コソボ共和国 国歌「コソボ共和国の国歌」
コソボ共和国 国歌「コソボ共和国の国歌」
タイトル
Himni i Republikës së Kosovës(確認中)/コソボ共和国の国歌
”ヨーロッパ”と紹介されることもあるが正式なタイトルではなく通称。作曲したMengjiqiは「”ヨーロッパ”はおかしい。これは選考時に暗号のようなものとして使っていた名称だ」とインタビューで証言している。
作詞
なし
作曲
Mendi Mengjiqi /確認中
1958年6月3日、コソボ・ルプ生まれの作曲家。1980年に中等音楽学校を卒業し、プリシュティナの音楽アカデミーの理論学部で研究を行い1987年に卒業証書を取得し、1988年からは作曲学科で学び始めるも、1990年にプリシュティナアカデミーが閉鎖され研究の中断を余儀なくされる。1年後にポーランドに渡り、そこで音楽への研究を深めていった。
当初、子供向けのポピュラー音楽を作曲。1982年には「アコルディコソボ」フェスティバルで発表された作品でユーゴスラビア作曲家連合の金メダルを受賞するなど数々の賞を獲得している。
作品の特徴としてアルバニアのフォークミュージックの特徴的な要素(楽器、リズム、音階)を好んで使用する点が挙げられる。
採用年
2008年6月11日
成り立ち
1999年にNATOの援護を受けセルビア軍を追放してからアルバニアの国旗と国歌『旗のもとの団結』を使っていたコソボは国際社会で一国としての地位を得るための準備を進めていた。2000年まで存在し、国際的な地位を得ずに解体されたコソボ共和国(旧)の大統領イブラヒム・ルゴバは国旗、国歌を制作したと証言している。曲名は『Kur ka ra kushtrimi n’Kosovë』。しかしこの曲は政敵から強い反発を受け消滅した。2006年まで使われていたと推測される。
2006年、国際連合コソボ特別大使に任命された元フィンランド大統領のマルッティ・アハティサーリは、コソボが一国の組織として認められるための基準、いわゆる“アハティサーリ・プラン”を提示。そこには、国旗、国章、国歌を持つことも記載されていた。
2008年2月17日、コソボ議会がセルビアからの独立を宣言。国旗と国章は既に定められていたが国歌は無い状況で独立を宣言。同年3月12日からコソボ議会が国歌の募集を開始する。コンテストでは以下のことが条件とされた。
・30秒から1分の長さで、歌詞がないようにする。
・政党、運動の賛歌との類似性や、特定の民族を暗示してはいけない。
・コンテストは誰でも参加でき、優勝者には10,000ユーロを授与される。
結果、1つの歌詞ありの曲と、メロディのみの2つ、合わせて3曲に絞り込まれ、公表されずに議会で公開され検討が進められる。
2008年6月11日議会は賛成72票、反対5票でMengjiqiが作曲した『ヨーロッパ』という歌詞なしの曲が国歌として制定した。
EXCELSIOR
♪
憲法では以下のように言及されている。
第6章 シンボル
1. 国旗、国章、国歌は多民族国家であるコソボ共和国のシンボルである。
2. 国旗およびその他の国のシンボルの外観、表示、保護については、法律で規定する。
♪♪
2008年6月20日に議会で採択された法律03 / L-038によって、国歌の演奏機会や罰則などの国歌のシンボルの扱いに関して定められた。
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作者のMendi MengjiqiはRadio Free Europeのインタビューで非公開にしている歌詞があることを明らかにしている。
歌詞
歌詞なし
歌詞 日本語訳
歌詞なし
歌詞 カタカナ読み
歌詞なし
国歌に関するリンク
【Kuvendi i Republikës së Kosovës“CONSTITUTION OF THE REPUBLIC OF KOSOVO (with amendments I-XXVI)”】
【BBC“Kosovo seeks own national anthem”】
【BBC“Hapet konkurs për himnin e Kosovës”】
【Radio Free Europe “Kosovo’s Anthem Still Leaves Citizens At A Loss For Words”】
【The NewYork Times“Trying to avoid offense, Kosovo chooses anthem”】
【Polskie Wydawnictwo Muzyczne “Mendi Mengjiqi”】
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