イラン・イスラム共和国 国歌「イラン・イスラム共和国の国歌」

イラン・イスラム共和国 国歌「イラン・イスラム共和国の国歌」

タイトル

سرود ملی جمهوری اسلامی ایران日本語読み確認中)/ イラン・イスラム共和国の国歌

作詞

ساعد باقری /日本語読み確認中

作曲

حسن ریاحی /日本語読み確認中

採用年

1992年6月3日(法的根拠はなし)

成り立ち

最初の国歌はガジャール朝第4代シャー・ナーセロッディーン統治時代(1848~1896)まで遡る。近代イラン君主として初めてヨーロッパを歴訪したシャーは、行く先々で軍楽隊が国歌を演奏する様子を見て自国の国家制作の必要性を感じる。そこでフランス政府に協力を依頼。フランスの国防省は第一フランス国防連隊の副音楽局長のアルフレッド・ジャン・バティスト・ルメールを派遣。彼の作曲によってイラン史上初の国歌『Salam Shah Salamati(こんにちは王)』が誕生する(歌詞なし)。
1933年にパフラヴィー朝イランの初代皇帝レザー・シャー・パフラヴィーの命令により作曲された。トルコの初代大統領アタチュルクに会うことを決めていた彼は、国の正式な国歌の制作をイラン文学協会に割り当てる。そこで生まれたのが『帝国の平和』で、1979年のイラン革命後まで使われた。この曲は3番まであり、最初の段落は「帝国国歌」、2番目の段落は「旗国歌」、3番目の段落は「国歌」と呼ばれているユニークなものだった。通常は1番が歌われた。
革命後の1980年『Payendeh Bada Iran』に置き換えられる(間奏がかっこいい)。晴れて共和国最初の国歌となったものの曲が長すぎるなどと批判があり変更に。
変更を話し合う会議に35名の作曲家が招待され、この問題について評議会と事務局が設置される。この取組により複数の作曲家によって68作品が完成。評議会は、作曲家の名前を伏せ公正にジャッジできるようにしたという。この方法で10作品に絞られたものを録音。初代元首ルーホッラー・ホメイニーに送る。当時のラジオ放送局交響楽団のリーダーの証言によれば、ホメイニーは10作品すべてを聞き意見を述べたが、自身で選ぶことなく評議会に戻したという。評議員はさらに3つに絞り、更に曲をアレンジするよう作曲家に返す。アレンジされた曲をラジオ局合唱団と交響楽団によってホメイニの前で演奏した。作曲家たちは自身の作品について説明したという。演奏から2ヶ月後、作詞家と作曲家に自身の曲が選ばれたという連絡が入る。1991年8月3日、ホメイニが承認。その後理由は定かではないが各部署への連絡が遅れ正式に『イラン・イスラム共和国の国歌』が国歌として発表されたのは1992年6月3日のことだった。

EXCELSIOR

憲法上で言及されているシンボルは国旗のみ

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『O Iran』は国歌として採用されたことはないが、国民に国歌のように愛された。

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アルフレッド・ジャン・バティスト・ルメールはテヘランに埋葬されている。

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韓国国歌に似ていると言われる。

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2018年、台湾で行われたテコンドーの世界選手権で優勝したイラン選手に対して帝国時代の国歌が流されるミスがあった。

歌詞 日本語訳(製作中)

 

歌詞 カタカナ読み(製作中)

 

国歌に関するリンク

【イラク大統領府 “憲法”】
https://presidency.iq/info.aspx?Jimare=1002#gsc.tab=0

【イスラム革命文化研究所 “イスラム共和国の国歌はどのように変化したか”】
https://farsi.khamenei.ir/others-report?id=22964

【euronews“イランのテコンドー連盟がイスラム共和国の国歌の代わりに帝国の国歌を演奏することに抗議”】
https://per.euronews.com/2018/11/20/iran-taekwondo-federation-reaction-to-former-imperial-anthem-instead-of-acurrent-national

【BBC“セルアルディンシャーカジャールから現在までのイランの国歌”】
https://www.bbc.com/persian/arts/2012/02/120215_l13_iran_national_anthems