融和から対立へ? 国歌から見えるスリランカの今

昨年12月24日スリランカから国歌に関する一報が入りました。

同国の行政省が今年2月、独立記念日にコロンボの独立広場で行われる式典での国歌斉唱はシンハラ語のみで歌われると発表したというのです。ご存じの方も多いかと思いますが、スリランカではシンハラ人とタミル人による長い内戦を経て今があります。2002年に停戦協定が結ばれたものの両民族対立は未だに根深く、スリランカの公用語はシンハラ語とタミル語ですが国歌において何語で歌うのかで揉めてきました。

しかし、2016年、北部タミル人の復興を公約に掲げたシリセナ政権は独立記念式典で、これまで歌われてきたシンハラ語だけでなく、タミル語でも国歌が歌われ話題になりました。

しかし、今回のニュースが入り今年は両言語での国歌は聞くことができなくなりました。両民族融和の象徴として期待していたのですが何があったのでしょうか?

背景には民族対立の歴史

タミル語を歌う歌わないで揉めるのはなぜでしょうか?

そこには両民族の歴史を知る必要があります。多数派のシンハラ人(およそ7割)は紀元前483年に北インドから上陸してきたアーリア系の民族とされ、タミル人(およそ3割)は南インドから紀元前2世紀中頃に渡ってきた人や、イギリス植民地時代にインドから強制移住させられてきました。

1800年代前半から始まったイギリスの植民地政策では少数派のタミル人を行政府職員として採用するなど重用し、多数派のシンハラ人を支配させるという分割統治を行いました。この分割統治が両民族対立の始まりと言われています。

1948年イギリス連邦の自治領として独立したのち、1956年に行われた選挙ではシンハラ人への優遇政策を掲げた政党が圧勝。シンハラ語を唯一の公用語にする政策などでタミル人の反感を招き衝突に発展していきます。1972年に公布された憲法では、シンハラ語を唯一の公用語とし、シンハラ人が信仰する仏教に特別な地位を与えると明記するなど少数派のタミル人への配慮はなくなります。これに猛反発して誕生したのが、“タミル・イーラム解放の虎(LTTE)”という過激派組織の前身となる武装組織です。

政府軍とLTTEの戦闘は経済に大きな打撃を与え互いの憎しみを増長させていきます。何度も停戦協定を結んだもののLTTEが散発的なテロや政府要人の暗殺などもあり2005年に就任したラージャパクサ大統領は強硬手段で戦闘を拡大し攻勢を強めてきます。2009年終戦宣言が行われた後も、内戦で受けたタミル人地域のダメージは大きく経済格差もあり、今でも民族間の対立が続いています。この対立感情が公の場においてタミル語で国歌を歌わない要因となっています。これがこの問題の根源とも言えます。

 

法律ではどうなっているのか

独立時に誕生したスリランカ最初の憲法では、国歌への言及はありませんでした。しかし、1949年2月4日に開催された独立記念式典ではシンハラ語とタミル語の両方で国歌として歌われています。1951年には国歌として政府に正式に承認され、翌年の独立記念日でも歌われました。タミル語版国歌は、北部を中心としたタミル語圏で広く使用されました。

1972年に採択された憲法では公用語はシンハラ語とされたものの、国歌への言及はありませんでした(1987年に改定され公用語にタミル語が追加)。

憲法で初めて国歌に言及されたのは1978年。現在も使われているスリランカ憲法です。憲法はスリランカ議会の公式ページから見ることができます。

英語版憲法第1章第7条

「スリランカ共和国の国歌を『母なるスリランカ』、附則3に記載されている言葉と音楽で演奏しなければならない」

タミル語版、シンハラ版でも同様の内容で書かれています。現憲法下においてどの言語を優先的に使われるべきなのかは記載されていません。また、2016年には独立記念式典でタミル語版国歌を違法として訴える動きがありましたが、最高裁判所により却下されています。憲法上、シンハラ語版とタミル語版は平等に扱われる必要があります。

 

国歌の問題の多くは政治にいたる

憲法上、国歌を歌う言語に関して両言語は平等の位置にあります。しかし、スリランカでは憲法とは別の力によって制約が度々行われます。

内戦中、LTTEの支配地域では国歌を歌うことが禁止され、終戦直後はタミル語でのみ国歌が歌われました。

全国的な制約がされたのは終戦後の2010年。マヒンダ・ラジャパクサ政権は国家言語社会統合大臣を含む2人の大臣が反対する中、シンハラ語でのみ国歌を歌うことを閣議決定し公式の場でタミル語版国歌は消えます。

そして2015年、長期政権を築き大統領だったラジャパクサ氏に反旗を翻したシリセナ氏が大統領に就任。ラジャパクサ氏は内戦を終わらせた英雄として人気がある一方で、戦時中の強硬姿勢や汚職、中国偏重外交、シンハラ人への優遇政策が国民の反感を招いていました。その反感を追い風に生まれたのがシリセナ政権です。2016年2月4日の第68回独立記念式典においてタミル語版国歌が公の場で歌われました。これは2015年に行われた選挙で公約として掲げていた“北部タミル人の復興”を象徴する出来事でした。

しかし冒頭で紹介したように昨年12月、行政省は2月に行われる独立記念式典でタミル語を歌うことをやめ、シンハラ語のみで国歌を歌うことを発表しました。

なぜでしょうか。

実は2019年11月16日に行われた大統領選挙で政権交代がありました。ゴタバヤ・ラジャパクサ新大統領が誕生したのです。彼はシンハラ語以外の国歌斉唱を禁止したマヒンダ・ラジャパクサ前前大統領の弟です。そしてマヒンダ・ラジャパクサ前前大統領は先日首相に任命されました。前政権が掲げてきた“タミル人との融和政策”は政権交代とともに終わり、それが国歌にも現れたのです。

 

国歌は1言語でなくてはいけないのか

日本の“君が代”を考えれば、国歌は1言語であるのは当たり前だと思うかも知れませんが、世界を見れば国歌が実に多様性のある歌であることが分かります。カナダは英語とフランス語、スイスではドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4言語が認められています。

 

「公の場で歌うのは1言語が当然。世界の国歌で2言語で歌う国はない」

これはシンハラ語のみを公で歌うことを閣議決定したマヒンダ・ラジャパクサ現首相の言葉。しかしそれは間違いです。

ニュージーランドは英語・マオリ語、そして手話が国歌として認められていています。そして公の場で歌う場合、マオリ語、英語の順番で歌われることがあります。さらに言えば、南アフリカでは5つの異なる言語で歌われます。

 

タミル国歌を歌うことは違憲ではなく、他国を見れば無理に1言語で統一する必要はないことが分かります。残念なことに多くの国歌が生む分裂は、歴史や伝統、宗教ではなく、政治がそれらを被り煽っている場合が多いことを忘れてはいけません。