大韓民国 国歌「愛国歌」

大韓民国 国歌「愛国歌」

タイトル

애국가 (エグッカ)/ 愛国歌

作詞

不明

作曲

안익태(安益泰)/アンイッテ ※アンイクテと表記されることが多い

1906年12月5日、現在の北朝鮮平壌で生まれ。幼い頃、教会で初めて音楽に触れ、音楽家になる夢を持つ。中学生時代、宣教師にチェロを学ぶ。1919年に起こった3.1運動に参加したことで退学処分となるも、不憫に思った宣教師の手配で日本へ留学。日本の中学校でもチェロを学び、1926年東京国立音楽大学に進学し、チェロ演奏者を目指す。卒業後、一時帰国して数回のチェロ独奏会を開いたのちアメリカに留学。シンシナティ音楽院に奨学生として入学し、1933年2月にはフィラデルフィアテンプル大学音楽大学院に奨学生として編入し、フィラデルフィアオーケストラにチェロ練習団員として入団。これがきっかけで指揮者に興味を持つようになる。いくつかの楽団の指揮を経験したのち休学し、1936年6月にウィーンへ。そこでブダペスト交響楽団を指揮。アメリカに戻り1937年6月、テンプル大学で音楽学の修士号を取得。その後、1937年11月にニューヨークからイギリスに渡りアイルランドの首都ダブリンでダブリン放送交響楽団を指揮。同年10月、ハンガリーのブダペストリスト音楽院に奨学生として入学した。
1946年、スペイン女性ロリータ・アンとバルセロナで結婚。スペインのマヨルカ島に滞在し、指揮と作曲に没頭した。
韓国戦争が終わり、李承晩大統領の誕生80歳記念演奏会を指揮するために1955年3月に帰国。以降、ロンドンのフィルハーモニアオーケストラとロンドンフィルハーモニー管弦楽団、ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団、パリ音楽院オーケストラ、LAフィルハーモニー管弦楽団など世界各国を周り活躍するも、1965年7月4に肝硬変の診断を受け、約2ヶ月後の9月16日スペインのバルセロナで逝去した。
スペインのマヨルカ島には彼の名を冠した通りがある。

採用年

1948年

成り立ち

1896年「独立新聞」創刊をきっかけに、様々な愛国歌の歌詞が新聞に掲載され始める。
帝国主義が広がる国際社会の中で自国の地位を高めることを目的に大韓帝国が西欧式軍楽隊を組織し国歌制作を開始。1902年『大韓帝国愛国歌』を作って国の主要行事に使用したという公式の記録があり、これが韓国初の公式国歌と言われている。1902年8月14日に国歌として制定された。日本の西洋音楽の進歩に刺激を受けた大韓帝国が作曲を依頼したのは、君が代に和声と伴奏をつけた人物としても知られているフランツ・エッケルト。日本からドイツに戻っていたエッケルトに声をかけ、軍楽隊初代隊長として招聘した。作詞は민영환(閔泳煥)。しかし使用されていた期間は短く、日本帝国の植民地となった1910年に禁止曲に指定されて以降歌われることはなかった。
現在使われている『愛国歌』の歌詞は1907年ごろに愛国心と忠誠心を盛り上げるために作られたと考えられている。この時使用されていたメロディはスコットランド民謡「蛍の光(Auld Lang Syne)」だった。
そんな海外で生まれたメロディを国歌にしている状況を残念に思ったのがオーストラリア・ウィーンに留学中だった安益泰。1935年にメロディを作成すると大韓民国臨時政府はこの曲を愛国歌として採択する。しかし、海外でのみ使われ国内では蛍の光に合わせて歌われた。
1948年8月15日、大韓民国政府が樹立されると『愛国歌』が政府の公式行事に使われ、学校の教科書にも載せられるなど国内でも歌われるようになった。

EXCELSIOR

憲法での表記はない。

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国歌を定めたり使用方法に関する法律はない。

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やむを得ない場合を除き4番すべてを歌うことが求められている。
しかし、大統領就任式や記念式典、学校の入学式などでは1番のみでもよいとされる。

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1965年に発行された国歌斉唱に関する儀礼に関する指示では人も車も止まるように求めていた。また、1980年代後半までは各放送局で国歌を流していた。これらは全て廃止されている。

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スポーツにおいて国歌が演奏される際、兵役中の選手は敬礼ポーズをする。

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作詞者に関してはいくつかの説がある。自身が作詞者であると公言している김인식이(金仁湜)や、親日派だったと言われる윤치호를(尹致昊)説などある。

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安益泰は戦時中日本寄りだったとされ、彼が作曲した曲を国歌にしていることに反対する意見もある。2020年には安益泰がベルリンで満州国建国10周年の祝賀演奏会を指揮する映像などが公開された。

また、ブルガリア民謡「О, Добруджански край」からの盗作疑惑もあるが、これは学術的に否定されている。

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著作権は安益泰がスペインで亡くなったのち、妻のロリータ・アン(2009年他界)が保有し、主要なスポーツ競技大会や放送中の国歌演奏に対して、韓国音楽著作権協会より年間約5600ドルの著作権料を受け取っていたことが問題になった。2005年3月16日、遺族がソウルの文化観光部に国歌の著作権を無条件で移譲したことで解決。

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2016年、『大韓帝国愛国歌』のメロディはエッケルトによる作曲ではなく、韓国民謡の編曲によって生まれたとする論文が発表された。

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2018年10月のU-19アジア選手権大会の試合前など、北朝鮮国歌が2023年までタイトルが一緒だったこともあり、たびたび間違われる。

歌詞

【1】
동해물과 백두산이 마르고 닳도록
하느님이 보우하사 우리 나라 만세

(コーラス)
무궁화 삼천리 화려강산
대한사람 대한으로 길이 보전하세

【2】
남산⌒위에 저 소나무 철갑을 두른⌒듯
바람 서리 불변함은 우리 기상일’세
(コーラス)

【3】
가을⌒하늘 공활한데 높고 구름⌒없이
밝은 달은 우리 가슴 일편단심일’세
(コーラス)

【4】

이 기상과 이 맘으로 충성을 다하여
괴로우나 즐거우나 나라 사랑하세
(コーラス)

歌詞 日本語訳

【1】
東海の水が乾き、白頭山が朽ち果てても
神がお護りくださる我が国万歳

(コーラス)
無窮花、三千里、
華麗な山河
大韓人は大韓を
永遠に保全しよう

【2】
南山の松が鉄の兜をまとったように
風にも霜にも不変なのは我らの気性
(コーラス)

【3】
秋の広い空が雲ひとつなく澄み渡り
輝く月は我らの精神、誠実な心
(コーラス)

【4】
この気性とこの心で忠誠を尽くそう
苦しくても楽しくても、国を愛そう
(コーラス)

歌詞 カタカナ読み

【1】
トンヘ ムルクァ ペェクドゥサニ
マールゴ ダーロク
ハーヌニミ ポウハサ ウーリ ナラマンセ

(コーラス)
ムグンファ サームチョルリ ファリョガーアンサーン
デーハンサラム テーハヌロ キリ ポジョナセ

国歌に関するリンク

【Ministry of the Interior and Safety “국가(애국가)”】

【Ministry of the Interior and Safety “국가상징”】

【National Archives of Korea “애국가의 내력”】

【駐日本国大韓民国大使館 “作曲家の故・安益泰氏の遺族、国歌の著作権を委譲”】

【韓国文化院 “韓国の基本情報”】

【国家遺産庁 “대한제국애국가”】

대한민국역사박물관대한제국 애국가 / 大韓帝國愛國歌”】

안익태 기념재단에 / 안익태”】

【中央日報 “韓国光復会、愛国歌作曲家・安益泰の「親日資料」をきょう公開”】

【The Korea Times “Franz Eckert: musical bridging between Korea and Germany”】

【AFP “韓国代表戦で北朝鮮国歌、AFCが「前代未聞」のミスを謝罪”】

【newsis ““애국가는 절대 도산 안창호의 작품일 수 없다””】

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