コスタリカ共和国 国歌「コスタリカの国歌」
コスタリカ共和国 国歌「コスタリカの国歌」
タイトル
Himno Nacional de Costa Rica(イムノ・ナショナル・デ・コスタリカ)/コスタリカの国歌
作詞
José María Zeledón Brenes /ホセ・マリア・セレドン・ブレネス
1877年4月27日、コスタリカ・サンホセ生まれの作家、ジャーナリスト、詩人。27歳の時、歌詞を募集する政府主催のコンペに参加し採用が決まった。自身の収入の一部を学校に寄付するなど慈善活動も行っていたという。1949年12月6日にパルタにて逝去。
作曲
Manuel María Gutiérrez /マヌエル・マリア・グティエレス
1829年9月1日にコスタリカ・ヘレディア生まれ。幼い頃よりフルート奏者として音楽のキャリアをスタートさせ、13歳には軍楽隊メンバーとして活動した。1846年9月1日ヘレディア市立楽団のマエストロに就任し、1852年には共和国音楽隊の局長に抜擢される。同年6月11日に政府の依頼により国歌を作曲。1858年には財務省より500ペソを借りハバナで数日間音楽を学んだ。以降多くの名曲を残し、公的な地位にも着き国家に貢献し、1887年12月25日サンホセで逝去。
採用年
1949年6月10日
リベリア市でも1949年6月10日に国歌が公式に宣言されたと記載されている。
成り立ち
1852年6月8日、アメリカのRobert M. Walsh長官とイギリスのCharles L. Wyke大使が率いる外交使節団がコスタリカに到着した。当時の大統領Juan Rafael Mora Porrasは11日に彼らへの歓迎式典を行うことを決め、式典の内容は大統領の弟であるJosé Joaquín Moraに担当させる。準備を進める中、José Joaquín Moraはサンホセに住む国際儀礼に詳しい外国人と話していると、「なぜ式典プログラムに国歌演奏がないのか」と問われたという。尋ねられたJosé Joaquín Moraは驚き、気分を害したとされる。
時間がない中驚きの事実が判明し国歌制作という大事な任務を遂行しなければいけなくなったJosé Joaquín Mora。彼の頭に浮かんだのが、軍楽隊のディレクターManuel María Gutiérrezだった。Manuel María Gutiérrez は3日をかけ6月11日の夜明けに完成させた。その日の朝8時には、彼の指揮の下バンドのリハーサルを行い、同日正午、両国の外交使節団を大統領が政府庁舎で出迎えた際に初めて演奏された。
以降、様々な歌詞をつけてこの曲が歌われたものの、公式の歌詞は当分の間作られることはなかった。研究者の間ではメロディが国民に浸透せず、機運が高まらなかったことを指摘されている。その後、政治情勢の不安定などがあり、歌詞の話は起こらなくなる。
1870年からトマス・グアルディアによる独裁政権が始まると、コロンビア人で詩人のJosé Manuel Llerasが、グアルディアを称賛する内容の歌詞を制作する。しかし評判は悪く「中米の労働組合の感情を大胆に否定する者」と国内から評されることもあった。
この不人気国歌が広まらない中、ガリタ神父が歌詞を制作したことが知られている。また、スペインから政府の依頼で指導にあたっていたJuan Fernández Ferrazの作品が1888年7月12日に大統領の承認を得て、新たな歌詞を制作し使用されたことが判明している。しかし、この作品も国歌の歌詞として適切だとはされなかった。そこでサンホセの複数の新聞社が歌詞制作のためのコンペを行うことを提案する。
1903年6月20日に大統領令N° 71が出され、歌詞を選ぶためのコンテストが開催された。同年8月20日まで募集が行われ、優勝者には500コスタリカ・コロンが支払われるとし、ペンネームを付けて応募することが定められた。そこで選ばれたのが「ラブラドール」というペンネームで応募したJosé María Zeledón Brenesの作品が満場一致で選ばれ、1903年8月24日、40作品から選ばれた優勝者が選考委員から教育長官に報告された。公に発表されたのは機関紙「La Gaceta」8月30日付の記事によって受賞作として掲載された。作品は大統領令に乗っ取り歌詞に採用され今に至る。初演は同年9月15日、サンホセにあるメタリコ学校の前で式典が行われ、そこで初めて採用された歌詞が公で歌われた。
1949年6月10日、議会で採択された法律N°551が施行されたことにより、メロディと歌詞双方に法的根拠が持たれた。
EXCELSIOR
♪
憲法において国歌に関する文言はない。
♪♪
~議会によって出された法律~
・1949年6月10日、議会で採択されたN°551によって歌詞が定められた。また、2条では教育機関で指導することが義務付けられた。
・1977年11月14日に議会で採択されたN°1792では国の称号である“Beneméritos de la Patria”を国歌の歌詞と音楽の作者であるManuel María GutiérrezとJosé María Zeledón Brenesに与えると定めている。
♪♪♪
~政府によって出された政令~
・1979年9月1日に行政府により政令N°10471-Eが採用されメロディが統一された。本文には作曲者の名前と音符が記載されている。「1864年以来非常に様々なバージョンが公開されており、様々な音色と速度で書かれ、メロディー、ニュアンス、ダイナミクスに顕著な変化があり、そのすべてが長年にわたって正しい解釈を妨げてきました」と述べ、記載されたスコア以外でのメロディを禁止するとしている。
同法律の2条では、“四拍子” “スピードは108” “変ホ長調”で演奏されることが定められている。ちなみに“変ホ長調”はベートーヴェンが多用したもので『皇帝』『英雄』があり、『英雄』が発表されたのちは“英雄の調”と呼ばれ、『ウルトラマンセブンの歌』でも使われている。
・2008年3月10日、行政府により政令N°34616-MEP-Cが出され、国歌演奏に関する規則が定められた。しかし姿勢などの言及はなく、演奏される場所などに関して書かれている。
♪♪♪♪
作曲者の制作に対するモチベーションに関しては証言が割れている。
1つは作曲者の息子による証言で、命令を快く受け入れ制作に没頭したという話。もう1つは将軍からの命令を拒否したという逸話だ。拒否の理由は、芸術作品は制限時間内に作成されるようなものではないとし、軍事的規律は芸術的創造の自由規律とは関連がないとした。しかし、将軍は彼の反抗的な性格を知っていたため、中央兵舎に連行し閉じ込めて制作させた。部屋にはピアノ、裏紙、インク、ペンが用意されていたという。作曲は難航し、夜明けに完成したとされる。
♪♪♪♪♪
歌詞の審査員には当時の著名な作家で構成された。メンバーは以下の通り。
Ricardo Fernández Guardia、Alejat .lro Alvarado Quirós、Alberto Brenes Córdoba
また、コスタリカで生涯を閉じたイタリアの著名な音楽家Alvise Castegnaroが歌詞とメロディの調整を行うために選ばれたが、特に変更はなかったとされる。
♪♪♪♪♪♪
歌詞コンテストに優勝したJosé María Zeledón Brenesは賞金を得たわけだが、一度当局から返金するよう連絡があったという。当時の機関紙「La Gaceta」には歌詞の決定の報道が数日されなかったことから、制作者本人は歌詞採用に反対する意見があったのだろうと証言している。指示通り返金したのち、知識人たちからの賛同を得るためのアンケートを実施。その苦労もあり無事歌詞に採用され、賞金も支払われた。
♪♪♪♪♪♪♪
優勝賞金を500ペソとするところがあるが、1896年にコスタリカ・ペソからコスタリカ・コロンに変更されており、コンペ時もコロンとなる。
♪♪♪♪♪♪♪♪
受賞作品が掲載された「La Gaceta」に掲載された歌詞は、オリジナルの”descansa “という単語の語尾に”z “を付けたスペルミスがある。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪
第1スタンザの3行目には、“mamo”という単語がオリジナルにはあるが、これが“límpido”に置き換えられている。教育省の発表資料によれば、この変更は作者自身によるものだとしている。
歌詞
Noble Patria, tu hermosa bandera
expresión de tu vida nos da;
bajo el límpido azul de tu cielo
blanca y pura descansa la paz.
En la lucha tenaz de fecunda labor
que enrojece del hombre la faz,
conquistaron tus hijos labriegos sencillos,
eterno prestigio, estima y honor.
eterno prestigio, estima y honor.
¡Salve, oh tierra gentil!
¡Salve, oh madre de amor!
Cuando alguno pretenda tu gloria manchar,
verás a tu pueblo valiente y viril
la tosca herramienta en arma trocar.
¡Salve, oh Patria, tu pródigo suelo
dulce abrigo y sustento nos da!
Bajo el límpido azul de tu cielo
¡Vivan siempre el trabajo y la paz!
歌詞 日本語訳
気高き祖国!その美しい国旗は
高貴な生命を表わす
青く澄んだ空の下
白く清らかな平和が憩う
実りある労働の粘り強い闘いの中で
顔を赤く染める
あなたの子、素朴な農民たちは、
永遠の威信、尊敬、そして名誉を勝ちとった
万歳、優しき祖国よ!
万歳、愛を与えし母国よ!
あなたの栄光を汚そうとする者があれば
あなたは勇敢で雄々しい国民を見るだろう
粗末な道具を武器に変えるのを
万歳、祖国よ、あなたの豊かなる大地は
温かい家と糧を与える
青く澄んだ空の下
永遠に労働と平和がありますように!
歌詞 カタカナ読み
ノーブレ パートリア トゥエルモーサ バンデーラ
エックスプレシオーン デ トゥビーダ ノスダー
バーホエルリン ピード アスール デ―トゥ シエーロ
ブランカイ プーラ デスカンサ ラパース
エンラ ルーチャ テナス デ フェクーンダ ラボール
ケエンロヘーセ デルオーン ブレラファース
コンキスタロン トゥスィーホス ラブリエーゴス センシージョス
エテールノ プレスティーヒオ エスティーマ イオノール
エーーテールノ プレスティーヒオ エスティーマ イオノール
サルベオゥティエー ラーヘンティール
サルベオゥマーードレーデアモール
クアンドアルグノ プレテーンダ トゥ グローリア マンチャール
ベラース アートゥ プゥエーブロ バリエーンテ イビリル
ラートースカ エラミエンタ エン アァールマ トロカル
サルベオゥ パートリア トウ プローディーゴ スゥエーロ
ドゥルセ アブリーゴ イスステント ノスダー
バーホエルリン ピード アスール デートゥ シエーロ
ビーバン シィエーンプレ エルトラバー ホイ ラパス
国歌に関するリンク
【Presidencia de la República de Costa Rica“Símbolos Nacionales”】
https://www.presidencia.go.cr/simbolos-nacionales
【教育省“Día creación de la música del Himno Nacional de Costa Rica”】
https://www.mep.go.cr/noticias/dia-creacion-musica-himno-nacional-costa-rica
【リベリア市“El Himno Nacional”】
https://www.muniliberia.go.cr/muni/std/112/el-himno-nacional
【共和国司法長官事務所“憲法”】
https://www.pgrweb.go.cr/scij/Busqueda/Normativa/Normas/nrm_texto_completo.aspx?nValor1=1&nValor2=871
【共和国司法長官事務所“N°1792”】
http://www.pgrweb.go.cr/scij/Busqueda/Normativa/Normas/nrm_texto_completo.aspx?param1=NRTC&nValor1=1&nValor2=38727&nValor3=40835¶m2=1&strTipM=TC&lResultado=3&strSim=simp
【共和国司法長官事務所“N°10471-E”】
http://www.pgrweb.go.cr/scij/Busqueda/Normativa/Normas/nrm_texto_completo.aspx?param1=NRTC&nValor1=1&nValor2=63524&nValor3=73061&strTipM=TC
【共和国司法長官事務所“Nº 34616-MEP-C”】
http://www.pgrweb.go.cr/scij/Busqueda/Normativa/Normas/nrm_texto_completo.aspx?param1=NRTC&nValor1=1&nValor2=63508&nValor3=73053¶m2=1&strTipM=TC&lResultado=1&strSim=simp
【共和国司法長官事務所“N°551”】
http://www.pgrweb.go.cr/scij/Busqueda/Normativa/Normas/nrm_texto_completo.aspx?param1=NRTC&nValor1=1&nValor2=17779&nValor3=18978¶m2=1&strTipM=TC&lResultado=6&strSim=simp
関連記事