ロシア連邦 国歌「ロシア連邦国歌」
ロシア連邦 国歌「ロシア連邦国歌」
タイトル
гимн Российской Федерации(確認中)/ ロシア連邦国歌
作詞
Михалков, Сергей Владимирович/セルゲイ・ミハルコフ
1913年3月13日ロシア・モスクワ生まれ。1928年に文芸雑誌に初めて詩が掲載されデビュー。織物工場やモスクワ交通航空総局を経て新聞社でフリーライターとして活動。1939年には従軍記者としてポーランド遠征に参加し、戦後は詩だけでなく、童話作家、劇作家としても活躍した。作家連合理事長や国際作家連合協会執行委員会の共同委員長などを歴任し、2009年8月27日モスクワで逝去。
本人の記念碑や名前が施設の名称になっていたり、第二次世界大戦時に戦死した兵士に対して建てられたいくつかの慰霊碑には彼の作品が彫られた。1951年から2009年まで暮らしていた家の正面には記念のプレートが設置されている。
作曲
Александров, Александр Васильевич/アレクサンドル・アレクサンドロフ
1883年4月13日、ロシア帝国селе Плахино Михайловского уезда Рязанской губернии生まれ。幼少期より合唱団に参加し、サンクトペテルブルクの歌唱学校を卒業。 1900年にはサンクトペテルブルク音楽院に入学し、作曲を学んだ。 1902年、病気と困難な経済状況のため、彼は学業を辞めざるを得なくなりトヴェリ県ボロゴエで大聖堂聖歌隊や鉄道専門学校で歌と音楽の教師を務める。1909年にモスクワ音楽院に入学。卒業後はトヴェリに住み音楽学校を設立し、校長を務めた。 1918年、モスクワに移住し1918年から1922年にかけて聖歌隊指揮者、1922年にはモスクワ音楽院の教授となる。1942年に学部長として、音楽院の指揮・合唱部門と音楽教育部門を統括した。1928年、赤軍歌曲アンサンブルの音楽監督として団長を務め、1946 年 7 月 8 日、ドイツ・ベルリンでのツアー中に逝去。
採用年
2000年12月30日
成り立ち
ロシア国歌の始まりは18世紀。ロシア帝国を宣言したピョートル1世の治世時に「Преображенский марш」が制作され、国歌ではないものの式典で頻繁に演奏された。このような式典で演奏されたものとしてはエカチェリーナ2世の治世時に作られたГром победы раздавайся」や、エカチェリーナ2世の息子パーヴェル1世の時代に誕生した「Коль славен наш Господь в Сионе」がある。
ロシアの最初の公式国歌は1816年にイギリス国歌「神よ国王を護り賜え」のメロディを使った『Молитва русских』だった。
2代目国歌は『神よツァーリを護り賜え』。1833年にニコライ1世の指示で制作された「Молитва русского народа」が12月11日にボリショイ劇場で初めて公に上演され、12月31日、『神よツァーリを護り賜え』という名で国歌として宣言された。
1917年2月にロシア革命が起こると『神よツァーリを護り賜え』の演奏が禁止され、臨時政府は新しい国歌として『ラ・マルセイエーズ』(“労働者のマルセイエーズ”,“マルセイエーズ”、“ロシアのマルセイエーズ”という表記もあり)を承認した(作詞:Петра Лаврова 作曲:クロード・ジョセフ・ルージェ・ド・リール)。フランス人によって作られたこの歌が採用された背景は同盟国であるフランスに対する忠誠を示したいという臨時政府の立場を表す意図があった。(政府はニコライ2世の戴冠式で使用した曲を作ったАлександру Глазуновуに作曲を依頼したが国歌に採用されず、国民から歌われ始めた『ラ・マルセイエーズ』が使われたという情報もある)。
1917年10月、レーニン率いるボリシェヴィキが臨時政府から実権を奪いソヴィエト政権が誕生すると、1918年1月10日に社会民主党の党歌だった『インターナショナル』が国歌となり、法的根拠がないまま使われ続けた。
第二次世界大戦の終わりが見え始めた1943年。連合国との結束を強めたことで存在意義を失ったコミンテルンは解散し、社会主義を謳う『インターナショナル』を国歌にすることにねじれが生じた。そこで指導部は新たな国歌選定のためのコンテストの開催を発表する。ソ連国内はもちろん、アルメニアやウクライナ、ウズベキスタンなど41の詩人、160以上の作曲家から応募があった。応募者の中にはショスタコーヴィッチやハチャトゥリアンなどがおり、選定が難航する中、委員長がショスタコーヴィッチやハチャトゥリアンに共同で作曲を提案することもあった。選定は2ヶ月に及び、結果コンテスト後にセルゲイ・ミハルコフとГарольда Эль-Регистана(本名:Габриэль Аркадьевич Уреклян)が、アレクサンドル・アレクサンドロフが作曲した「ボリシェヴィキ党賛歌」(1938年制作)に作詞した作品が選ばれ、1943 年 12 月 22 日にソ連人民委員評議会が承認。「ボリシェヴィキ党賛歌」はミハルコフがラジオでよく聞いていた曲だったという。最終選考では、選ばれた作品の他に『神よツァーリを護り賜え』、ショスタコーヴィチとハチャトゥリアンの共同作品があった。1944年1月1日夜に国歌としてラジオで流された。このタイトルがない国歌は1944 年 3 月 15 日に承認される。 一方、「インターナショナル」は引き続き党歌として残った。
スターリンが亡くなったのちの1956年、スターリンへの個人崇拝が禁止されると、スターリンを讃える歌詞の内容が問題視され歌詞なしになる。
1977年のレオニード・ブレジネフ時代の絶頂期にセルゲイ・ミハルコフ自身が歌詞を改訂し再び歌詞ありの国歌に。
1990年6月12日、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(RSFSR)の国家主権宣言が採択されると、11月23日、RSFSR最高評議会の決議により、Михаила Глинкиが1833年に書いた『Патриотическая песня』が承認された。
1991 年 12 月にソ連が消滅しロシア連邦になるも国歌は引き続き『Патриотическая песня』が使用され、1993 年12月11日、大統領令によって歌詞なしのものが法的に国歌の地位を確立する。その後、歌詞を作成するためのコンテストが発表され、6000件を超える作品の応募があり「Славься, Россия!」という作品が優勝するも国歌には採用されなかった。この時の国歌作成委員会の委員長はセルゲイ・ミハルコフ。
2000年12月、国家委員会は、セルゲイ・ミハルコフの歌詞に合わせてアレクサンドル・アレクサンドロフが作曲したメロディを国歌として承認することを勧告。 2000年12月25日、プーチン大統領が法律「ロシア連邦国歌について」に署名しメロディが承認され、12月30日にはセルゲイ・ミハルコフによる歌詞が承認された。2001年1月1日の夜が初演。2001年3月22日の憲法的法律によって正式に『ロシア連邦国歌』制定された (3 月 24 日に発効)。
EXCELSIOR
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憲法70条に憲法的法律で国歌が定められることが記載されている。
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2000年12月に制定された憲法的法律「ロシア連邦の国歌について」があり、『ロシア連邦国歌』が国歌であることや、大晦日にはスパスカヤ塔の時計が打刻される様子を放送した後に国歌を流すなど細かなところも記載されている。
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2022年9月1日から学校で週の始まりに国歌を歌うことが義務付けられた。
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元となった「ボリシェヴィキ党賛歌」は1938年、アレクサンドロフとВасилий Лебедев-Кумачは「Песню о партии」を制作した。(メロディーの原型は1936年のアレクサンドロフの歌「人生は良くなった」)。 1939年、ボリシェヴィキ第18回大会に向けて、アレクサンドロフが新たに編曲したのが「ボリシェヴィキ党賛歌」だった。
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インターナショナルに代わる国歌の選定が難航していた1943年7月、セルゲイ・ミハルコフはГарольда Эль-Регистанаに歌詞作成を依頼される。ミハルコフは依頼された翌朝、Гарольда Эль-Регистанаが、滞在していたホテルを訪ねてきた時のエピソードを生前語っている。Гарольда Эль-Регистанаは「あなたと私が国歌の作者になる夢を見たんです。夢に見た言葉もいくつか書き留めました」と言うと、ミハルコフにホテルの請求書の裏に、「大ロシア」、「人民の友情」、「レーニン」と書かれていた紙を見せたと言う。
歌詞
【1】
Россия — священная наша держава,
Россия — любимая наша страна.
Могучая воля, великая слава —
Твоё достоянье на все времена!
【コーラス】
Славься, Отечество наше свободное,
Братских народов союз вековой,
Предками данная мудрость народная!
Славься, страна! Мы гордимся тобой!
【2】
От южных морей до полярного края
Раскинулись наши леса и поля.
Одна ты на свете! Одна ты такая —
Хранимая Богом родная земля!
(コーラス)
【3】
Широкий простор для мечты и для жизни
Грядущие нам открывают года.
Нам силу даёт наша верность Отчизне.
Так было, так есть и так будет всегда!
(コーラス)
歌詞 日本語訳
歌詞 カタカナ読み
国歌に関するリンク
【Официальные сетевые ресурсы Президента России “Конституция Российской Федерации”】
【Официальные сетевые ресурсы Президента России “Гимн”】
【СОВЕТ ФЕДЕРАЦИИ “ВСЕ НОВОСТИНа Ставрополье открыли памятник автору гимна России Сергею Михалкову”】
【Культура.РФ “РОССИЙСКИЙ ГИМН.ЗЕРКАЛА ЭПОХИ”】
【Россия сегодня “Тексты гимнов Советского Союза и России, написанные Сергеем Михалковым”】
【TACC “История российских гимнов. Досье”】
【TACC “С 1 сентября в каждой школе в начале учебной недели будут исполнять гимн России”】
【TACC “Михалков, Сергей Владимирович”】
【TACC “Александров, Александр Васильевич”】
【Stanford Universit “Russia and The Other: A Cultural Approach”】
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