ボツワナ共和国 国歌「我らの地」
ボツワナ共和国 国歌「我等の地」
タイトル
Fatshe Leno La Rona(ファツェ レノ ラ ロナ)/ 我らの地
作詞
Kgalemang Tumediso Motsete /カガレマング・トゥメディソ・モツェテ
1899年9月24日Serowe生まれ。音楽家、教師、政治家。ロンドン大学で音楽と神学の学位を取得。ボツワナで最初に大学教育を受けた人物となる。1932年には同国最初の中等学校を設立(1941年に第二次世界大戦が原因で閉鎖)。ボツワナ独立の指導者として活躍し、反植民地主義のボツワナ人民党の代表を努めた。国歌のメロディは1962年にボツワナ人民党の仲間とともにガーナ旅行をしたことが制作のきっかけだったと言われている。1974年ボツワナ北東部にあるKalakamatiで逝去。
ボツワナでは大変知られた作曲家で、出身地のSerowe では中学校の名前になったり、名前の頭文字を取ってKTM合唱団が結成されたりしている。KTM合唱団は世界的にも評価されており、同国で最も成功した合唱団と言われる。1997年10月から肖像画が描かれた20Pula紙幣が使われている。
作曲
同上
採用年
1966年9月30日
上記に行われた独立記念式典で歌われたことを根拠に記載。
成り立ち
イギリス保護領でベチュアナランドと呼ばれていた時代(1885-1966)はイギリス国歌『神よ女王を護り賜え』が歌われていた。
1962年、反植民地主義のボツワナ人民党の代表カガレマング・トゥメディソ・モツェテが愛国的な楽曲『我らの地』を制作する。1966年での独立の見立てがたった1965年末、イギリス人将校George Winstanley(独立後、首相官邸で初の内閣書記官になった)が国旗・国章・国旗の必要性を訴え、1965年12月31日までに内務省に提出するよう募る。国歌の場合、賞金は20レアルで歌詞とメロディのセットで出すことが求められた。この告知は南アフリカの国営新聞「Daily News」や「The Star」、その他の地方紙に掲載され、ボツワナ国内だけでなく南アフリカからも応募があったという。最終的に7曲まで絞られ閣議の場で演奏された。これら7曲はラジオで定期的に流したり、1966年4月下旬から5月上旬にかけての1週間、ラジオ局のホールで生演奏をするなど国民が聞ける機会を作り国民投票が行われる。そこで圧倒的な勝利を得たのがモツェテが作曲した『我らの地』だった。モツェテは優勝し20レアルを得て著作権を政府に譲渡。ツワナ語で作成されていたため、政府によって英訳がされた。
1966年9月30日の真夜中に行われた独立記念式典で国歌が公的な場で初めて演奏される。しかしこれがオリジナル楽譜に忠実ではないと制作者から指摘された。制作者自身によって修正が加えられた修正版を1968年1月に政府が配布するよう指示。これは独立前と独立後の両方で公式訪問した初めての外国人大統領ザンビアのケネス・カウンダ氏の国賓訪問を控えて急遽行われた対応だった。
EXCELSIOR
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憲法で国歌への明記はないがシンボル全体としては存在する。
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国歌に関する法律はない。
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楽譜のミスと政府による英訳は制作者にとって耐え難いものだった。
1966年8月16日、当時ザンビアで教師をしていたモツェテは通りで売られていた『クロニクル』紙に掲載されていた国歌の英訳を読み、訳文がメロディに合わないことに気づく。すぐに内務大臣に連絡し自身が新たに作成した英訳歌詞をボツワナ政府に送っており、朱筆で訂正箇所が書かれた楽譜が今も残る。
また、楽譜にもミスが多く見られたようで、ハーモニーであるべき所が男性のみで歌うようになっていたり、そもそも音符の位置が間違っている箇所もあった。モツェテは不快感を隠さず、修正点と「世界で嘲笑される」と手紙にしたためている。しかし、彼の修正は間に合わず、9月30日の独立記念式典では修正前の歌詞と楽譜が配布された。修正が行われたのは1967年2月になってから。この当時の混乱が見受けられるエピソードがある。1969年2月には大統領令として「ツォーガン」の部分を強調できないかなどと指示が出ている。
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George Winstanleyは国旗と妻の協力を得て国章を作成し、その両方が採用された。
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学校では社会科や歴史の試験で国歌がテストに出ることがある。歌詞や制作者についてなど。
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1967年11月、EMIヨハネスブルク支店からヨハネスブルグのアレクサンドラという町にある聖ミカエル聖公会合唱団がEMIのスタジオでボツワナ国歌を販売目的で録音したという連絡が政府に入った。同社のコロンビアという商標で販売するため、国歌の製作者名と著作権がどうなっているか知りたいという内容で、販売に関しての事前許可の申請はなかった。
結果政府は、楽譜が原曲に忠実でなかったことを理由に “ボツワナ国歌としては適切ではなく販売を許可しない”という判断を下す。EMIは150枚コピーしており商業的損失が出たと政府を非難した。このEMIの録音バージョンは政府が作者に指摘された正確ではない楽譜を忠実に再現されたことが理由だったと考えられる。
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2007年まで国家の象徴は大統領の許可なしでは自由に使用できないという規定を設けた“National Emblems Act and National Emblem Subsidiary legislation”が存在。これにより国歌を歌える国民が少なかった。2006年の独立40周年に合わせ国歌の普及が進められ、現在は多くの人が歌えるようになっている。
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公式の英訳歌詞があるものの、公の場ではツワナ語で歌われるため英語を歌う人は皆無。英訳はツワナ語の直訳では無い。そのため冒頭のタイトルにもなっている部分は”我らの地”ではなく”この気高い我らの地に祝福あれ”と書かれている。ボツワナ大使とこの話をした際、「かなり意訳されている」と語っていた。
英語版は以下の通り。
【1】
Blessed be this noble land,
Gift to us from God’s strong hand,
Heritage our fathers left to us,
May it always be at peace.
【コーラス】
Awake, awake, O men, awake!
And women close beside them stand,
Together we’ll work and serve
This land, this land, this happy land!
【2】
Word of beauty and of fame,
The name Botswana to us came.
Through our unity and harmony,
We’ll remain at peace as one.
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政府は、国歌の基本的なメロディーと歌詞が保持される場合に限り、異なる目的、状況、または音楽スタイルに合わせて国歌を変更することを許可している。
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2番の歌詞で表記が分かれるところがある。「La tšhaba ya Botswana」と「La cha ba ya Botswana」。大使館によれば、発音区別符号付き版の「La tšhaba ya Botswana」が公式では使われる。しかし「La cha ba ya Botswana」が使われることもあり間違いではないらしい。
歌詞
【1】
Fatshe leno la rona,
Ke mpho ya Modimo,
Ke boswa jwa borraetsho;
A le nne ka kagiso.
【コーラス】
Tsogang, tsogang! banna, tsogang!
Emang, basadi, emang, tlhagafalang!
Re kopaneleng go direla
Lefatshe la rona.
【2】
Ina lentle la tumo
La chaba ya Botswana,
Ka kutlwano le kagisano,
E bopagantswe mmogo.
(コーラス2回)
歌詞 日本語訳
【1】
この気高い我らの地に祝福あれ、
神の力強い手から我らに託された贈り物、
父祖から我らに残した遺産、
この大地がいつまでも平和でありますように
【コーラス】
目覚めよ、目覚めよ!
男たちよ、目覚めよ!
女たちも立ち上がれ!
共に働き、つかえよう、
この大地に、この幸せの地に
【2】
美しく、高名な、
ボツワナという名を思い出せば、
我らの団結と調和によって、
我らは一つになり、平和であり続けるだろう
(コーラス)
歌詞 カタカナ読み
【1】
ファツェ レーノ ラーローナ
ケムポー ヤー モーディーモ
ケボ ソワァージワー ボーーラーエツォ
アレ ネーカ カギソ
【コーラス】
ツォーハァーン ツォハァーン バンナー ツォハァーン
エーマン バサディ エーマン ターハファラン
レコパネーレ ホディーレラ
レファーツェーラー ローナー
【2】
イナ レンテ ラ トゥーモ
ラ チャバーヤ ボーツゥワナ
カクトゥルワーノ レーカーヒーサノ
エボパーハン ツウェ モーホー
(コーラス2回)
※ツォーハァーンの”ハ”は、hが口蓋に舌がつくイメージでハを発音
協力:駐日ボツワナ共和国大使館
国歌に関するリンク
【駐スイス ボツワナ大使館 “ABOUT BOTSWANA”】
https://botswanamission.ch/about-botswana/
【大英博物館 “Kgalemang Motsete”】
https://www.britishmuseum.org/collection/term/BIOG154487
【ボツワナ大学 “The botched ‘National Prayer’: challenges in the performance and recording of the Botswana National Anthem, 1965-2006”】
https://ubrisa.ub.bw/handle/10311/2300
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