ブラジル連邦共和国 国歌「ブラジル国歌」

ブラジル連邦共和国 国歌「ブラジル国歌」

タイトル

Hino Nacional Brasileiro(インノ・ナシオナウ・ブラジレイロ)/ブラジル国歌

作詞

Joaquim Osório Duque Estrada /ジョアキン・オゾリオ・デュケ・エストラーダ

1870年4月29日、リオデジャネイロ州 Paty do Alferes生まれ。大学で文学を学び1888年に初めてエッセイを執筆。1891年には駐パラグアイ公使館の2等書記官を務めた。その後ペドロ2世学校で教師を務めた後、リオデジャネイロの複数のマスコミで活動。1915年11月25日にブラジル文学アカデミー17代議長に選出され、翌年10月25日に同ポストに就任した。詩人、劇作家、教育者、ジャーナリスト、文芸評論家など様々な分野で活躍し、1927年2月5日リオデジャネイロ州 リオデジャネイロ逝去。

作曲

Francisco Manuel da Silva /フランシスコ・マノエル・ダ・シルバ

1795年2月21日ブラジル リオデジャネイロ生まれ。王室礼拝堂の音楽検査官だった神父のもとで音楽を学ぶ。1805年、10歳でチェロを学び始め1825年には王室礼拝堂の2番手のチェリストとなる。1833年に慈善音楽協会を設立し、会長に就任。1841年、帝国礼拝堂の楽長となる。1865年12月18日、チフスが原因でリオデジャネイロにて逝去。
時が経ち、荒れた彼の墓を作り直そうとブラジル演劇作家協会が中心となり1926年11月12日、彫刻家Correia Limaによって作られた新しい墓が落成された。

採用年

1971年9月1日

成り立ち

1822年、ポルトガルから独立しブラジル帝国となりペドロ一世が即位すると、非公式ではあったが最初の国歌『Hino da Independência do Brasil』が誕生。これはペドロ一世自身が作曲したとされる。

同時期の1822年4月13日、フランシスコ・マノエル・ダ・シルバが制作し、のちの国歌『ブラジル国歌』のメロディとなる”Marcha Triunfal(勝利の行進)”が生まれる。初演はペドロ一世の退位から7日後の1831年4月14日にSão Pedro de Alcântara劇場で、ペドロ2世の提案でペドロ1世が退位した4月7日を記念して演奏された。
このメロディの最初の歌詞はリオデジャネイロで判事をしていたOvídio Saraiva de Carvalho e Silvaの作品で、ペドロ一世の退位時に書かれたもの。ペドロ2世の戴冠式に合わせてOvídio Saraiva de Carvalho e Silvaは自身の歌詞に追記している。しかし、この歌詞にはポルトガルに対し“暴君”や“モンスター”と言及し、ポルトガルに対し侮蔑的な言葉が目立ち、ポルトガルと微妙な関係だったブラジル帝国で堂々と歌われることは帝政側にとって不都合もあった。

1889年11月15日に共和国宣言がされると、非公式とはいえ帝政を支えてきた国歌を変えようという動きが活発になる。そこで臨時政府は、共和国移行後にイタリアに移住した作曲家アントーニョ・カルロス・ゴメスに、新しい国歌の作曲を2万エスクードで依頼。しかし彼はペドロ2世への忠誠心から「私はできません」と電報でぞんざいな返事をして断った。そこで、新しい国歌を選ぶコンテストを開催することになる。1890年1月4日、29人の作曲家が国歌案を提出。同年1月20日午後、リオデジャネイロのリリコ劇場で、大臣、高官、報道機関、一般市民が出席して、最終選考に残った4作品の演奏が行われた(その中には後に『国旗賛歌』を書いたFrancisco Bragaもいた)。そこで優勝したのがLeopoldo Américo Miguez作曲、José Joaquim de Campos da Costa de Medeiros e Albuquerque作曲の作品『Hino da Proclamação da República』。しかし、国民から”Marcha Triunfal(勝利の行進)”が国歌に相応しいという声が高まり、法令第171号により『Hino da Proclamação da República』は共和国宣言の賛歌として、”Marcha Triunfal(勝利の行進)”のメロディが国歌として定められた。

その後も国家については議論が続き1909年10月には、作家および新聞記者のジョアキン・オゾリオ・デュケ・エストラーダが“国歌歌詞プロジェクト”を立ち上げ”Marcha Triunfal(勝利の行進)”のメロディに合わせ、彼自身が書いた歌詞を載せた『ブラジル国歌』発表。7年後に彼自身が歌詞の一部を変更している。

1922年9月6日の独立100周年前夜にエピタシオ・ペソア大統領による政令第15,671号によりが承認され、ジョアキン・オゾリオ・デュケ・エストラーダの歌詞がが正式に国歌となった。

1971年9月1日には国のシンボルを定める法律5700号によって扱い方が定められた。

EXCELSIOR

憲法第3章第13条1節で下記のように定められている。
国旗、国歌、紋章、印章はブラジル連邦共和国のシンボルです。

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法律5700号では国歌の取り決めが事細かに記載されている。
例えば、第3章6条では音楽家のアントン・フェルナンデスが定めた「行進曲」のリズムの適用、および指揮者アルベルト・ネポムセノが定めた「ヘ短調F minor」による斉唱が義務付けられている。また、第4章34条ではアレンジには大統領の許可が必要であることが記載されている。

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1916年の変更は以下の通り。

“Pelo amor da liberdade” → “Em teu seio ó liberdade”

“Quando em teu belo céu risonho e límpido” → “Se em teu formoso céu risinho e límpido”

“Dos filhos de teu flanco és mãe gentil” → “Dos filhos deste solo és mãe gentil”

“Entre as ondas do mar e o céu profundo” → “Ao som do mar e à luz do céu profundo”

“O pavilhão que ostentas estrelado” → “O lábaro que ostentas estrelado”

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作詞家のデュケ・エストラーダは1922年8月21日に制定された政令4559号によって、歌詞制作の報酬として政府から5ContodeRéisが支払われた。当時は大金とされる金額。

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一方。1979年、当時82歳だったフランシスコ・マノエル・ダ・シルバの孫が、著作権を求めて国に対して提訴。裁判所は作者の死後50年後にはパブリックドメインとみなされ、著作権の対象にはならないとの判決を下している。

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2009年9月21日に法律12031号によって、全国公立および私立の学校で歌うことが義務化された。

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1831年4月7日にペドロ一世が王位を放棄した時、1841年、皇帝ペドロ1世が息子に王位を譲った際の戴冠式のために作曲されたと紹介してるところがあるがこれは間違い。

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初演が行われた4月13日は『ブラジル国歌の日』として定められている。

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通常一分程度で収められる国歌だが、この長い国歌を歌いきりたいブラジルサポーターが伴奏終了後も歌い続けることで有名。2014年のブラジル大会では同じく長い国歌を持つアルゼンチンサポーターとアカペラ対決が起こったほど。

歌詞

【1】
Ouviram do Ipiranga as margens plácidas
De um povo heróico o brado retumbante,
E o sol da liberdade, em raios fúlgidos,
Brilhou no céu da pátria nesse instante.
Se o penhor dessa igualdade
Conseguimos conquistar com braço forte,
Em teu seio, ó liberdade,
Desafia o nosso peito a própria morte!
Ó Pátria amada, Idolatrada, Salve! Salve!
Brasil, um sonho intenso, um raio vívido
De amor e de esperança à terra desce,
Se em teu formoso céu, risonho e límpido,
A imagem do Cruzeiro resplandece.
Gigante pela própria natureza,
És belo, és forte, impávido colosso,
E o teu futuro espelha essa grandeza.
Terra adorada, Entre outras mil,
És tu, Brasil, Ó Pátria amada!
Dos filhos deste solo és mãe gentil,
Pátria amada, Brasil!

【2】
Deitado eternamente em berço esplêndido,
Ao som do mar e à luz do céu profundo,
Fulguras, ó Brasil, florão da América,
Iluminado ao sol do Novo Mundo!
Do que a terra, mais garrida,
Teus risonhos, lindos campos têm mais flores;
“Nossos bosques têm mais vida”,
“Nossa vida” no teu seio “mais amores.”
Ó Pátria amada, Idolatrada, Salve! Salve!
Brasil, de amor eterno seja símbolo
O lábaro que ostentas estrelado,
E diga o verde-louro dessa flâmula
Paz no futuro e glória no passado.
Mas, se ergues da justiça a clava forte,
Verás que um filho teu não foge à luta,
Nem teme, quem te adora, a própria morte.
Terra adorada, Entre outras mil,
És tu, Brasil, Ó Pátria amada!
Dos filhos deste solo és mãe gentil,
Pátria amada, Brasil!

歌詞 日本語訳(制作中)

 

歌詞 カタカナ読み

【1】
オウビーラムド イピランガ/アス マルジェインス プラーシダス
デウム ポォヴォ エロイコオ ブラド ヘットゥンバンチ
エオ ソルダ リベルダデ エムライオス フージドス
ブリーリョウ ノセウダ パートリア ネセインスタンチ
セオペノーール デッサ イグアルダーヂ
コンセギーモス コンクィ/スタルコム ブラッソ フォルチ
エムテウセイーオ オリーベルダーーヂ
デサフィア オノソ ペイトア プロプリア モルチ
オー パートリアマダ イドラ/タラダ サルヴィ サーールヴィ
ブラージルウム ソーニョテンソ ウムライオ ヴィーヴィド
デアー モール エデスぺランサ テーハ デースィ
セーム テウッフォモッソ セウ リソーノエ リームピド
アーイマ ジェインド クルゼイロ レスプランデーシィ
ジガンチペーラ プロ/プリア ナトゥレーーザ
エスベーロ エスフォルチ イムパーヴィドゥ コローース
エオテウ フットゥロ エスペア エスタ グランデーザ
テ・ハ・ア・ドラーダ
エントレオ/トラス ミール/エストゥ ブラジル/オ/パットリアマーダ
ドスフィールス デスチ ソロエス マーイン
ジェンテイル パートリアマーダ ブラジール

国歌に関するリンク

【Presidência da República “HINO NACIONAL”】

【Presidência da República “Hinos”】

【Presidência da República “CONSTITUIÇÃO DA REPÚBLICA FEDERATIVA DO BRASIL DE 1988”】

【Presidência da República “LEI No 5.700, DE 1º DE SETEMBRO DE 1971.”】

【Presidência da República “LEI Nº 12.031, DE 21 DE SETEMBRO DE 2009.”】

【Assembleia Legislativa de São Paulo“Hino Nacional Brasileiro – parte 1”】

【Assembleia Legislativa de São Paulo “Hino Nacional Brasileiro – parte 2”】

【Academia Brasileira de Letras “Osório Duque-Estrada”】

【MUNICÍPIO DE IMBITUBA “Hino Nacional Brasileiro”】(アーカイブ)