リトアニア共和国 国歌「国民賛歌」

リトアニア共和国 国歌「国民賛歌」

タイトル

Tautiška giesmė(確認中)‎ /国民賛歌

作詞

Vinco Kudirkos /ヴィンツァス・クディルカ

1858年12月31日リトアニア・ラドヴィリシュキス地区パエジェリアイ生まれ。作家、作曲家、医師、翻訳家、評論家など多才。国内にある複数の学校に通った後、ワルシャワ大学の歴史哲学部に入学するも途中編入し医学を学ぶ。大学を卒業した1889年に雑誌“Varpe”を立ち上げ、ロシア化が進む祖国でのリトアニア語の必要性を訴えた(1864年からリトアニア語の使用はロシアによって禁止されていた)。1890年リトアニアに戻り、シャキアイで医者として働きながら出筆活動を続けた。医療活動で得た収入をリトアニア語普及活動に費やし、生活は質素だったと言われている。1899年12月16日、リトアニア・ナウミエスティスで病気により逝去した。

作曲

同上

採用年

1919年

成り立ち

19世紀後半、現在のリトアニアの大半を支配していたロシア帝国などから逃れ多くのリトアニア人が海外で暮らしていた。ロシア帝国はリトアニアのロシア化を狙いリトアニア語を禁止するなど同化政策を強化しており、その反発でディアスポラたちは愛国心を強めていく。その中で国歌を作る動きが活発になっていく。様々な作品が誕生したが、最終的に選ばれたのは現在の国歌『Tautiška giesmė』だった。1898年9月15日、新聞 “Varpe”第6号にVinco Kudirkosによって作られた『Tautiška giesmė』の歌詞と楽譜が掲載される。1899年11月13日、サンクトペテルブルクで行われたリトアニア人学生支援のためのコンサートで、この歌が初めて公に演奏された。リトアニア語の使用が解禁された後は、ほとんどの公的行事で国歌を聴くことができるようになる。1905年6月6日、ヴィリニュス市立劇場で行われたリトアニア協会のイベントで合唱団がリトアニアで初めて公に歌われた。この頃には全土で歌われるようになっていたという。
1917年から議会で『Tautiška giesmė』が国歌にふさわしいかの議論が行われ、独立前年の1919年に国歌となる。どのような根拠を持って国歌となったのか明確な根拠はないが、1919年から国歌となったと言われている。
1940年6月15日、ソ連がリトアニア共和国を占領すると、リトアニアの国家としてのシンボルは禁止されたが国歌は対象外だった。理由は不明。そのため『Tautiška giesmė』が歌われたり、ソ連国歌『インターナショナル』が演奏されていた。
1950年にリトアニアSSRの国歌『Lietuvos Tarybų Socialistinės Respublikos himnas』が承認され、『Tautiška giesmė』は全面的に禁止される。
1977年8月31日、法律“リトアニアSSRの国歌について”が承認され『Lietuvos Tarybų Socialistinės Respublikos himnas』の歌詞が変更された。どのような変更が行われたのか不明。この間も国民の間で『Tautiška giesmė』は密かに歌われ続けていた。
1988年11月18日、国民の要求に答え、リトアニアSSR最高評議会は、リトアニア国旗とともに『Tautiška giesmė』をリトアニア国歌を正式に復活させた。
1989年1月25日、議会で“リトアニア・ソビエト連邦の国歌について”が承認され、正式に『Tautiška giesmė』が国歌として復活した。
独立回復宣言をした1990年3月11日、“リトアニア共和国暫定基本法”に国歌について言及。これは同国史上初めて憲法に国歌に関して書き込まれた。1992年 10月25日に制定されたリトアニア共和国憲法でも規定されている。

EXCELSIOR

憲法の一章16条において「国歌はVincas Kudirkaの“Tautiška giesmė”とする。」と明記されている。

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1991年10月29日に制定された法律“リトアニア共和国国歌に関する法律”によってタイトルや歌詞、演奏されるタイミングなどが定められた。侮辱をした場合処罰されることも明記。

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2009年以来、7月6日の建国記念日には世界中のリトアニアコミュニティが毎年21時に国歌を一斉に歌う催しがある。きっかけはリトアニアという言葉が生まれて1000年を記念し、ヨットで世界中にいるリトアニア人を訪ねて周るという企画だった。
このイベントをきっかけに、2019年4月26日、労働法の改正によって7月6日の祝日『建国(リトアニア国王ミンダウガス戴冠式)』という名称が『建国(リトアニア国王ミンダウガス戴冠式)及び国民賛歌の日』に変更された。

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大統領宮殿の近くに制作者の立像、シャキアイ地区自治体にはヴィンツァス・クディルカ博物館がある。

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Maironioリトアニア文学博物館にはヴィンツァス・クディルカに関するコレクションが302点あり、その中には彼が使っていた体温計や抜歯器などもある。

歌詞

Lietuva, Tėvyne mūsų,
Tu didvyrių žeme,
Iš praeities Tavo sūnūs
Te stiprybę semia.

Tegul Tavo vaikai eina
Vien takais dorybės,
Tegul dirba Tavo naudai
Ir žmonių gėrybei.

Tegul saulė Lietuvoj
Tamsumas prašalina,
Ir šviesa, ir tiesa
Mūs žingsnius telydi.

Tegul meilė Lietuvos
Dega mūsų širdyse,
Vardan tos Lietuvos
Vienybė težydi!

歌詞 日本語訳

 

歌詞 カタカナ読み

 

国歌に関するリンク

【議会“リトアニア国歌”】

【議会事務局“リトアニア共和国国歌に関する法律”】

【議会事務局“リトアニアSSRの国歌について”】

【議会事務局“リトアニア・ソビエト連邦の国歌について”】

【議会事務局TEISĖS AKTŲ REGISTRAS “リトアニア共和国労働法の承認、発効および実施に関する法律”】

【議会事務局TEISĖS AKTŲ REGISTRAS “リトアニア共和国労働法第 123 条を改正する法律”】

【憲法裁判所 “The Constitution”】

【首相官邸 “Lietuvos valstybės himnas (Tautiška giesmė)”】

【首相官邸 “Premjeras A. Kubilius: „Vardan tos Lietuvos vienybė težydi“”】

【Go Vilnius “Paminklas Vincui Kudirkai” 】

【Vilnijos vartai “VINCAS KUDIRKA”】

【Maironioリトアニア文学博物館 “VINCAS KUDIRKA”】

【Maironioリトアニア文学博物館 “VINCAS KUDIRKA”】

【Maironioリトアニア文学博物館 “VINCO KUDIRKOS LAIKRODIS”】

【Lietuvos nacionalinis muziejus “Vinco Kudirkos muziejus”】

【Šakiai district municipality “PAMINKLAS DR. VINCUI KUDIRKAI (KUDIRKOS NAUMIESTIS)”】

【Vinco Kudirkos viešoji biblioteka】

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