スリランカ民主社会主義共和国 国歌「母なるスリランカ」
スリランカ民主社会主義共和国 国歌「母なるスリランカ」
タイトル
ශ්රී ලංකා මාතා(スリランカ マタ)/母なるスリランカ
タミル語Verが認められていた時代には上記と同じ意味で『ஸ்ரீ லங்கா தாயே』とタミル語で表記もされていた。
作詞
ආනන්ද සමරකෝන් /アナンダ サマラクーン
1911年1月13日スリランカ パドゥッカ生まれの音楽家。シンハラ音楽の父とも言われる。中学までをスリランカで過ごし、母校で音楽教師として働いたのちインドに渡る。そこでタゴールの影響を強く受けるなどインドで大きな刺激を受け6ヶ月で帰国。出生証明証ではEgodahage George Wilfred AlwisAmarakoonという名前だったがインドから帰国後アナンダ サマラクーンに改名、宗教もキリスト教徒の家に生まれたが仏教に改宗した。再び母国で教師をしながら作曲活動をする。
1945年、唯一の息子を5歳で亡くしたことをきっかけに再びインドへ。そこで絵画の才能も開花させ美術展を複数回行う。再びスリランカに帰国したのは1951年。
1962年4月5日に睡眠薬の過剰摂取で自殺した。動機は彼が制作した歌詞が同意なしに変更されたためだと言われており、机の上には歌詞変更に対する不満が書かれた当時の野党指導者に宛てた手紙が置いてあったと言われている。
スリランカではとても有名人で彼の名を冠した学校、道路、劇場などがある。
作曲
同上
採用年
1951年11月22日(政府承認)
成り立ち
1940年、マヒンダ大学の音楽講師アナンダ サマラクーンが学生の愛国心を育てる目的で今の国歌の元となる『ナモ ナモ マタ』のシンハラ語Verを作成。学生たちが歌ったのが始まりだった。同年、コロンボ博物館で50人の合唱団によって歌われたことがラジオで紹介され世間で有名になる。
1948年、セイロン自治領としての独立後、国歌の必要性が生まれたためコンテストが行われ『ナモ ナモ マタ』が選ばれる。
ここまでは政府サイトから得た情報だが、これとは違うシナリオが世間では言われている。独立前にコンテストが行われ『ナモ ナモ マータ』が選ばれなかったという話もある。選ばれた曲が『Sri Lanka Matha Pala Yasa Mahima』だったが、制作者のP. B. Illangasinghe and Lionel Edirisingheが審査員であったということで物議を醸した。
これが事実か大使館にと言わせたが“No specific acceptable opinion in this regard”という回答しか得られなかった。
1948年2月4日、初の独立記念日の朝に“ラジオセイロン”では『Sri Lanka Matha Pala Yasa Mahima』が流された。当時はまだイギリス連邦下の自治領だったため正式な国歌はイギリス国歌『神よ女王を護り賜え』だった。
1949年2月4日にトリントン広場の独立記念館で行われた独立記念式典では、シンハラ語とタミル語の『ナモ ナモ マタ』と『Sri Lanka Matha Pala Yasa Mahima』の両方が“国歌”として歌われた。
1950年、J・R・Jayewardeneがサマラクーンの『ナモ ナモ マタ』を正式な国歌として承認するよう政府に要請。政府は内務・農村開発大臣Edwin Wijeyeratneを長とする委員会を設置して新しい国歌を選出させた。委員会は数曲を聞き、審議の結果『ナモ ナモ マタ』が選ばれた。委員会はサマラクーンの了解を得て、10行目を“Nawajeewana Damine”を“Nawa Jeewana Demine Nithina Apa Pubudu Karan Matha”に変更し政府に提出。委員会の提案は、1951年11月22日、政府によって承認された。
1952年の独立記念式典に正式にセイロン国歌として『ナモ ナモ マタ』が流され、これが国歌として正式に演奏された日となった。
1953年、バラバラだった歌い方を統一するための委員会を設置。メンバーには制作者のサマラクーンも加わり、どのように歌うのかなどガイドラインを作りレコードを作成した。
1954年6月24日に統一されたメロディと歌詞を内閣が承認。著作権料2500ルピーを政府が払い国歌の権利が譲渡されました。しかし譲渡料はサマラクーンには支払われなかった。最初に詩集を出版した印刷機の所有者であるシリワルデナに著作権をサマラクーンが譲渡していたため。
1958年頃から歌詞に関して論争が起こる。最初の歌詞「ナモ ナモ マタ アパ スリランカ」が、「GANA」と呼ばれる音節から運気を占う観点から冒頭の文字 ”Na” が良くないという意見が噴出。当時、2人の首相の死(一人は第1代首相乗馬中の脳卒中、4代目の毒による暗殺)を含む国の不幸が国歌のせいだとなった。サマラコーンは「GANA」を信じず、討論の場に出たり反対の記事を書いた。
1961年2月、政府はサマラクーンの強い反対にもかかわらず、世界初の女性首相シリマヴォ・バンダラナイケ(夫は毒殺された4代目首相)によって、現在の形式「スリランカ マタ アパ スリランカ」にラインを変更。
1978年に憲法によって改めて国歌として承認された。
EXCELSIOR
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憲法では以下のように定められている。国歌は憲法の一部であり、政府の下で内務省は国歌の行動規範と国旗の規範を決定しました。
第1章第7条
「スリランカ共和国の国歌を『母なるスリランカ』を附則3に記載されている言葉と音楽で演奏しなければならない」
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国歌に関連する法律は確認できなかった。
権利などは内務省が管轄している(駐日スリランカ大使館情報)。
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学校では毎日歌われる。授業で制作者や歌うときの姿勢、またタミル語が歌われなくなる前は両言語が学校で指導されていた。(駐スリランカ大使館外交官より聞き取り)
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諸説あるが、インドやバングラデッシュの国歌を作詞作曲したタゴールに影響を受けてメロディと歌詞を書いたと言われる。また少数派ではあるがタゴールが歌詞を書いたとか、サマラクーンが歌詞を書いている間にタゴールが音楽を書いたという説も。タゴールが直接製作に関与したという説はインドやスリランカの歴史家によって否定されている。
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~採用言語の変遷~
・独立時に誕生したスリランカ最初の憲法では、国歌への言及はない。
・1949年2月4日に開催された独立記念式典ではシンハラ語とタミル語の両方で国歌として歌われる。
・国歌として政府に正式に承認された翌年の1952年の独立記念日ではセイロンの公式国歌として初めてタミル語で翻訳され歌われた。
・1972年に採択された憲法では公用語はシンハラ語とされたものの、国歌への言及はない。
・1987年に憲法が改定され公用語にタミル語が追加。
・2010年、当時の政権がシンハラ語でのみ国歌を歌うことを閣議決定。公式の場でタミル語版国歌が消える。
・2016年2月4日の第68回独立記念式典においてタミル語版国歌が公の場で歌われる。2015年に行われた選挙で“北部タミル人の復興”を公約に掲げていた大統領が政権を奪取したため。
・大統領が再び反タミルを掲げる人物となり、2019年12月に行政省が同年の独立記念式典でタミル語を歌うことをやめることを発表。
2019年の動きに関する詳細はこちらを御覧ください『融和から対立へ? 国歌から見えるスリランカの今』。
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駐キューバ大使館ではタミル語の歌詞や音源も掲載されている。
http://srilankaembcuba.org/country-profile-main/national-anthem/
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タミル語Ver。M. Nallathambyによってタミル語に翻訳された。
歌詞(シンハラ語)
【1】
ශ්රී ලංකා මාතා
අප ශ්රී……. ලංකා නමෝ නමෝ නමෝ නමෝ මාතා
සුන්දර සිරිබරිනී සුරැඳි අති සෝබමාන ලංකා
ධාන්ය ධනය නෙක මල් පලතුරු පිරි ජය භුමිය රම්යා
අප හට සැප සිරි සෙත සදනා ජීවනයේ මාතා
පිළිගනු මැන අප භක්තී පූජා
නමෝ නමෝ මාතා
අප ශ්රී …… ලංකා නමෝ නමෝ නමෝ නමෝ මාතා
【2】
ඔබ වේ අප විද්යා
ඔබ මය අප සත්යා
ඔබ වේ අප ශක්ති
අප හද තුළ භක්තී
ඔබ අප ආලෝකේ
අපගේ අනුප්රාණේ
ඔබ අප ජීවන වේ
අප මුක්තිය ඔබ වේ
【3】
නව ජීවන දෙමිනේ නිතින අප පුබුදු කරන් මාතා
ඥාන වීර්ය වඩවමින රැගෙන යනු මැන ජය භූමී කරා
එක මවකගෙ දරු කැල බැවිනා
යමු යමු වී නොපමා
ප්රේම වඩා සැම භේද දුරැර දා නමෝ නමෝ මාතා
අප ශ්රී…….. ලංකා නමෝ නමෝ නමෝ නමෝ මාතා
歌詞 日本語訳(シンハラ語ショートVer)
母なるスリランカ
私達はスリランカを
敬愛する 敬愛する 敬愛する 敬愛する
豊かな恵みと愛に満ちたあなた
美しい穀物と甘美な果物
色鮮やかに咲き誇る花
命とすべての良いものの贈り主、
喜びと勝利の地、
感謝の称賛を受けたまえ
私達はスリランカを
敬愛する 敬愛する 敬愛する 敬愛する
歌詞 カタカナ読み(シンハラ語ショートVer)
スリーランカー マーター
アパ スリィーーランカー
ナモー ナモー ナモー ナモー マーター
スンダラ シリバリニ
スゥレンディ アティ ソォーバ マーナ ランカー
ダハーニャ ダナヤ ネカ マルパラ トゥルピリ
ジャヤ ブォーミヤ ランミャー
アパ ハタ サパ シィリ セタ サダナ
ジーワナイェ マーター
ピリガヌ メナ アパ バクティ プージャ
ナモー ナモー マーター
~以下2回繰り返し~
アパ スリィーーランカー
ナモー ナモー ナモー ナモー マーター
国歌に関するリンク
【Smart Gateway to Government of Sri Lanka “COUNTRY OVERVIEW”】
https://www.gov.lk/content/index.php/post/countryoverview1?gen_from=abt&appcode=cp&lang=en
【Smart Gateway to Government of Sri Lanka “Constitution”】
https://www.gov.lk/content/index.php/post/constitution1?gen_from=abt&appcode=cp&lang=en
【駐トロント総領事館 “Facts at a Glance”】
http://www.torontoslcg.org/index.php?option=com_content&view=article&id=188&Itemid=142
【文化省 “Composer of the Sri Lanka National Anthem Ananda Samarakoon’s birth centenary commemorates”】
http://culturaldept.gov.lk/web/index.php?option=com_content&view=article&id=72:composer-of-the-sri-lanka-national-anthem-ananda-samarakoons-birth-centenary-commemorates&catid=1:latest-news&Itemid=80&lang=en
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