セルビア共和国 国歌「正義の神」

セルビア共和国 国歌「正義の神」

タイトル

Боже правде確認中)/正義の神

作詞

Јована Ђорђевића /確認中

1826年11月25日セルビア センタ生まれ。高校を卒業後、医学の道を選ぶが政情不安により研究が続けられなくなる。その後、知事の事務所で事務員として働く中でハンガリーのアマチュア劇団に出会い演劇の道へ。1850年、アマチュア劇場を設立。フランス語、ドイツ語、ハンガリー語から25の劇を翻訳、リメイクした。1852〜1857年は教会で教師をしていたが保守派の妨害により教師活動ができなくなったため編集者に転向。
1861年7月、演劇委員会の副代表に就任。劇作家、監督としても活躍しセルビア国立劇場の設立に尽力。1868年には国立劇場の初代マネージャーに就任した。完成後、ミハイロ・オブレノビッチ王子がベオグラードにも劇場を設置したいという提案を受け入れベオグラードに移り住み設立に励んだ。王子が暗殺されるものの、なんとか劇場を立ち上げる。その後、教師として再び活躍。当時の王であったアレクサンダル・オブレノヴィッチにラテン語と地理を教え、護衛とともにロシアとオーストリアを旅行している。1893年、教育大臣に就任。85年からは陸軍士官学校で歴史を教えた。1900年4月22日、ベオグラードにて逝去。
首都ベオグラードには彼の名を冠した通りがある。

作曲

Даворина Јенка /確認中

1835年11月9日、スロベニア ドヴォルジェ生まれの作曲家兼指揮者。ウィーンのスロベニア歌唱協会の合唱指揮者として音楽キャリアをスタートさせ、合唱団のために作曲も行った。セルビア国立劇場の指揮者兼作曲家であった彼は、セルビアでオペラの発展に寄与し80以上の作品を残している。1887年にはセルビア王立アカデミーの会員に任命された。1910年にスロベニアのリュブリャナに移り住み、1914年11月25日同地で逝去。
カルニオラ公国賛歌及びユーゴスラビア王国国歌の一部だった『進め 栄光の旗』は彼が作曲した。

採用年

2006年11月8日

成り立ち

19世紀、オスマン帝国から独立したのち公国となったセルビアでは非公式ながら『セルビアの蜂起』が国歌のような存在で歌われていた。ミハイロ オブレノヴィッチが実権を握ると、教育大臣に国歌策定を行うよう命じる。教育大臣は複数人に制作依頼をしているが返事をもらえなかったりと難航。そんなこんなしているうちに大臣は賄賂で逮捕されてしまう。その翌年には政府が作詞家Jovan Jovanović Zmajと作曲家のКорнелије Станковићに制作を依頼するも 1868年にミハイロが暗殺されてしまったため計画は頓挫。
現国歌のお披露目は1872年8月10日。ミラン オブレノヴィッチ王子(のちのセルビア王)の18歳の誕生日(成人)と王位継承を祝って行われた演劇「マルコの剣」で「おお、正義の神」という名で初めて演奏される。ミランはこの劇中歌を気に入り、セルビア公国がセルビア王国と宣言された1882年2月に『正義の神』を国歌として採用した。
1903年5月クーデターによって王位がオブレノヴィッチ家からカラジョルジェヴィッチ家に移ると、オブレノヴィッチ家を讃える『正義の神』は廃止される。新しい国歌の制作が模索されたが、依頼した人物に制作を拒否されたり納得する作品ができなかったりと、うまくいかず国歌がない期間が続いてしまう。
1909年、ペータル一世は聖ペトロの日に『正義の神』を国歌として再度採用することを決めた。
1918年12月1日にセルビア・クロアチア・スロベニア王国が成立。のちにユーゴスラビア王国に国名を変えると法的根拠がないまま、クロアチア王国の事実上国歌『我らの美しき祖国』、カルニオラ公国の賛歌『進め 栄光の旗』、そして歌詞の「セルビア」を「私達」に変更したセルビア王国国歌『正義の神』をまとめた通称『ユーゴスラビア王国国歌』が慣例として国歌として歌われた。
第二次世界大戦が勃発しドイツ軍に占領され王国は事実上崩壊。戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国の国歌『スラブ人よ』が歌われる。しかし、これが憲法で名前が明記されたのは1988年の憲法改正時のことだった。
1992年ユーゴスラビア連邦共和国となり同年4月27日に制定された憲法で改めて『スラブ人よ』が国歌であると定められた。一方で多くの国が独立し事実上セルビア人の国となったこともあり憲法が定められた年に、セルビア人に馴染みのある3曲『正義の神』『セルビアの蜂起』『ドリナ川の行進』から国歌を選ぶ国民投票が行われる。そこで選ばれたのが社会主義連邦時代に人気だったドリナの行進だった。しかし、これを議会は「好戦的すぎる」という理由で国民投票を無効とし、決定を採択しなかった。
2004年、元セルビア議会議長のПредраг Марковићが『正義の神』を国歌にすることを提案し、同年8月に議会で国歌として採択。2006年、モンテネグロ独立後の同年11月6日、正式に『正義の神』がセルビア共和国の国歌となった。この際、歌詞の「セルビアの王」が「セルビアの地」に、「神はセルビアの王を救う」が「神よ、救い、守り給え」に変更された。

EXCELSIOR

憲法では、“セルビア共和国国歌は公式歌『正義の神』とする。・・・・使用に関しては法律によって規制されるものとする。”と記載されている。

♪♪

国歌の扱いに関しては法律で定められているようだが確認できなかった。

♪♪♪

ボスニア・ヘルツェゴビナの構成国の一つ、スルプスカ共和国では2008年7月15日に『我が共和国』が採用されるまで『正義の神』が共和国の賛歌として歌われていた。この変更は、2007年にボスニア・ヘルツェゴビナの憲法裁判所が『正義の神』を賛歌としていることに違憲判決を出したため。

♪♪♪♪

2012年5月26日に行われたスペインとのサッカー親善試合で国歌を歌わなかったАдем Љајић選手が代表から外され問題になった。このセルビアサッカー協会による出場停止処置は2年間行われた。歌わなかった理由を本人は未だに説明していない。そのため民族問題や宗教問題だと議論になった。

♪♪♪♪♪

2021年9月、文部省は教育機関の新学期に国歌を演奏することを定めた。1年目、歌わなかった唯一の小学校「RifatBurdžovićTršo」は学校名を公表された

♪♪♪♪♪♪

「神よ、救い、守り給え」の部分はかなり変更があった。セルビア公国時代、ミラン王子を称えるために作られたため、「神はミラン王子を救い守る」と作られた。これがセルビア王国となり、王子がセルビア王となると“王子”が“王”に変わる。5月クーデター後、新国歌制定を諦めたペータル王一世は“ミラン王”を“ペータル王”に変更し国歌とした。1914年、アレクサンドル1世の治世になると“ペータル王”が“セルビア王”に変わる。これは“アレクサンドル”が長すぎてメロディに合わなかったため。

♪♪♪♪♪♪♪

第二次世界大戦開戦前夜に行われた国歌コンクールでセルビア国歌が一番美しいと評価されたという話や、合唱コンクールでセルビア国歌を歌ったセルビア合唱団が優勝したという情報がネット上である。

歌詞

【1】

„Боже правде, ти што спасе
од пропасти досад нас,
чуј и одсад наше гласе
и од сад нам буди спас.

Моћном руком води, брани
будућности српске брод,
Боже спаси, Боже храни,
српске земље, српски род!

【2】

Сложи српску браћу драгу
на свак дичан славан рад,
слога биће пораз врагу
а најјачи српству град.

Нек на српској блиста грани
братске слоге златан плод,
Боже спаси, Боже храни
српске земље, српски род!

【3】

Нек на српско ведро чело
твог не падне гнева гром
Благослови Србу село
поље, њиву, град и дом!

Кад наступе борбе дани
к’ победи му води ход
Боже спаси, Боже храни
српске земље, српски род!

【4】

Из мрачнога сину гроба
српске славе нови сјај
настало је ново доба
Нову срећу, Боже дај!

Отаџбину српску брани
пет вековне борбе плод
Боже спаси, Боже брани
моли ти се српски род!”

歌詞 日本語訳

 

歌詞 カタカナ読み

 

国歌に関するリンク

【政府ポータル “Симболи Србије Упознајте Србију”】
https://www.srbija.gov.rs/tekst/45627/simboli-srbije.php

【政府ポータル “Наставу у новој академској почети извођењем химне „Боже правде”】
https://www.srbija.gov.rs/vest/577624/nastavu-u-novoj-akademskoj-poceti-izvodjenjem-himne-boze-pravde.php

【政府ポータル “Закључак о употреби грба, заставе и химне Републике Србије”】
https://www.srbija.gov.rs/dokument/9912/zakljucak-o-upotrebi-grba-zastave-i-himne-republike-srbije.php

【ユーゴスラビア公文書館 国歌”】
http://www.arhivyu.gov.rs/active/en/home/glavna_navigacija/leksikon_jugoslavije/drzavni_simboli/himna.html

【駐ロシア大使館 セルビア共和国の憲法”】
http://www.moskva.mfa.gov.rs/serbiatext.php?subaction=showfull&id=1197024751&ucat=21&template=Headlines&#disqus_thread

【駐ロシア大使館 National Symbols and Anthem of the Republic of Serbia”】
http://www.moskva.mfa.gov.rs/serbiatext.php?subaction=showfull&id=1197024802&ucat=21&template=MeniENG&

【セルビア科学芸術アカデミー “Даворин ЈЕНКО”(アーカイブ)】
https://web.archive.org/web/20170107100432/http://www.sanu.ac.rs/Clanstvo/IstClan.aspx?arg=210,

【BBC “Србија, празници и химна: Како је настала Боже правде – кад „сатира постане достојанствена песма””】
https://www.bbc.com/serbian/cyr/srbija-58385823

【PTC “Ја сам твој син” уместо “Боже правде” – провокација или извлачење из контекста”】
https://www.rts.rs/page/stories/ci/story/124/drustvo/4500196/himna-novi-pazar-skola-intoniranje-.html

Културни центар Новог Сада Јован Ђорђевић – маг и отац српског театра”
https://www.kcns.org.rs/agora/jovan-djordjevic-mag-i-otac-srpskog-teatra/

【SIstory “ СПОМЕНИ”】
https://www.sistory.si/cdn/publikacije/38001-39000/38755/sr-ch15.html

関連記事