50か国以上100人の国歌を録音して経験したこと
国歌の録音収集を続けています。これまで50カ国100人以上の歌声を録音してきました。国歌にハマったのはこの録音活動があったから。
「インターネットを使えば様々な国歌が聞ける。なんで録音しているの?」
とよく聞かれます。
確かにインターネットを使えば簡単に世界中の国歌を聞く事が出来ます。でも生で国歌を歌ってもらったからこそ知ることもあります。今回は浅見が録音する中で体験した国歌にまつわる話をご紹介します。
口だけじゃない、多人種共存を体現した南アフリカ
南アフリカ共和国の国歌は2つの国歌5つの言語で歌われます。これはネルソン・マンデラが黒人と白人が共存し国を築きたいという想いから作られたと言われているのですが、この理想を体現した出来事がありました。
イスラエルのエルサレムにある安宿で出会った南アフリカ人のレガードはモーガンフリーマンに白い顎鬚をたくわせさせた顔で、常に麦藁帽子をかぶっている初老の男性。彼は奥さんと別の夫婦の4人で旅をしている途中でした。
滞在していた宿の朝食の席で、その日の夜に国歌を歌ってもらう約束をレガードに取り付けました。また、宿には他にも南アフリカ人が滞在していました。教師をしているインド系のタズと、白人と黒人のハーフのビビ。
2人とも笑顔が素敵な女性です。彼女たちにもレガードが国歌を歌ってくれるという話をすると「それはいいね」と賛同してくれました。
しかし(奥さん曰く)シャイな彼はなかなか歌ってくれず、録音できたのはお願いをしてから5日目の朝でした。9時、ホテルのテラスで南アフリカの人たちがくつろいでいた所に交じり改めて歌ってほしいとレガードに懇願。渋る彼を見かねた教師のタズがみんなで歌おうと提案してくれました。
高校教師のタズが指揮をとり宿泊している南アフリカ人6人が合唱。
複数の言語が混じる南アフリカ国歌。レガードのグループは黒人、ビビは白人と黒人のハーフ、タズはインド系アフリカ人と人種がばらばらで宗教も違います。
しかし今目の前で人種・宗教が違う南アフリカ人6人が民族融合を謳う国歌を一緒に歌っている。人種や文化の壁を超えてひとつの国を作りたいという理念が込められた国歌を民族対立が続くエルサレムの地で歌われている光景は見ていて胸が熱くなりました。人類の歴史は争いの歴史という人もいますが、彼らの素晴らしい混声合唱を聞いているとそれを止めることが出来るかもしれないと希望が沸いてきました。
心の叫びが国歌に宿る パレスチナ暫定自治政府 「闘志」
イスラエルにあるパレスチナ自治区にビリンという人口約2000人の村があります。
「パレスチナの現状が見られる村」とヨルダンの安宿にあった情報ノートで紹介されていたのが気になって訪問しました。頭の中にイスラエルによって作られた壁や立ち退きを強制させられる人たちを想像していたのですが実際に行ってみると全く違う光景が。
ビリンは田園風景が広がる静かな村でした。外国人である僕に子供たちから話しかけてくるような場所。出会った子供たちと村を歩いていると1人の男性が話しかけてきました。
「昼食でも一緒にいかがですか?」
彼は40歳ほどでムスタファと名乗りました。招待された家はむき出しのコンクリート造りで12畳の部屋が3つ。奥さんが大皿に入れたパンやサラダスープ運んできてくれます。「日本はどんなところ?」「ビリンはどお?」
料理を食べながら会話が弾みます。ムスタファは目が不自由なようで歩くときは杖を使い、物を取るときは奥さんに手を引いてもらっていました。彼は自分の目について
「デモ行進中に催涙弾が直撃してね。彼ら(イスラエル兵士)は催涙弾を直接ぶつけてこようとするんだよ。死んだ仲間もいるよ。僕たちは武器も持っていないのにね…」
毎週金曜日、この静かな村はユダヤ人入植地政策に対するデモ行進が行われるという。
この静かな村で!?
ムスタファから聞く話は誇張しているのではと思いました。
しかし後でエルサレムの宿にいた日本人に金曜日の様子を収めた写真を見せてもらって彼の話が決して大げさでなかったことが分かりました。ガスマスクや布を顔に覆うパレスチナ人の集団。催涙弾によって真っ白になった村。銃口をパレスチナ人に向けるイスラエル兵士。実弾が当たり血を流し倒れている人。
「ちょっと歩こう」
食事をした後ムスタファの案内で彼の家族と近くの丘まで散歩をしました。丘の上からは緑の台地が広がっているのですが、よく見ると柵が作られてます。
「あの土地はわたしたちの物だったんだよ。今はユダヤ人に奪われちゃったけどね」
突然イスラエル兵士が柵を設置したのだという。ムスタファの農場も分断された。
話を聞いていると自分に何か出来ないものかと考えてしまう。そこで思い付いたのが日本から持ってきていた南京玉簾。旅中、披露していた物でこれなら彼らを楽しませることは出来るかも…
彼の家に戻り、玄関前で南京玉簾を披露しました。
「さて、さて、さてさてさてさて…」
近所の人たちがどんどん人が集まり、一通り演目を終えた頃には10人ほどの人が集まっていました。そんな集まった彼らに国歌を歌ってくれないかとお願いすると
「オーケー、オーケー」と快諾。
ボイスレコーダーを向けると子供が中心になり歌い始めました。どんどん人が集まってきました。そしてどんどん声が大きくなりました。
近くにいた初老のパレスチナ人が「歌うのをやめろ」というように手を振って制止しています。イスラエル兵の監視所が近くにあり危険だという。それでも歌は止まりません。
「ストップ、ストップ!!」
私も叫びながら思わずボイスレコーダーの録音を止めてしまいました。
それでも歌は止まらない。
ストップと言えば言うほど集団の先頭にいる子供達は身を乗り出し、大人はこぶしを握り声は大きくなり荒々しくなっていきます。
彼らの土地を愛する気持ちがそうさせているんだ。恐怖は消え、想いのこもった国歌を録音したいという気持ちが録音ボタンを再び押させました。
「フィダーーイ! フィダーーイ!!」
音が大きすぎて音割れし音質は悪いが忘れられない歌声です。
国際的には国として認められていないパレスチナですが、彼らの歌声からはパレスチナ国民という強い誇りを感じました。歌い手がいて初めて歌は完成します。ビリン村の人たちが奏でたパレスチナ国歌は機械には入りきらない強い意志のこもった歌でした。
歌えないワケ・・・国歌だからこそあるその理由 ロシア国歌 in イスラエル
録音をお願いしたものの歌ってもらえなかった事もあります。“歌わない” “歌えない”人に出会えるのも国歌録音活動の醍醐味です。
イスラエルの首都テルアビブ。2段ベット3脚が壁際に置いてあるドミトリー部屋はアメリカ人、ドイツ人、オーストラリア人、ロシア人と国際色豊かなメンバーが揃っていました。
その中でもロシア人のアーネストには是非歌ってほしかった。当時ロシア国歌をまだ録音していなかったからです。細身の体で30歳後半、色黒でわし鼻の男性。仕事を探してイスラエルに来ていると言っていました。もの静かな人だが部屋で会話が始まると加わって笑顔を見せ、時折意見を言う人で人間的に良い人だと思ったので、国歌を歌ってほしいとお願いしました。
「いや、国歌は歌えないんだ」
苦笑いを浮かべ断られてしまいました。自国の国歌を歌えないと言う人は意外と多かったので断った理由に関して深く考えませんでした。でも彼には国歌を歌わない深い理由がありました。
ある晩、ギリシャ人を中心にイスラエルの入植政策の話に。
「ユダヤ人のやっていることはクレイジーだ」
「人道的ではないね」
「ユダヤ人は自己中心的だ」
部屋にいた旅人たちはイスラエル政府に批判的な立場で会話を進めています。
そんな中、ロシア人のアーネストは立ち上がり部屋を出て行ってしまいました。なんとなく気になり追いかけると1階の共同スペースで寂しげにコーヒーを飲んでいます。
「隣に座っても?」と声をかけると彼は笑顔で
「もちろんだよ」
と隣の椅子を出してくれました。
アーネストは“ユダヤ系”ロシア人でした。ユダヤ人が一方的に悪いと言うみんなの主張を聞いていられなかったのだと言います。彼はロシアで受けた差別について話してくれました。
「ユダヤ人というだけで差別を受けるんだよ。エレベーターで一緒に乗らない白人もいたし、就職ではユダヤ人を拒否する会社もあるんだ」
ナチスによる大虐殺の歴史は知っていましたが、現代のロシアでユダヤ人差別があるとは知りませんでした。
「僕の生まれ故郷では居場所がなかったがイスラエルは違う。周りを見れば僕と同じ人間がいる。ここは世界で唯一、ユダヤ人が民族の誇りを持って安心して暮らせる国なんだ」
“イスラエルは悪い”ということだけで済ませて良い問題なのか。アーネストのようにイスラエルを安住の地とし存在を切に願う人たちがいる。それはエゴの一言では片付けられない感情があります。
「世界で唯一の自分の居場所」
お互いに正義があり信念がある。だからこそ対立している人たちが分かり合うことは難しく、一方を公平に裁くことは困難です。物事には善悪をつけやすいし、はっきりさせたいという衝動に襲われますが、それが本当に正しい判断なのか慎重に考えなければいけません。
彼が見つけた安住の地。イスラエルの存在の是非はともかく、アーネストが安心して腰をすえられる場所を見つけ、その地の国歌が歌えるようになってほしいと今も願っています。
国歌は歌うだけじゃない
国歌の録音は歌い手の祖国だけでなく生き方を知る活動でもあります。
録音はしなくても国歌を歌ってもらった後、その歌について色々聞いてみるといいかもしれません。もしかしたらその人の素敵な人生を見ることが出来るかもしれませんよ!