復活する国歌

国歌の誕生と消滅はその国の歴史に大きく関係しています。一度国歌の座をおろされ“過去の歌”となった国歌が再度、国歌の座に座らされる時は、その国が又は国民が何かを求めている時です。
“平和” “復興” “国威掲揚” ・・・国歌の復活は何を意味するのでしょう。“過去の栄光への未練”それとも“未来への希望”

23年ぶりの復活
カンボジア王国『王国』

国旗にも書かれているアンコール遺跡は9~13世紀に栄えたクメール王朝時代に作られたもので、このクメール王朝がカンボジアの元となった国と言われています。この時代から考えると、1431年にタイで建国されたアユタヤ王朝に侵略されてからのカンボジアは不幸の連続であり国歌の変遷にもそれが色濃く出ています。この国に国歌が初めて制定されたのは日本敗戦後の1947年。この時の国歌が現在歌われている『王国』です。

1953年にカンボジア王国として独立をするも1970年に軍のクーデターによりクメール共和国が樹立。この際最初の国歌変更が行われます。その5年後、今度は共産主義を掲げたポル・ポト書記長が政権を握り民主カンプチア樹立し国歌も変更。更に1979年にはポル・ポト政権が打倒されカンプチア人民共和国が樹立し、国歌も変更されました

現在の国歌が制定されたのは現在のカンボジア王国が樹立した1992年の翌年、新憲法が採用された際です。王政復古がなされ、王と讃える歌詞と伝統的なメロディが評価され半世紀ぶりに復活。歴史の混乱が続いた国が求めているのはクメール王朝時代の栄光であり、国旗も国歌もその想いで溢れています。

26年ぶりの復活
コンゴ民主共和国『起て コンゴ人よ』

合唱が公式に指定されている珍しい国歌として以前紹介したことがある国歌。

1960年にベルギーから独立した際に現国歌『立ち上がれ コンゴ人よ』が制定されましたが、1971年に政変によって誕生したザイール共和国では別の歌が国歌となります。その後民主化運動によって1997年現国家名に。国歌も政変の際に復活を遂げました。

なんとザイール国歌と現国歌の作詞作曲者が同じという面白い特徴も持つ。

『起てコンゴ人よ』の詳細はこちら

56年ぶりの復活
ロシア連邦『ロシア連邦国歌』

平昌五輪ではドーピング問題で歌えない制裁を科せられた事で話題となったロシア国歌も復活を遂げた国歌です。

この国歌が誕生したのは1944年の第二次世界大戦中のこと。それまでの国歌『インターナショナル』は1971年にパリで世界初の社会主義政権が樹立した際に作られた歌で、社会主義・共産主義に強く結び付く物でした。1944年はイギリスと共闘してナチスドイツ打倒を目指していたソ連にとって、資本主義国であるイギリスからいらぬ誤解を受けぬよう国歌を変更する必要があったのです。そこで誕生したのが『ロシア連邦国歌』。当時は『ソビエト連邦国歌』というタイトルでした。しかし1956年のスターリン批判によってスターリンを讃える歌詞が問題となりメロディのみの国歌となりますが77年に一部を変更し歌詞が復活。延命がされたものの1991年のクリスマスにソ連が崩壊しロシア連邦が成立。この時に「愛国歌」というメロディのみの国歌が誕生し、『ロシア連邦国歌』は途絶えます。

この歌がみんなで歌えない事もありあまりにも人気がなかったため99年に公募して歌詞を決めます。しかし、ここで現大統領のプーチン氏が就任。2000年に彼は共産党の懐柔と『強いロシア』を打ち出すため『ソビエト連邦国歌』を『ロシア連邦国歌』の名前に変え復活させます。歌詞は1956年のスターリン批判の際にされたように修正が加えられました。面白いのは修正を担当したのが1944年に歌詞を作ったミハルコフ氏だという点でしょう。

国家体制や社会情勢が変わる中、半世紀の時を経て復活した国歌は皆無。