ブラジル連邦共和国 国歌

概要

タイトル 

Hino Nacional Brasileiro(インノ・ナシオナウ・ブラジレイロ)/ブラジルの国歌026Brazil_DL

作詞 

ジョアキン・オゾリオ・デュケ・エストラーダ

作曲 

フランシスコ・マノエル・ダ・シルバ

採用年

1922年

 

成り立ち

19世紀前半の独立当時、最初の国歌が初代皇帝ペドロ一世によって作られた。

現在の国歌のメロディが出来たのは1931年。

当時の皇帝ペドロ1世が息子に王位を譲った際に演奏された権限委譲のお祝いの歌だった。

当時、ペドロ一世を嫌っていた民衆はこの歌好み広く長く親しまれることになる。

将来国歌になる歌は非公式の国歌として国民の中で歌われ続ける。

ペドロ一世作曲の歌から現国歌に変わるきっかけは帝政から現在の共和制に移行した時。

大統領の命令で国歌を選ぶコンクールが行われ新しい国歌が国民に発表されたが国民は受け入れなかった。

彼らが愛していたのは王位譲渡の時に作られ歌われ続けたあの歌だった。

結局、帝政時代に作られた歌が歌詞のみの国歌となる。

1909年、作家および新聞記者のジョアキン・オゾリオ・ドゥケ・エストラーダが「国歌歌詞プロジェクト」を立ち上げ、

現存の曲に合わせた歌詞を発表。

その歌詞が、1922年にエピタシオ・ペソア大統領により承認され、正式な国歌の歌詞として承認。

その後、独立100周年にあたる1922年に国歌として正式に制定された。

 

コメント

長い。全体として長いというのがあるが、前奏が長い。

そんな国歌がもっとも力を発揮するのがサッカーワールドカップだ。

通常一分程度で収められる国歌だが、この長い国歌を歌いきりたいブラジルサポーターは伴奏が終わっても歌い続けることで有名。

2014年のブラジル大会では同じく長いアルゼンチンサポーターとアカペラ対決が起こったほどだ。

全体的にのりのいいメロディで、後半に向けて盛り上がりを見せるためスポーツイベントでも自国の国歌ならば気分も高まるに違いない。

 

著作権で揉めたことも・・・

1979年、当時82歳だったフランシスコ・マノエル・ダ・シルバの孫が、著作権を求めて国に対して訴訟を起しました。

結果は敗訴。

裁判所からは、作者の死後50年後にはその作品はパブリックドメインとみなされ、

著作権の対象にはならないとの判断が下されています。

 

法律では国歌の取り決めが事細かに記載されている。

例えば、

第3章6条では音楽家のアントン・フェルナンデスが定めた「行進曲」のリズムの適用、

および指揮者アルベルト・ネポムセノが定めた「ヘ短調F minor」による斉唱が義務付けられている。

また、第4章34条ではアレンジには大統領の許可が必要であることが書かれていたり

他にも多くの決まりがあり、それだけこの歌が愛されていることがうかがえる。

 

歌詞日本語読み

オウビーラムド イピランガ/アス マルジェインス プラーシダス

デウム ポォヴォ エロイコオ ブラド ヘットゥンバンチ

エオ ソルダ リベルダデ エムライオス フージドス

ブリーリョウ ノセウダ パートリア ネセインスタンチ

セオペノーール デッサ イグアルダーヂ

コンセギーモス コンクィ/スタルコム ブラッソ フォルチ

エムテウセイーオ オリーベルダーーヂ

デサフィア オノソ ペイトア プロプリア モルチ

 

オー パートリアマダ イドラ/タラダ サルヴィ サーールヴィ

 

ブラージルウム ソーニョテンソ ウムライオ ヴィーヴィド

デアー モール エデスぺランサ テーハ デースィ

セーム テウッフォモッソ セウ リソーノエ リームピド

アーイマ ジェインド クルゼイロ レスプランデーシィ

ジガンチペーラ プロ/プリア ナトゥレーーザ

エスベーロ エスフォルチ イムパーヴィドゥ コローース

エオテウ フットゥロ エスペア エスタ グランデーザ

テ・ハ・ア・ドラーダ

エントレオ/トラス ミール/エストゥ ブラジル/オ/パットリアマーダ

ドスフィールス デスチ ソロエス マーイン

ジェンテイル パートリアマーダ ブラジール