国歌が生むものは分断か

国歌は国を代表する歌です。

しかし普段聞く事はあまりありませんね。

もっとも私たちが耳にするのはスポーツイベントの時でしょう。普段“君が代”を歌わない人たちもサッカーの試合前での国歌斉唱では大声で歌ったりします。

スポーツイベントはエンターテイメントとはいえ、国の名をかけた戦いでもあります。なので、そこで歌われる国歌はナショナリティを高め、国家間の対立を煽ると思われがちです。

たしかに、国の象徴である国歌はナショナリティを高めます。

しかし、それを利用し互いを尊重し合うという意味合いで使うこともあるのです。

今回は、国歌が相互理解に繋がる・・・そんな事例をご紹介します。

 

 

スリランカ民主社会主義共和国 ~民族間の対立を越えて~

近年まで民族間での内戦があり、終結後の今でも多数派のシンハラ人と少数派のタミル人がいがみ合っています。

元々はっきりとした対立がなかった両者ですが、イギリスが宗主国となり統治を始めると、少数派のタミル人がシンハラ人を管理するという社会システムを構築します。

多数派にもかかわらず冷遇されるシンハラ人の間で不満が募っていきました。

1948年、イギリスの自治領としてではありますが“セイロン”として独立を果たすと、これまで冷遇されてきたシンハラ人が政権を握り、少数派のタミル人が仕返しをされるかのように冷遇されていきます。これが大きな原因となり内戦へ発展した歴史があります。

現在内戦は終結し、国内の治安は回復しているもののシンハラ人を優遇する姿勢はまだまだ残っているようです。

両者の対立は長かっただけに、それだけ根深い問題と言えます。

タミル人への冷遇ぶりは国歌を見ても分かります。
現在公式には唯一の公用語である

シンハラ語で歌われた国歌しか認められていません。

そのため国の行事ではシンハラ語Verでのみ歌われてきました。

タミル人にとっては自分たちの言語で国歌を歌われないわけですから、不満があるわけです。

しかし、2016年2月画期的なことが起こります。

なんと、この年の独立記念式典でタミル語Verの国歌が歌われました。
まだ憲法が改正されていないため公式に認められたわけではないですが、

公式行事の場で歌われたことは両民族融和への大きな前進です。
現在は非公式でのタミル語解禁ですが、今後憲法で両言語の国歌が認められることを切に願います。

両民族間の対立解消の象徴として国歌が使われた国歌史上珍しい例いです。

 

 

南アフリカ共和国 ~人種間の融和を体現した国歌~

融和を体現した国歌の代表例が南アフリカ共和国『神よ、アフリカに祝福を/南アフリカの呼び声』です。

お気づきの通り、2つの歌のタイトルが1つになっています。

元々は別の国歌でした。

前半の“神よ、アフリカに祝福を”は同国でアパルトヘイト政策が行われた時代、

ネルソン・マンデラを含む黒人たちはこれを旗印の歌として政策廃止を求め運動をしていました。

この歌は以前からアフリカで黒人たちの象徴として歌われ慕われていたもので、彼らにとって象徴的な歌と言えます。

一方、“南アフリカの呼び声”はアパルトヘイト政策時代の国歌。

この相反する歌を一つしようと提案したのが南アフリカ共和国の父、ネルソン・マンデラ。

彼はアパルトヘイト政策が廃止され新たな国を築く事になった際、問題となるのは黒人と白人の対立だと思っていました。

そして、感情的に白人を追い出すことは同国にとって利益にならないことも分かっていました。なぜなら、これまで国を運営し経済をコントロールしてきたのは白人です。

急に彼らがいなくなることは間違いなくマイナス。黒人と白人の融和は国の発展に必要不可欠だったのです。

前半は黒人の言語、コサ語、ズールー語、ソト語で。

後半は白人の言語、英語、アフリカーンス語で歌われるという2つの歌を5つの言語で歌うという世界でも類の無い国歌が誕生しました。

そこにはネルソン・マンデラを始めとする南アフリカを作った人たちの“黒人と白人が手を取り合って国を築く”という理想が込められているのです。

 

 

フランス共和国 ~国歌で見せた他国への思いやり~

今年6月にパリ行われたフランスとイングランドの国際親善試合でのこと。

この時、イギリスで連続テロが起こったばかり。

そこで、フランスの計らいでイギリス国歌『God Save the Queen』がスタジアム全体で歌われました。

フランス人も歌えるように大型スクリーンに歌詞が映し出され、フランス人サポーターがもイギリス国歌を熱唱しました。

これはフランスがイギリスへの連帯を示すためのものでした。

実は昨年11月にパリで同時多発テロ事件が起きた際、ロンドンで同カードの試合が行われた時イングランドがフランスへの連帯を示すために同様のことを行っていました。

冒頭でスポーツでの国歌は対立を煽ると書きましたが、全てがそうではありません。

本来は対戦相手に敬意を示すためのものであり、この事例はその好例です。

 

国歌は国を代表する歌 だからこそ・・・

国歌は対立を生むばかりではないと思っていただけたなら幸いです。

もちろん、今回の事例で互いの対立が解消されているわけではありません。

スリランカでの民族対立が解消されたわけではなく、今でも根強い対立があります。

南アフリカでは黒人部分を歌わない白人や、白人部分を歌わない黒人がいたり、一方のパートを無くしてしまおうという極端な意見を持った政治団体も登場しました。

「国歌を歌うのは表面的でポーズだけじゃないか。歌うだけで実がない」

という意見もあるかと思います。

しかし、理想無くして実現はありません。

国歌は理想を体現した歌です。

「自由が欲しい」 「国が発展して欲しい」 「平和になって欲しい」

歌詞には作り手が国歌に託した国への想いがつづられています。

体現が難しいならまずは語ることから。口にすることが実現への第一歩になるのです。

そういう意味では歌は理想を現実に変える最適のツールじゃないですか?

理想へ繋がる扉になるもの。

それが国歌なのです!

歌から始まる相互理解