaas Helstone作曲の「Welkom」に歌詞を付けた作品をすでに作っていた。この曲は1913年に奴隷制廃止50周年を記念して制作されたもので、これを国歌のメロディにしてはどうかと提案する。Essedは2つの案を次の閣僚議会に提出。前者が採用され、議会でも異論があった”戦う”という単語が”働く”に変更され、1959年12月7日の議会で、全会一致で国旗、国章、国歌を承認。同内容の法律は15日に施行され国民に公開された。

EXCELSIOR

憲法での言及はない。

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国歌に関連する法律は以下の通り。

1959年10月8日に採択された「スリナム国歌に関する法律」では具体的なタイトルは書かれていない。

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国の公用語はオランダ語のみだがスリナム語でも歌われ、2言語以外の歌詞も追加するべきという意見がある。

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Essed大臣が1週間で作って欲しいと依頼した時、Zielは「物事はそのようにはいきません、詩を書くにはインスピレーションが必要で、1週間以内に出来るか分かりません」と答えたと言われている。

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首都パラマリボには歌詞制作者の胸像がある。

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軍事政権で政治が揺れた時代には、ナショナリズムが高まりオランダ語で歌われる1番を省略し歌われることもあった。

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幻のJohannes Nicolaas Helstone版国歌はここで聞くことが出来る。
1:37から

歌詞

1番がオランダ語、2番がスリナム語で歌われる。

【1】

God zij met ons Suriname

Hij verheff’ons heerlijk land

Hoe wij hier ook samen kwamen

Aan zijn grond zijn wij verpand

Werkend houden w’in gedachten

Recht en waarheid maken vrij

Al wat goed is te betrachten

Dat geeft aan ons land waardij.

【2】

Opo kondreman un opo!

Sranangron e kari un.

Wans’ ope tata komopo

Wi mu seti kondre bun.

Stré de f’stré, wi no sa frede.

Gado de wi fesiman.

Eri libi te na dede

Wi sa feti gi Sranan.

歌詞 日本語訳

 

歌詞 カタカナ読み

 

国歌に関するリンク

【The Embassy of the Republic of Suriname in Belgium Symbols of nationhood”】
http://brussels.embassy.gov.sr/about-suriname/symbols-of-nationhood/

【Infinite Noord-Holland Kunstenaar ontdekt in het Luther Museum Amsterdam”】
https://onh.nl/nieuws/kunstenaar-ontdekt-in-het-luther-museum-amsterdam

【Literatuurmuseum “TREFOSSA Een pleitbezorger van Sranan Tongo”】
https://literatuurmuseum.nl/verhalen/surinaamse-schrijvers/trefossa

【オランダ文学デジタルライブラリー “OSO. Tijdschrift voor Surinaamse taalkunde, letterkunde en geschiedenis. Jaargang 19”】
https://www.dbnl.org/tekst/_oso001200001_01/_oso001200001_01_0018.php

【NSS “Trefossa en het volkslied van Suriname”】
https://www.starnieuws.com/index.php/welcome/index/nieuwsitem/50026

【Het Johan Ferrier Fonds “Srefidensi”】
https://www.johanferrierfonds.nl/actueel/nieuws/algemeen/Srefidensi/56/0/2/NL/

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