国歌に個人の自由はあるのか ~1人の黒人フットボール選手が問う アメリカ国歌~

グローバル化・国際化という言葉が当たり前になった・・・

というより使い古された言葉になっている。

これらの言葉は”反差別” ”異文化共存” を意味するものなのかと思っていたが、どうやら違うらしい。

今や”民族(人種)”  ”国籍”などを守るために排他主義が世界中で蔓延している。

これが人類の求める国際化だったのかと悲しくなるほど。

 

国歌好きの一人として、排他主義者に国歌を利用されたくないと強く思っているが

残念ながら国歌は ”民族(人種)” ”国籍”と強い結びつきがある。

ゆえに今回の様な議論が巻き起こる。

1人の黒人男性がとった行動がアメリカ国民に問う。

「国歌に個人の自由があるのか」

 

敬意を示めさなければならないという不自由

アメリカ国民は国歌が大好きだ。

映画やドラマ、お祭りでよく流れるし、彼らは誇らしげに国歌を歌う。

今回、そんな国歌大好きアメリカで国歌斉唱時に、とある選手がした行動が議論を起こしている。

ナショナル・フットボール・リーグ のサンフランシスコ・フォーティナイナーズのクォーターバック、

コリン・キャパニック

NFLが誇る人気選手だ。

そんな彼が事件を起こした。

今月1日、サン・ディエゴで行われた試合前の国歌斉唱時。

会場にいる人々が起立する中、彼だけ腕組みしてひざまずいたのだ。

法律では起立は義務づけられていないが、

胸に手を当てていなかっただけで批判を受けるような国でこの行動は大問題。

女子体操選手が胸に手を当てず問題となった話の詳細はコチラ

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ひざまずくコリン・キャパニック

 

この事件以降、NFLや所属チームにはキャパニックの謝罪や処分を要求する声が殺到。

ウォーミングアップ中に観客から大きなブーイングを浴びたり、ユニフォームが燃やされる動画がアップされたりしている。

大統領選の候補に指名されている共和党のドナルド・トランプ氏は

「とんでもない話だ。自分に合った国を見つけた方がいいんじゃないか。好きにさせてやれ。そんな場所ありはしないが」

と言っている。

 

キャパニックが立たなかったワケ

彼はなぜ立たなかったのか。

キャパニックは試合後のインタビューで理由を答えている。

 

「黒人や有色人種を抑圧するような国の国旗に敬意は払えないので起立はしない」

 

「自分にとって、これはフットボールより大事なことで、この問題から目を背けるのは自己中心的だ。

 道端には遺体が転がり、人殺しをした連中は無罪放免で有給休暇をとってるんだ」

 

ここ数年、ミズーリ州のファーガソンで発生した警官の黒人への暴力事件を皮切りに

各地で人種差別と受け取られるような警察の行動が発覚し問題になっている。

今年5月にはサンフランシスコで、黒人男性の殺害が2件発生。

しかも殺害後、警官たちが人種差別的なメッセージを送っていたことが判明し警察署長が辞任する事件もあった。

 

敬意を示さなくてもよいという自由

キャパニックの不起立に対して非難の声ばかりではない。

彼は国歌斉唱の後、大勢の賛同者とハグをしているし、事件後キャパニックのジャージが売り上げを伸ばしているという。

また彼が所属するサンフランシスコ・フォーティナイナーズは以下の声明を発表した。

 

「試合前の国歌斉唱が、これからも大切なセレモニーであり続けるのは間違いない。

 国に敬意を示し、我々をその市民たらしめる偉大なる自由について思いを馳せる場だ。

 しかし、宗教と表現の自由を尊重するアメリカの原理原則からして、

 国歌斉唱に対する個人的な権利が存在することも認識している」

 

またNFLも、国歌斉唱時の起立は“奨励”こそすれ、“必ずしもそうしなければならない”とまでは要請できない

という声明を出した。

 

さらに中国で行われたG20サミットの記者会見でオバマ大統領が事件について言及した。

この発言はアメリカが何を大事にしているのかを知る事が出来る。

 

「彼は、憲法で認められた権利の元、自らの意思を表明したまでです」

 

「彼の行動によって、話し合われなければならない話題について、多くの対話の機会を作りました」

 

オバマ大統領は続けた。

「サイドラインにただ座って何にも気にしない人でなく、

 若者は議論し、どのようにして民主的なプロセスに参加できるのかをじっくり考えてほしい」

 

否定派に対しては

「(非難する人たちは)キャパニック選手が正義と平等に、懸念を示しているんだと気づくはず。

 これが、私たちが前に進める道だ。時には困難を伴う。しかしそれが民主主義の流儀だ」

 

広がる擁護の声

彼を擁護する声はスポーツ界でも広がっている。

NFL殿堂入りした元NFL選手のジム・ブラウン、元NBA選手のカリーム・アブドゥル・ジャバーはキャパニックの抗議を支持。

それぞれがメディアで発言している

 

ブラウンは、NFLの専門チャンネル『NFLネットワーク』で

「彼の意見を聞いたが、すべて筋が通っている。

 自分の持つ権利の範囲内で、自分の目に映った真実を伝えようとしている。

 私は100パーセント、キャパニック側だ」

 

ジャバーはCNNで

「やり方やタイミングが気に入らない人もいるかもしれない。

 でも彼は、自分が大事だと思う問題への関心を高めようとしているし、彼にはそうする権利がある」

 

また、ワシントン・ポスト紙は論説で

「本当に恐ろしいのは、国歌の演奏中に立ち上がらないというキャパニックの選択ではなく、

 自らの姿勢を貫いて王座をはく奪されたアリや、拳を掲げて何度も死の脅迫を受けたトミー・スミスやジョン・カーロスから

 50年近くが経つというのに、同じ人種不平等に未だに注目しなくてはならないことだ。

 この問題が未解決であることが、この国の実に反米国的な現状を物語っている」

 

ベトナム戦争への徴兵を拒否したモハメド・アリ、

メキシコシティー五輪の国歌斉唱時、拳を掲げ抗議の意思を示したトミー・スミスやジョン・カーロスを例に挙げ

アメリカの問題を指摘した。

 

アメフトだけではない。他のスポーツ選手にも広がっている。

NFLやNBAの選手はもちろん、サッカー女子米国代表のミーガン・ラピノーも国歌演奏時にひざまずいた。

広がる賛同の声

広がる賛同の声

 

国歌は”敬意を持てるもの”であるべき

擁護派が擁護するゆえん、それは「キャパニックには行動を許される権利がある」

それを守らなければならないという想いがあるからだ。

個人の権利を大事にするアメリカを象徴している。

これが無くなった瞬間、民主主義を先頭で謳ってきたアメリカの誇りは失われると言っていい。

国歌に敬意を示すのは大事だが、その敬意が強制であってはならない。それを否定する自由も必要だ。

国歌は敬意を”持たなくてはいけないもの”ではなく”持てるもの”であるべきではないだろうか。

アメリカが今、試されている。