ルーマニア 国歌「目覚めよ ルーマニア人」
ルーマニア 国歌「目覚めよ ルーマニア人!」
タイトル
Deşteaptă-te române(読み方確認中)/ 目覚めよ ルーマニア人
最後に“!”をつける政府関連ページもあるが、法的根拠である憲法で記載されたタイトルに準拠し上記タイトルで記載。
作詞
Andrei Mureşanu /確認中
1816年11月16日、ルーマニア Bistrița生まれ。教師をする傍ら、新聞に記事や詩を寄稿する。1848年のルーマニア革命の中心人物の一人として参加し、捕虜となったのち帰国。公務員となり政府広報でルーマニア語の翻訳者として務めた。1861年の引退後、年金生活をしていたが、引退の翌年に発表した詩の印刷代が生活を圧迫するといったエピソードを持つ。1863年10月11日から12日かけ、ブラショフで逝去。遺体安置所の発表によると死因は「長い精神病のため」。
名前を冠した国立大学や劇場がある。
作曲
Anton Pann /確認中
1796年(月日不明)オスマン帝国スリヴェン(現在のブルガリア)生まれ。父親が亡くなった後母親と2人の兄弟とともにベッサラビア(モルドバ)に移住。そこで聖歌隊に入り音楽を学ぶ。
2人の兄弟がトルコとの戦争中に戦死した後の1812年、ブカレストに移住。そこで教会を通じて音楽学校に入学する。以降ギリシャ語からルーマニア語に協会音楽を翻訳するなどして活躍した。1820年にはZamfira Agurezanと結婚し、音楽教師として学校で働く。7年後に離婚したのち、歌手として所属していた修道院で16歳のAnicaと出会い付き合うように。彼女は修道院長の姪だった。年の差があったこともあり周囲から反対されたため1828年に2人で駆け落ち。歴史家によれば、アニカの髪を切り男装をさせ道中怪しまれないように“見習い”として逃げたという。結婚はせず10年ほどで別れてしまう。この1840年からは編集者として民間伝承の音楽をまとめた本などを出版。同年2月10日には18歳の少女キャサリン(ティンカ、エカテリーナという情報もあり)と結婚し生涯をともに過ごした。こちらも嫁の両親から反対されたが押し切り結婚。1854年11月2日、旅行先のオルテニアでチフスにかかり、ブカレストに帰宅後逝去。アントンパンは、妻に自身の死後修道院に入るよう約束をさせていたものの、妻は守らず、彼の死後パンの弟子と結婚した。
ブカレストで彼が唯一賃貸でなく購入し暮らしたとされる家を改装して建てられたアントンパン記念館がある。
採用年
1991年12月8日
上記の日、国民投票で憲法が承認され公布された。
成り立ち
“Redio Romania Cultural”の情報によれば、オスマン帝国下において暫定政府樹立以降、様々な“非公式”を含む国歌があったとしている。
『Un răsunet (1848-1856)』
現在の国歌と同じ。ウィーン体制からの独立を謳う革命歌として親しまれた。
『Hora Unirii (1856-1862)』
ルーマニア王国の非公式国歌。
上記国歌は公的機関から裏取りが出来ていない。裏取りが取れた情報は以下の通り。
1848年6月21日雑誌「Foaie pentru minte、inimăşiliteratură」にAndrei Mureşanuが書いた「Un răsunet」という歌が掲載された。これが後の国歌『目覚めよ ルーマニア人』の詩となる。この詩に合わせてアントン・パンが作曲し1848年7月29日、アントン・パン自身によってヴルチャ県ルムニク・ヴルチャで初めて歌われた。以降、この歌は愛国心と自由の象徴として歌い継がれ、独立戦争(1877-1878)、第一次、第二次世界大戦などでも歌われるが国歌になることはなかった。
1859 年1月24日、1862年のルーマニア公国誕生に合わせ、国歌を決めるコンペが開催され『Marș triumfal și primirea steagului și a Măriei Sale Prințul Domnitor』が選ばれ、1881年5月10日、カロル1世の戴冠式で『Imnul Regal』が発表され、国歌となる。
1947年12月30日共産主義国家のルーマニア人民共和国(のちのルーマニア社会主義共和国)になると、『目覚めよ、ルーマニア人』の演奏が禁止され、翌年1月4日『Zdrobite cătuşe』が国歌に定められる。
1953年8月20日議会によって“我ら、ルーマニアを賛える”の名で知られる『ルーマニア人民共和国国歌』が国歌として承認され、同月23日より使用された。この国歌はレーニン主義やソビエトに対する親密性を感じさせる歌詞を持っており、ソビエト軍を追い出し自国の独立を強く求めるにつれ歌詞と現実が乖離。特に1974年からチャウシェスクがルーマニア社会主義共和国の初代大統領になるとソ連と距離を置く独自外交を展開する。
1977年10月28日には採用された法律No33によって、”3色”と呼ばれる『ルーマニア社会主義共和国国歌』が国歌となる。1989年12月のルーマニア革命では、現国歌『目覚めよ、ルーマニア人』を大勢の国民が街頭に出て歌ったという。
独裁的な社会主義体制崩壊後の1991年、『目覚めよ、ルーマニア人』を国歌とすると明記した新憲法が採択された。
EXCELSIOR
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憲法第一章12条で以下のように定められている。
ルーマニアの国歌は「Deşteaptă-te române」とする。
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法律では1994年7月16日に議会が採用したNo75によって、使用方法だけでなく付録として歌詞なども定められている。
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1998年5月26日に制定された法律No99によって毎年7月29日は「国歌の日」として定められている。
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オリジナルの歌詞は全部で11節あるが、1・2・4・11節が国歌として法律で定められている。
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モルドバの国歌だったこともある。
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1933年に出版された司祭BonifatiePittişの自伝によると、パンの弟子Gheorghe Ucenescuが作曲したと書かれており、作曲者に関して公式とは異なる主張をする研究者もいる。
歌詞
【1】
Deşteaptă-te, române, din somnul cel de moarte,
În care te-adânciră barbarii de tirani !
Acum ori niciodată croieşte-ţi altă soarte,
La care să se-nchine şi cruzii tăi duşmani !
【2】
Acum ori niciodată să dăm dovezi la lume
Că-n aste mâni mai curge un sânge de roman,
Şi că-n a noastre piepturi păstrăm cu fală-un nume
Triumfător în lupte, un nume de Traian !
【4】
Priviţi, măreţe umbre, Mihai, Ştefan, Corvine,
Româna naţiune, ai voştri strănepoţi,
Cu braţele armate, cu focul vostru-n vine,
“Viată-n libertate ori moarte !” strigă toţi.
【11】
Preoţi, cu crucea-n frunte ! căci oastea e creştină,
Deviza-i libertate şi scopul ei preasfânt.
Murim mai bine-n luptă, cu glorie deplină,
Decât să fim sclavi iarăşi în vechiul nost’pământ !
歌詞 日本語訳(制作中)
歌詞 カタカナ読み
【1】
デシュテァプタテ、ロムネ、ディン ソムヌル チェル デ モアルテ、
ウン カーレ テァドゥンチラ バルバーリイ デ ティラニ !
アクム オリ ニチョダタ クロイェシュテツイ アルタ ソアルタ、
ラ カーレ サ センキネ シ クルジィ タイ ドゥシマニ !
【2】
アクム オリ ニチョダタ サ ダム ドヴェツィ ラ ルメ
カン アステ ムイニ マイ クルジェ ウン スンジェ デ ロマン、
シ カン ア ノアストレ ピェプトゥリ パストラム ク ファールン ヌメ
トリウンファトル ウン ルプテ、ウン ヌメ デ トライアン!
【4】
プリヴィツィ、マレツェ ウムブレ、ミハイ、シュテファン、コルヴィネ、
ロムナ ナツィウネ、アイ ヴォシュトリ ストラネポツィ、
ク ブラツェレ アルマテ、ク フォクル ヴォストゥルン ヴィネ、
「ヴィアツァン リベルタテ オリ モアルテ!」ストリガ トツィ
【11】
プレオツィ、ク クルチェアン フルンテ! カチ オアステア イェ クレシティーナ、
デヴィーザイ リベルタテ シ スコプル イェイ プレア スフン
ムリム マイ ビネン ルプタ、ク グロリエ デプリーナ、
デク サ フィム スクラヴィ ヤラシ ウン ヴェーキュル ノス パムン!
(協力:駐日ルーマニア大使館)
国歌に関するリンク
【MINISTERUL AFACERILOR INTERNE “Ziua Imnului National”】
【Camera Deputaţilor “CONSTITUŢIA ROMÂNIEI”】
【Regional Departament of Defense Resources Management Studies “NATIONAL ANTHEM DAY”】
【Portal Legislativ“DECRET nr. 333 din 20 august 1953”】
【Portal Legislativ“CONSTITUŢIA REPUBLICII SOCIALISTE ROMÂNIA*) din 29 iunie 1965”】
【Portal Legislativ“LEGE nr. 33 din 28 octombrie 1977”】
【Portal Legislativ“LEGE nr. 75 din 16 iulie 1994”】
【Muzeul Național al Literaturii Române “CASA MEMORIALĂ „ANTON PANN””】
【Revista forţelor terrestre “IMNUL ROMÂNIEI”】
【Libertatea “Imnul României “Deșteaptă-te, române” – Versuri și istoric”】
【adevarul “Cum a răpit-o Anton Pann pe fiica stareţei unei cunoscute mănăstiri din Oltenia”】
【EduSoftMagazine “Anton Pann – cântăreț al slovei românești”】(アーカイブ)
【Redio Romania Cultural “Cele şapte imnuri naţionale ale românilor”】