ポーランド共和国 国歌
概要
タイトル
Mazurek DÄbrowskiego(ドブロフスキー マズルカ)/ドブロフスキーのマズルカ
作詞
ユゼフ ヴィツキ
作曲
伝統的舞踊曲から
採用年
1927年
成り立ち
まず、この国歌を知るためにはポーランド衰退の歴史を知る必要がある。
10世紀に始まり徐々に力をつけ、16世紀には広大な領土を持ち繁栄していたポーランド。
しかし、貴族、王族、市民という国内の分裂が外部からの干渉を招き18世紀になると衰退していく。
衰退に乗じて周辺諸国がポーランドを分割しあい自国領土に併合していった。いくつかの独立運動があったが失敗しポーランド王国は消滅する。
19世紀前半、ロシアに向け進軍していたナポレオンが現れる。
既存国家を次々に倒し進行していくナポレオンを見て、彼に国家復活の夢を見たのがポーランド軍人のドブロフスキー将軍だった
。ドブロフスキーはミラノでポーランド人隊を編成しナポレオンと合流。当時、ポーランド復活を願い多くのポーランド人がナポレオンの下に集まっていた。
そんな中、ドブロフスキーの友人、ユゼフ ヴィツキ将軍が軍歌として作詞。
歌詞の中にはボナパルト(ナポレオン)と共に進撃しようという内容がある(2番内)のはそういった理由からだ。
同じく歌詞に登場するドブロフスキーとはポーランド人隊を率いた将軍の名。この歌を歌いながらの進軍は気持ちが鼓舞されたに違いない。
そして1807年、ポーランド分割に参加していたプロイセンとの戦いを有利に進めていたフランスはティルジット講和条約によってポーランドの地にワルシャワ公国を建国を認めさせた。
しかしその後ロシアに占領されるなど独立国家を持つ事が出来なかったポーランド人だったが、第一次世界大戦後の1918年に主権を回復し共和国として独立した。
兵士達の間で愛国歌として歌われ続けてきたものが国歌として今でも愛されている。
コメント
「ドブロフスキーのマズルカ」は気持ち高ぶるメロディとして1、2位を争う素晴らしいものだと思う。
初めて聞いたのはシリア旅行中に出会ったポーランド人男性に歌ってもらった時だ。
国歌が好きだというと「ポーランドの国歌は知ってる?凄くいい歌で人気もあるんだ」と自慢げに話していたのが印象的だった。
彼の言葉に嘘はなく国歌好きの間でも人気が高い。
自国の国歌が世界で人気があるというのは誇らしいことだろう(ちなみに日本国歌”君が代”も稀有なメロディということで人気がある)。
歌詞日本語読み
イェッシェ ポルスカ ニェッスギ ネーワー
ケーディーミーシ イェーミ
ザーナー モッツァ シェモ シェーワー
シャーラ オーデェ ジェーミ
マルシュ マールシュ ドンブローフ スキー
ジェーミ ウォルスキド ポール スキー
ザットイーーム ゼ ウォーデーン
ウワッチェー ザ ローデン
マルシュ マールシュ ドンブローフ スキー
ジェーミ ウォルスキド ポール スキー
ザットイーーム ゼ ウォーデーン
ウワッチェー ザ ローデン
こんな時に歌いたい
元気になりたい テンションを上げたい 目を覚ましたい