日本東ティモール協会 北原巌男会長 インタビュー【後篇】 合言葉は『ゆっくり しかし着実に』 

前回、日本東ティモール協会会長の北原巌男さんから東ティモールと関わるきっかけについて伺いました。後半は協会の活動について伺います。

素敵なお話が色々聞けました。

特に北原さんが支援していた留学生の卒業式の話はインタビューをしていて感極まるものがありました。

 

国作りは人作り ~教育を中心とした支援活動~

―日本東ティモール協会を立ち上げようと思ったのはいつですか?―

東ティモールにいる時です。

僕はティモールの子供達や貧しい人たちに対してのイメージは、

“支援を待っている”可哀そうな子供たちや人々ではないんです。

彼らは僕の小さな時と同じなんですよ。

「今はこんなに貧乏だけど絶対に日本のように発展出来る。だから一緒に歩いていこう!」

そう考えています。

僕は一私人で何もないけどやれることをやろうと。

 

―具体的にはどんな活動を?―

まずは東ティモールに関する情報の発信です。

様々なイベントに東ティモールを紹介するブースを出しています。

ラン展やバラ展とか東ティモールとは関係の無いイベントもあります。

これは知人の温かい尽力によって出展しているんです。

イベントはもちろん講演会で話したり、知ってもらう事で親しみを持ってもらいたいんです。

できるだけやって多くの人にティモールを知ってもらおうと思っています。

話をしていると、ほとんどの方は知らなかったなぁという反応ですし、

知っている人の多くは、僕がそうだったようにネガティブなイメージなんですね。

でも今は違うよと伝えたい。今の東ティモールを知ってもらいたいんです。

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イベントに東ティモール政府と共同でブースを出す北原さん

 

―教育に力を入れてらっしゃるとか―

独立前、80万いた人口のうち20万が虐殺等で犠牲になっているんです。

国作りは人作りです。それは教育なんですね。

そこで学研さんと住友化学さんにご協力頂き協同で教育支援を行っています。

具体的には東ティモールの教育省の許可をとって

公立小学校の1年生に現地の公用語であるテトゥン語に翻訳した学研の算数教材を提供して、

現地の先生たちがそれを使用して授業を行っています。

 

―2社がよく協力してくれましたね―

東ティモールについて色々な物が必要だけど、特に教育が必要だと話をしました。

両社とも快諾してくれて本当にありがたいです。心から感謝しています。

ちなみに住友化学さんの社員食堂にコーヒーコーナーがあるんですね。

そこで住友化学さんが「どうせコーヒーを買うなら東ティモールコーヒーにしよう」

と言ってくれたんです。ですから毎日社員の皆さんによって飲まれていますよ。

東ティモールのコーヒー生産者にとっては、とても嬉しいことです。

 

―日本に来る留学生の支援もされているんですね―

大使をしていた時、当時の首相で独立闘争のリーダーでもあったグスマン氏が私に

「独立闘争時一番つらい思いをしたのは、夫や兄弟、息子を殺された女性であり子供です。

そういった辛い思いをした女性の視点から防衛とか安全保障にじっくり取り組んでくれる人を育てるのが私の責任なんです。」

と言って、女性を日本の防衛大学校に留学させる事は出来ないかと言われたのです。

想定外でした。

当時の防衛大学校の留学生は全て男性だったんですが防衛省にグスマン氏の意向を伝えたらOKが出たんです。

防衛大学校には日本人の女子学生はいましたが女子留学生は東ティモールからが初めてでした。

2010年4月に一期生が男女2人ずつ入学して頑張って卒業しましたよ。

去年の3月には日本の大学で初めて博士号を取った学生が岐阜大学からでました。

当初は修士課程で日本に来た子だったんですが、頑張っている姿を見て大学当局も私も博士課程進学を勧めたんです。

一方で彼のお母さんは、彼が日本に留学する時とても心配していて、全く喜んでいませんでした。

彼は貧しい田舎の子なんですけど、お母さんは

「自分たちの様な家族の人間にはそれなりの生き方があります。

それなのに息子はディリ(首都)の大学に進学し、今度は日本へ留学するという。

私は心配でならないのです。」

といった趣旨の話をされていました。息子には頑張ってもらいたい、

でも、心配でならないという母親の気持ちです。

 

彼は博士課程に進んで、頑張って勉強して学位授与式を迎えたんですが、

なんと彼はその式にお母さんを東ティモールから招いたんですよ!

しかも彼女は息子の晴れの日のためにタイス(伝統織物)を手織りして持って来たんです。

そのタイスを彼女の息子が着て卒業式に参加したんですね。

彼は成績優秀の表彰も受けました。

あの時は感動しましたね。

今彼は東ティモール国立大学の助教授です。ほとんど責任者としてやっていますよ。

彼が国に帰ってバリバリやっているのを見ると嬉しいですね。

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お母さんの手織りタイスを着て卒業式に出席した留学生

 

―東ティモール内外で支援をされているんですね。―

他にも色々やっていますよ。

例えば、東ティモールには授業料が払えなくて鶏を持ってくる子がいるという現状があります。

そこで現地の高校生に3年間の授業料等を肩代わりする奨学金を設けました。

前回は中学3年生から奨学生を選びまして、無事卒業しました。

今回は高校2年生を対象に考えています。

校長先生にお願いして優秀だけど家が貧しい子を1年生の中から抽選してもらい、

僕らが現地に行って面接をして決定する予定です。

また去年の話ですが、中古の消防自動車を寄付しました。

東ティモールには13の県があるんですが、そのうち消防車があるのは8県なんです。

そうなると江戸時代と同じで延焼防止で建物を壊しちゃうんですね。

そんな中、元外務大臣政務官の宇野治先生から「東ティモールには消防車があるんですか」

と聞かれたんです。

無いと答えたら、東ティモール政府から正式要請が出されれば提供可能な消防車があるって仰ってくださいました。

宇野先生、滋賀県の自治体、外務省、そして在東ティモール日本大使館の御尽力によって6台の消防車を寄贈することが出来ました。

その際は、2名の消防隊員が行って直接向こうの消防隊員を指導されました。

消防隊員同士の絆を強く感じました。

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協会から寄付した消防車。今でも大事に磨かれ現地で活躍している

 

国作り その過程に関わる事が出来る喜び

“ネネイク・マイベ・ベベイク”という東ティモールの合言葉があって

“ゆっくり しかし着実に“という意味なんですが、人から見て遅いなとかあるかもしれません。

でも大事なのは継続的に着実に進めていくということ。

日本が70年かけてやってきたのとは違って、小さい国だから上手にやればもっと早いかもしれません。

前首相のグスマン氏は夢を諦めるなと言うんです。勇気と情熱をもって夢や目標に向かって取り組むという事です。

色々な事がある中で何かを成し遂げる事が出来るのは、当人に勇気と情熱がある時ですよ。

失敗した時もそうだし成功した時もそうですね。

常に成功は無いけど「よかったね」と言える時は情熱がある時なんですよ。

僕もそれは持ち続けたいなと思うわけです。

 

あの国は今国作りの真っ只中で、いわば司馬遼太郎の『坂の上の雲』の時代なんです。

坂の上にある雲を私たちは目指しているんですね。

東ティモールの人たちにとっての目標の雲というのはより良い生活ですよ。

「独立して良かったね」と先祖や独立闘争で犠牲になった人たちに言ってもらえるような状態です。

でもその雲は、ふもとから見ると峠のすぐそばにあるように見える。

でも峠まで行くともっと先、もっと上にある。その連続だと思うんです。

あと10年経った東ティモールは絶対に今の東ティモールではない。

10年後は予測不可能です。

正直なところ雲には届かないと思う。常に目指し歩みを進めているんです。

ただね、少しでも目標に近づいて、例えば8合目に来た時に「あれが出来た」とかあると思いますよ。

それは一つ一つの進歩です。

今算数教材を送っている1年生の子たちが大人になるまでに20~30年かかります。

その頃、恐らく僕はいません。

防衛大学校もそうです。留学生たちが司令官とかになるのはだいぶ先です。見れないですよ。

それでもいいんです。

僕の活動が少しでも役立ってもらえたらなと思うんですよ。

だからすごく楽しくてワクワクしています。

まだまだやりたい事があるんですよ。観光客も呼びたいし、企業家も育てたいし。

僕はラッキーなんです。国作りの真っ最中にいれるんですから。

幸せですよ。様々な事に取り組む事が出来ているというのは。

日本東ティモール協会 北原巌男会長のインタビューを終えて

協会のホームページには協会名を現地の言葉であるテトゥン語でも標記している。

Asosiasaun Lorosa’e-Nippon

Nipponと日本語での呼び方になっているのはなぜだろう。

「これはグスマン氏のアイデアなんです」

と北原さん。

テトゥン語で“LORO”“太陽”“SAE”“昇る”を意味し、日本の“日の本”と同じだということでNipponにしたのだという。

共に“日出づる国” 東ティモール民主共和国と日本。

ちょっと親近感がわきませんか?

 

お話しを聞いていて印象的だったのは東ティモールの合言葉

“ネネイク・マイベ・ベベイク”

北原さんは、自分が行ってきたことの結果を見る事が出来ないかもしれないと言っていました。

例えば自身が教材を配布し支援している小学一年生が大人になり活躍する姿。

それでも彼は支援を続けます。

「結果が見えないのが分かっている中で何をモチベーションにしているのですか?」

という筆者の問いに

東ティモールの合言葉“ゆっくり しかし着実に“で答えてくれました。

“今”を大事にしなければ未来はない。今の積み重ねがあるから成功があるということです。

本気で生きている人の話は本当に面白い!!

東ティモールに興味を持たれた方、是非一度協会のホームページを覗いてみてください。

もっと東ティモールが好きになるはずですよ^^

 

【北原巌男(きたはら・いわお)】

1972年防衛庁に入庁。那覇防衛施設局長、運用局長、管理局長、官房長などを歴任。

2005年に防衛施設庁長官に就任する。

退官して1年後の2008年、駐東ティモール民主共和国特命全権大使に就任。

2013年に一般社団法人 日本東ティモール協会を立ち上げ現職。

東ティモールへの支援、同国と日本との交流促進のための活動を行っている。

 

【日本東ティモール協会】

HP http://www.lorosae.org/

メール japan@lorosae.org