台湾 国歌「國歌」

台湾 国歌「國歌」

タイトル

國歌 (日本語読み確認中)/ 国歌

“三民主義”と呼ばれることもある。

作詞

孫文の訓示をもとに胡漢民、戴季陶、廖仲愷、邵元沖が制作

作曲

程懋筠 /読み方確認中

1900年、江西省新建県生まれ。江西第一師範大学で学んだのち1918年に日本に留学し、東洋音楽学校(現在の東京音楽大学?)で声楽を専攻し作曲を学ぶ。1926年に帰国し、江西省のいくつかの中学校で教師として働く。1928年以来、南京中央大学芸術専攻の初代部長および声楽助教授、浙江祥湖師範学校音楽学部長、江西国立中正大学音楽学部教授、声楽教授を歴任。1952年、西安を通過中に突然脳出血を患い療養のために南京に戻った。1957年7月31日逝去。

採用年

1937年6月21日

成り立ち

まず誕生したのは歌詞だった。台湾の建国の父である孫文が、1924年6月16日に広州の黄浦陸軍士官学校の開校式で500人以上の教師や学生にむけた訓示「黃埔軍校訓詞」をもとに胡漢民、戴季陶、廖仲愷、邵元沖が作詞した。
1928年10月17日、中国国民党中央委員会常務委員会は、中国国民党の党歌の歌詞として「黄浦軍官学校標語」を可決。その後、公募で集まった139曲の中から程懋筠が作曲したメロディが優勝し、1929年1月10日、中国国民党中央常務委員会が正式に党歌として採用を決定した。 1930年3月20日、行政院が国民党政府は第165号を発令し、国歌を制定する前に、全国のすべての機関が集会で、国歌の扱いで中国国民党の党歌に置き換えるよう指示。しかし、党歌は党員向けであり、国歌にはならないと考えていた。
そこで1936年、政府は国歌編纂研究委員会を設置し、国歌の歌詞を募集する新聞記事をだす。1700人以上から2000を超える作品が集まったが委員会は該当作品がないとし、「黃埔軍校訓詞」が革命と国家建設の精神を十分に表現できると結論付け公式国歌として使用することを勧告した。
1937年6月16日、中国国民党中央委員会常務委員会は党歌を国歌として使用する決定を可決し、6月21日国民党政府が「中国国民党の歌を中華民国国歌とする」と発表した。台湾の地に拠点を置いて以降も国歌として歌われている。

EXCELSIOR

憲法で国旗は定められているが国歌の表記はない。

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国歌を定めたり使用方法に関する法律はない。

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オリンピック時は国旗歌が使用される。(通常の歌詞と違うという情報があるが確認できず)

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行政院のHPではさまざまな国歌動画を見ることができる。

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年配者の中には中華民国のイメージが民主化の前の独裁政権と結びついているため、国旗や国歌を嫌う傾向にある。また、元々が国民党の党歌であり歌詞でも“我が党”と言っているため、対立する民進党員は歌わないという慣習がある。

歌詞

三民主義,吾黨所宗,以建民國,以進大同,
咨爾多士,為民前鋒,夙夜匪懈,主義是從,
矢勤矢勇,必信必忠,一心一德,貫徹始終。

歌詞 日本語訳

 

歌詞 カタカナ読み

 

国歌に関するリンク

【中華民國總統府 “國歌”】

【台北駐日経済文化代表処 “中華民国の憲法”】

【行政院 “國旗、國歌、國花”】

【南昌市人民政府台湾事务办公室 “程懋筠:曾建我国第一支管弦乐队”】

【人 民 網 “紀念音樂家程懋筠逝世50周年”】

【NHK “【基礎から解説】台湾総統選挙を前に知っておきたいこと”】

【日経ビジネス “蔡英文・台湾新総統「妥協的就任演説」の裏側”】

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