中華人民共和国 国歌「義勇軍行進曲」

中華人民共和国 国歌「義勇軍行進曲」

タイトル

义勇军进行曲(確認中)‎/義勇軍行進曲

作詞

(田漢) / ティエン ハン

1898年、湖南省長沙生まれ。幼い頃より演劇に興味を持ち、1916年から日本へ留学し文京区に居を構え西洋の演劇理論を吸収。在日中、佐藤春夫、谷崎潤一郎、菊池寛などの文学者らと交流した。1922年に帰国したのちの1926年には南部映画演劇協会を、1930年には中国左翼作家同盟を設立。1932年には中国共産党に入党した。1938 年、国民政府軍事委員会政治部第三部の文学・芸術宣伝を担当する第六部部長に就任。中国の現代演劇とオペラ改革運動の先駆者として活躍した。第二次世界大戦後の1966年、文化大革命によって投獄され1968年12日10日獄中で逝去。1979年に投獄は冤罪だったとして名誉を回復している。

作曲

(聶耳) / ニィエ イル(“ニエ アル”と表記されることもある)

本名、守信。1912年2月15日、雲南省昆明生まれ。10代の頃から音楽に強い関心を示し、1927年に雲南省第一師範学校高級部外国語組英語学科に入学。卒業後、演劇学校音楽班でピアノやバイオリンなどの演奏知識を学ぶ。マルクス主義の書物にも親しみ、学生運動にも参加し、1928年に中国共産主義青年団に加入。1930年に上海に移り田漢と出会う。およそ2年間でオペラや演劇、映画作品の歌や幕間曲を手がけた。『義勇軍行進曲』の草案を作った1935年4月15日に日本に向け上海から出航し長崎を経由し18日に東京に到着。80日以上滞在し音楽理論を学んだ。7月17日、神奈川県藤沢市の鵠沼海岸で友人と遊泳中に溺死。暗殺説もある。国民党によって投獄されていた田漢は、聶児の死の知らせを聞いて非常にショックを受け、「高歌共待驚天地,小別何期隔死生」と追悼の詩を書いた。

昆明には彼の名を冠した楽団がある。
終焉の地である藤沢市の海岸には慰霊碑があり、この縁で藤沢市と昆明市は姉妹都市協定を結んでいる。

採用年

1949年9月27日

成り立ち

中国初の国歌は清朝最後の年である1911年10月に制定された『鞏金甌』なのだが、6日後に武昌で発生した軍隊による蜂起がきっかけで辛亥革命が起こり清王朝は崩壊し『鞏金甌』は歌われなくなる。

1912年、辛亥革命中に成立した孫文率いる中華民国臨時政府が成立すると『五族共和歌』を国歌とする草案が出されるも、袁世凱が臨時大総統に就任すると専制体制を強化し国民党勢力の排除に乗り出すと歌われなくなった。

1913年3月、袁世凱にとって最大の政敵であった宋教仁が暗殺されると、4月8日にベルギー人音楽家が作曲した『卿雲歌』が国歌になる。同年10月、臨時政府から北京政府となり、袁世凱が正式に大統領に就任した。

1915年、対華21ヶ条の要求を受け入れたことで袁世凱に対しての批判が強まると、皇帝制を敷くことで自身を皇帝になろうと画策するなかで、5月23日に『中雄立宇宙が国歌となる。1916年に王政が復活し、中華帝国となると、歌詞の最後の2行を変更した。

1916年に袁世凱が他界すると複数の軍閥による各地域の統治が始まり、統一政府の存在が名目上のものとなってしまう。そんな中、政府は1919年に『尽力中华歌を国歌に採用する。王政が終焉したことが変更の理由として考えられる。

1921年3月31日、再び『卿雲歌』が国歌となるが歌詞とメロディの変更があった。なぜ変更されたのは不明。

1926年、張作霖が権力を握ると『中雄立宇宙のメロディが復活し張作霖が作成した歌詞が載せられ採用される。

一方、孫文率いる国民政府は『中雄立宇宙を認めず、『国歌』(作詞:徐谦 作曲:刘斐烈)が臨時国歌となった。孫文がなくなって以降、国民政府は1926年7月2日に新たな国歌を定めることに決め、『国民革命歌』が採用される。メロディは軍歌として使用されていたフランス民謡の「Brother Jacques」のメロディを使用している。

1927年、蒋介石がクーデターによって国民党の主導権を握ると、北伐の拠点である北京を攻略し、北と南の政府が統一し中華民国政府が成立。1937年に『国民党の党歌(現在の台湾国歌)を国歌に採用した。

そんな中、ソビエト連邦の支援の下、毛沢東が指揮する中国共産党は1931年に中華ソビエト共和国臨時政府を作り、『インターナショナル』を国歌に定めた。

このようにさまざまな勢力が乱立していた中国が統一した国歌『義勇軍行進曲』が生まれるのは第二次世界大戦以降になる。
現在の国歌『義勇軍行進曲』は元々1935年5月に公開された抗日映画「風雲児女」の主題歌として制作された曲。公開前年に、映画の脚本を描いた田漢が作曲したメロディに合わせによって聶児が作詞した。

終戦後の1949年、建国前に国歌の公募が行われるも決定には至らず、同年9月27日、『義勇軍行進曲』を暫定国歌として採用することを決定する。1949年10月1日、中華人民共和国中央人民政府が樹立され北京の天安門広場で国旗が掲げられると『義勇軍行進曲』が初めて天安門広場で暫定国歌として演奏された。

毛沢東が権力を握り1966年から文化大革命が起こると、反社会主義の作品を作っているとされた田漢が逮捕される。その流れで『義勇軍行進曲』はメロディのみが使われるようになるが、そのうちに毛沢東を讃える『東方紅』が国家行事で歌われるようになった。毛沢東が亡くなった翌年の1977年、新たな国歌制定に向けて国歌公募委員会が設立。『義勇軍行進曲』のメロディで新たな歌詞をつけるものと、完全新曲の2パターンで募集がされた。1978年、毛沢東を讃える歌詞に変えた『義勇軍行進曲』を国歌にすることを全国人民代表大会で決める。1982年12月4日に全国人民代表大会が田漢の名誉回復に伴い1949年時の歌詞に戻し『義勇軍行進曲』を国歌とするとの決議を採択した。
2004年3月14日、第10回全国人民代表大会で憲法が改正され国歌も国の象徴として加えられる。2017年9月1日、第12期全国人民代表大会常務委員会第29回会議で「中華人民共和国国歌法」を可決・公布し、同年10月1日より施行され法的根拠を持った。

EXCELSIOR

憲法の四章141条で“国歌は『義勇軍進行曲』とする”と明記。ちなみに国旗国章は1954年に憲法で制定されている。

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2017年に「中華人民共和国国歌法」が施行。法律では私人の冠婚葬祭やダンスパーティでの使用を禁じている。

同じ年に、国旗と国章に関する罰則規定が定められている刑法299条が改正され国歌に関する罰則規定が追加された。

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香港では2000年代に法制化が進められた。

2017年11月4日には、「中華人民共和国国歌法」を中華人民共和国香港特別行政区基本法付属文書3に追加することに合意。同時に、香港特別行政区政府は、香港特別行政区基本法第18条に基づき、香港特別行政区の憲法および法律体制に準拠した地方立法の形で「中華人民共和国国歌法」を香港特別行政区で施行すると発表した。 2020年6月12日に施行した“香港における国歌の演奏および斉唱、国歌の保護、国歌の普及ならびに付帯事項を規定する条例”によって香港での『義勇軍進行曲』の国歌の地位が強化された。

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2021年3月1日、統一された漢字で表記された歌詞と手話が公表された。

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田漢はタバコの包み紙に歌詞を書いたと言われている。これを見つけた聂耳が作曲を申し出て2日で初稿を完成させた。最終稿ができたのは日本での滞在中だった。

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中国の国家国際ラジオ放送局である中国国際放送の、放送開始前に送出するインターバル・シグナルは国歌のメロディをアレンジしたもの。

歌詞

起來!不願做奴隸的人們!
把我們的血肉,築成我們新的長城!
中華民族到了最危險的時候,
每個人被迫着發出最後的吼聲。
起來!起來!起來!
我們萬眾一心,
冒着敵人的炮火,
前進!冒着敵人的炮火,
前進!前進!前進!進!

歌詞 日本語訳

起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ!
我らが血肉で築こう新たな長城を!
中華民族に最大の危機せまる、
一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。
起て!起て!起て!
我々すべてが心を1つにして、
敵の砲火をついて進め!
敵の砲火をついて進め!
進め!進め!進め!

歌詞 カタカナ読み(制作中)

 

国歌に関するリンク

【THE STATE COUNCIL “National Anthem”】

【THE STATE COUNCIL “Constitution of the People’s Republic of China”】

【Protocol Division Government Secretariat “Flags, Emblems and Anthem”】

【中人民共和国中央人民政府 “中人民共和国国歌法”】

【中人民共和国中央人民政府 “《〈中人民共和国国歌〉国家通用手方案》和《通用字笔顺规范》两国家言文字范正式施”】

【中人民共和国中央人民政府 “中人民共和国刑法修正案(十)”】

【中人民共和国中央人民政府 “耳”】

【電子版香港法令 “本條例旨在就在香港奏唱國歌、保護國歌及び推廣國歌,改訂定條文;並びに就附帶事宜改訂,定條文”】

【Education Bureau “Getting to know the National Flag, National Emblem, National Anthem, Regional Flag and Regional Emblem”】

【中國共黨新聞網 “《義勇軍進行曲》的詞作者田漢”】

【中國共黨新聞網 “中国国歌百年演”】

【国立国会図書館 “中国の国歌法”】

【中国国際放送 “中国の国歌”】

【中国国際放送 “戦場に響く歌(後篇)”】

【中国文化センター“田漢と大正期の東京”】

【人民中国 “『聶耳伝』著者・岡崎雄兒さん 国歌作曲者の足跡を追って”】

【北京週報 “耳死因成,在日本的最后九十天如何度日?”】

【北京日報 “北京の四合院–田漢旧居”】

【that’s “Tian Han – The Man Who Wrote the Chinese National Anthem”】

【台灣放送 “中華民國ABC:四國歌、二國旗”】
https://www.telltaiwan.org/?p=2555

【中華人民共和国駐日本国大使館 “駐日大使館,藤沢市の耳碑前祭に出席”】

【藤沢市・湘南江の島 “聶耳記念碑”】

【藤沢市“中華人民共和国国歌の作曲者聶耳”】

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