エスティファノス アフォワキ 駐日エリトリア大使と懇談~白金台 エリトリア大使館~
エリトリア大使館を訪問
おしゃれなイメージを持つ白金台。そんな素敵な場所にあるエリトリア大使館に行ってきました。
エリトリアは東アフリカにありスーダンやエチオピアなどを隣国に持つ国です。
国名はギリシャ語で「紅海」の意。名前のとおり国土の東側1300kmは紅海に面しています。
南スーダンに続く2番目に若い独立国です(2015年7月 現在)。
大使館の最寄り駅は東京メトロ南北線または都営地下鉄三田線の白金台駅。
読み方をよく間違えてしまうのですが正式には”しろがねだい”ではなく”しろかねだい”です。
”シロガネーゼ”という言葉の影響が大きく前者の読み方で読んでしまいそうです。
エリトリア大使館は駅から徒歩1分というアクセスは駐日大使館の中でもずば抜けていい!
先日紹介したエチオピア大使館同様、ビルのワンフロアが大使館になっています。
エレベーターで上がるとすぐに入り口があります。
中に入ると大使館の男性職員が「ウェルカム」と言って出迎えてくれました。
一般の人が入れるスペースは8畳ぐらいの広さでしょうか。
そこで渡された紙に名前や来館目的を書きアポイントまでの時間を過ごします。
秘書の方の案内で大使の部屋へ。
ホームページで大使のお顔を拝見していましたが性格までは当然分からず・・・
エチオピアからの独立運動に加わり革命家をしていたという話を聞いていたので色々な妄想が広がります。
もしかして怖い人なんじゃ・・・
つまらん質問したら怒られるかも・・・
国歌を歌って「軽い気持ちで歌うな」なんて怒鳴られたりしたら立ち直れん・・・
革命家というイメージを持ち扉を開けると白いあごひげを蓄えた長身の男性が。180センチ以上はあり体格ががっちりしています。
「はじめまして エスティファノス アフォワキです。よく来てくれましたね!」
と低く落ち着いた声色を持った紳士が出迎えてくれました。
「さぁ、紅茶でも飲みながら緊張せずにリラックスして話をしましょう」
紳士です!
この日はお会いできませんでしたが、奥様がとっても美人。そんな奥様が大使とご結婚されたのも納得です。
これなら国歌を歌っても怒られないかも・・・
「エリトリア~ エリトリア~ エリトリア~♪」
大使は「yeah~ yeah~」と笑顔を見せてくれました。
一安心です。
それにしてもスーツに帽子姿がとってもスマート。
「帽子は父も身に着けていましたし、私も常にかぶっています。これも伝統です。
エストニアがイタリアの植民地だった影響ですね」
なるほど~。そういえば館内に飾られていた特産品の中にYシャツがありました。
「これも植民地時代にイタリアから持ち込まれた技術がベースになっているんですよ。
そのため麻の加工、染色技術などのレベルが高くヨーロッパにも輸出しています」
その歴史から革製品、特に革靴は特産で、国内ではオーダーメイドで靴を作る人が多いんだとか。
エリトリアの人たちはオシャレな国民ですね!
「なんでも聞いてください」
威厳を持ちつつもとてもフランク。どうしたらこういう空気を出せるのか。
男としての威厳ゼロの人間からするとうらやましい限りです。豊富な人生経験がなせる業なのでしょうか。
国歌を研究していると話すと、世界史から見る”国家”という概念の話から”国歌”の話をされたりと、
エスティファノス大使は聡明な方だという印象を受けました。
今回お話を伺う中で様々な発見がありましたが、
国歌に関して面白かったのはエリトリアには国内にある9つの民族のために9つの言語で歌う国歌が
”公式の歌として”あるということ。
恐らく世界でもっとも多言語のヴァージョンを持つ国歌です。
エリトリアでは各民族が平等に社会、政治などにアクセスできるようにするというのが憲法で定められているそうで、
国歌が各民族の言語ごとにあるのもその国家方針から。
でも国内に複数の言語があったら色々不都合があるんじゃ・・・
「国という概念はヨーロッパから来たものです。アフリカには様々な民族がいて国境が無く暮らしていました。
近代、ヨーロッパ人によって国境が引かれたわけで、違う民族、違う言語を話す人たちが隣人であることは自然なことなんですよ」
実際、学校では全ての言語を学ぶ機会が設けられていて、大使も現在3つの言語を話せるそうです。
ちなみに幼稚園から大学まで学費、医療費は国が負担しているため、国民はもれなく学んでいるわけです。
「もし一つの言語に統一したらそこには統一した言語を話すマスターとそれ以外の人々サーバントが生まれますよね?
それは主従関係が出来るということなんですね。」
エリトリアには長く他国に支配されてきた歴史があります。
15~19世紀にはオスマン・トルコ、1846年からはエジプトによる侵攻があり、1881年にはイタリアの植民地となります。
さらに第二次世界大戦時の1941年にはイギリスの統治下となります。1
952年からは連邦制によって併合していたエチオピアからの独立闘争を行います。
国歌に9つの言語ヴァージョンがあるというのは、エリトリアの苦悩の歴史とその歴史から得た主従関係に対する嫌悪が現れているといえます。
あまり知られていませんがエリトリアは自転車競技がさかん。
自国でも”ツール・ド・エリトリア”という大会が開かれるほどで、国際大会で活躍する選手を輩出しています。
「私たちの国に行く時は自転車を持っていってください。
そうしたらすぐにエリトリア人と仲良くなれますよ」
自転車に乗りながら国歌を歌ったらもっと仲良くなれますね!
「そうだね、そうだね ふふふ」
笑い方もダンディです。
懇談後、大使館内にある特産品を見ていると気になるものが・・・蒸留酒です。
「飲んでみますか?」
飲んでみたいという思いが通じたのでしょうか?いや顔に出ていたのかも・・・
秘書の方に聞かれ、いただくことに。
アラックというアジアや中東でも見ることが出来る蒸留酒です。
僕も何カ国かで飲んだことがあります。しかしエリトリアは格別の香り。強いフルーティな風味が広がります。
これは危ないお酒です。飲みやすいがために後からきそうです。
飲むことは出来ませんでしたがビールもありました。恐るべしエリトリア。
エスティファノス アフォワキ大使、大使館職員の皆様
ありがとうございました!